2015年6月30日火曜日

痛み予防

懲りない悪い習慣なんですけど、
ぼくはビールが好きで、
というか酒類全般が好きなんですけど、
だいたい毎日飲みます。
それで、適度な量なら問題ありませんが、
飲みすぎると頭痛をよくおこします。

この悪い習慣は常飲癖ではなく、
頭痛をおこしたときに鎮痛剤を飲まないと
頭痛が治まらないので、
酒を飲む→鎮痛剤を飲む、
という悪循環を繰り返していることです。

しかもこの頭痛を鎮めるために
ロキソニンやバファリンを飲んでも効かず、
試しにアメリカ人の母親が持っていたadvilを飲んでみると
これがよく効いてそれ以来アメリカの鎮痛剤を使っています。

 欧米の薬は成分はどれぐらい違うのか。
見てみるとぼくが使っている鎮痛剤のibuprofenの成分は、
アメリカのものが1カプセル200ミリグラムなのに対して、
たとえばイブA錠は2錠で150ミリグラムです。

ぼくは2粒飲むので400ミリグラムということですから、
倍以上違います。
これは効くわけです。

そんな話しをこないだ弟としていると、
弟の友達はibuprofenを5粒飲んでいると聞きました。
アメリカの大学でアメフトをやっているその友達は試合前にそれを飲むそうです。
確かにibuprofenは筋肉痛などの身体の痛みを和らげる効果もあります。

しかし彼は試合前に飲むというのです。
友達は弟にこう言いました。
「5粒飲むと、試合中にタックルを受けても痛くないんだよ」

まだ痛くないけど、これからの痛みに備えて痛み止めを飲むそうです。
痛み予防ってことですけど、部分麻酔的な感覚なんでしょうか。
薬の使い方が間違っている気がするんですけど、
この友達はタックルを受けすぎて頭がおかしくなったのか?
それに、5粒も飲んだら身体の感覚が鈍くなりそうなんですけど、
スポーツをするのに動きに支障がないんですかね。

ぼくの弟は昔からバスケットボールの練習のし過ぎで、
筋肉痛で眠れないということがよくありました。
それで鎮痛剤に頼ったりもしていたのですが、
しばらく前からトレーニング後は氷風呂に入ることが習慣になっています。

氷風呂(アイスバス)は、
風呂桶に水を張り、そこに氷を入れて10度ていどの温度にして、
13から15分浸かるというものです。
トレーニング後に暖かい湯に浸かると筋肉が緩んで、
トレーニングの意味が無くなってしまうということで。

最初の3、4分は冷たくて死にそうになるそうですが、
それを通り過ぎると気持ちよくなり、
筋肉を締めることでその後の筋肉痛が和らぐというのです。

ぼくは鎮痛剤5粒も、
氷風呂も、
どっちも試したいとは思いませんが、
世の中にはさらに極端な世界がありました。

プロのスポーツ選手の間ではクライオセラピーというものが注目を浴びていて、
これはマイナス150度の冷気を浴びるというものです。
時間的には3分ほど浴びるだけだから、
弟から言わせると時間の節約になるそうです。

だけど時間の節約どうのよりも、
摂氏10度の氷風呂で死にそうになるぐらいなら、
マイナス150度なんて蝋人形みたいに固まってしまうんじゃないかと思うんですけど、
ほんとに生きて出てこれるんですかね。

頭痛には効かないんでしょうかこの冷やす方法は。
氷水に頭を突っ込んで治るなら、
薬を使うよりはオーガニックな感じでいいですよね。
また試してみようと思います。

2015年6月22日月曜日

私、さいきん月が好きなの

しばらくお店の宣伝をしていませんでした。

もうすぐサマータイム営業がはじまります。
7・8・9月は、
昼は11時から夜は9時(LO8:30)まで延長してピザを焼いております。
その間はイベントも色々と企画中でして、
今年は特に満月BARが盛り上がりそうです。

「世界を巡る音楽」というテーマで、
世界各国を旅してきたDJマコトさんを招き、
満月の夜にウッドデッキで音楽を流してもらいます。
7月31日(金)はアジア。
8月29日(日)はアフリカ。
9月27日(日)は中南米。

こないだお店に来てくれたお客さんが
友達とチャイを飲みながら会話をしているときにこんなセリフがありました。

「私、さいきん月が好きなの」

こんなスピリチュアルなセリフがあるのかと思わずメモしてしまいましたが、
もし月がさいきん好きな方がいましたら、
ぜひ満月BARへ遊びにいらしてください。

さらに音楽に加えて、
アジアの音楽にはアジアンなピザや料理やドリンク。
アフリカ音楽にはアフリカン、
中南米音楽にはメキシカンやブラジリアン・ペルビアンというふうに、
音を聞いて世界を感じ、
食べて飲みながら世界を感じる、
幡豆の田舎にいながらにして世界を巡ってしまうようなツアーになる予定です。

詳しい内容などは7月のはじめにホームページにアップしますので、
またチェックしてみてください。

2015年6月9日火曜日

小麦畑でピクニック

昨日は滋賀県日野町の小麦農家でパン屋さんでもある大地堂が主催する
『小麦畑でピクニック》に参加してきました。
こちらの社長である廣瀬さんが作る小麦は、
9000年前からヨーロッパで栽培がはじまったといわれるスペルト小麦です。

この古代小麦は品種改良が施されていない原種で、
ということは9000年前の狩人たちが食べていたものと同じものです。
そんな古い食べ物が他にあるのか知りませんけど、
古代小麦と聞くとなにか壮大な気分になります。
紀元前七世紀をウィキペディアで調べてみると、
マンモスが絶滅した辺りだということです。

このスペルト小麦を廣瀬さんが日野町で栽培をはじめたのは十六年前で、
現在は十トン近くのスペルト小麦を作っています。
来年は十五トンにするということで、
スペルト小麦を継続して作り続けることに廣瀬さんは情熱を燃やしています。

廣瀬さんの栽培するスペルト小麦は現在東京や広島、
大阪のパンの有名店でも使われていて、
その栄養価の高さ、風味や味わいの価値が見直されています。
栽培面でも麦の殻が頑丈で、
つまり虫にも強いので無農薬または減農薬での生産が可能だということです。

このスペルト小麦畑でピクニックをするというのです。
マンモスときわきわの歴史があるスペルト小麦を使ったパンでサンドイッチという
世界史と現代史をサンドイッチにするようなピクニックです。
壮大でかつ平和です。

しかもこのサンドイッチの中身は猪のパテでした。
この猪は廣瀬さんが鉄砲で打って、
夫婦で川で解体して、
ビストロを経営する川田さん(ピクニックにも参加)がパテにしたものです。
猪の赤身とフォアグラとピスタチオのパテ。
壮大で平和、かつ豪勢です。

小麦畑はきれいな緑色で、
これから色付いていくようです。
「これから黄金色に光る小麦畑になるんですね」と廣瀬さんに聞くと、
「いや、ディンケル小麦(独名)は茶色でそんなにきれいではない」
と言いました。

参加者は十名で、
小麦畑の真ん中に組み立て式のお立ち台のようなものがあり、
そこの上に座ってランチをします。
脚立を立てかけてその広いお立ち台のようなところに上がります。
1・5メートルぐらいの高さでしょうか。

「ここに腰掛けると丁度コンバインに乗った高さになるんだよ」
と廣瀬さん。
ぼくらはそのお立ち台から足をぶらぶらさせて、
コンバインに乗って小麦を刈り取り収穫する風景をイメージする。

「小麦畑を上から見下ろすと風が見えるんだよ」
廣瀬さんに言われてぼくは風を見ようとしました。
均一の高さに揃った穂を風が撫でる。
手前の穂は左に風を受け、
ちょっと視線を先に送ると穂は動かず直立していて、
またさらに遠くの方では風を受けて傾いている。
たしかに、風が流れている場所と、
流れていない場所が見えます。

「あ、雨がきそうだから今のうちに食べよう!」
と廣瀬さんは風を読んで昼食の準備をはじめました。

この後廣瀬さんのお宅に戻り、
玄武岩で作られたドイツ製の特注の石臼を見せてもらいました。
「これがウチの宝だ」と廣瀬さん。

玄武岩は石の中の気泡が大きくて、
摩擦熱がこもらず小麦を劣化させないそうです。
小麦の味の総量を10とすると、
熱によって1か2割損なわれてしまう。
廣瀬さんはこう言います。
「私の仕事はこのスペルト小麦の味をほとんど10に近い状態で、
みなさんに届けることです」

朝から夕方まで小麦にまつわる話しをしっかり聞いて、
ぼくはこの挽いたばかりのスペルト小麦を少量いただき、
早速帰ってピザ生地の酵母を作りました。

ぼくはピザ生地をポーリッシュ法で仕込んでいるんですけど、
その液種にスペルト小麦を使ってみたかったのです。
液種は粉と水とイーストで作ります。
このうちの粉を変えることで、
焼きあがったピザ生地の味と風味に変化があるのかないのか、
という試作です。

今オーシャンで出している生地の液種は無農薬の小麦粉で作っているんですけど、
一般流通の小麦と比べると風味と膨らみが違います。
複雑な発酵臭と、膨らみは1・3倍ていど上がりました。
無農薬の小麦は残留酵素が多いことでこの結果の違いが出るのだと思います。

膨らみが強いとより少ないイーストで同じ量の粉を膨らませることができます。
ぼくが今作っているピザ生地のイースト量は、
10キロの粉に対してイーストは8グラム(0.08%)です。

イーストが多いと菌同士が餌の取り合いになり、
膨らむけど風味が出ない。
だけどイースト菌が少なすぎると今度は食べ過ぎで栄養過多に陥り、
これも膨らまなくなる。
丁度良いイースト菌の量で、餌をたくさん食べて円満な状態を作る。

こういうことに最近は取り組んでるんですけど、
これをスペルト小麦にしたらどう変わるのか、
一味違う生地ができそうで楽しみです。


スペルト小麦畑

超ぶ厚い猪のパテとカンパーニュ

ドイツ製の玄武岩を使った石臼



2015年6月5日金曜日

自信を持つこと

30歳を過ぎて、
ぼくは31歳です。
30歳を過ぎて、
何か変わったか聞かれても
「20代と何も変わらないんだけど」
と答えました。
何か変わった部分があるのか。
昔の写真を見て比べてみると、眉毛が太くなりました。

それから30歳を過ぎて、
自信という言葉が気になっています。
これまでの人生でずっと、
自信を持とうなんて考えたことありませんでした。
自信という気持ちが大事だと思ったことがありません。
むしろ自信家は恥ずかしい、とさえ思っていました。
それよりも日本人的に謙遜への美徳が強いです。

日本では自信家は傲慢に見られやすいということも、
自信を口に出すことへの抵抗になっていそうです。
それに比べて欧米人も中国人もインド人も、
日本人に比べると明らかに自信を口に出すことへの抵抗がなさそうです。

ピザを焼きはじめてからはイタリア人との関わりも出てきて、
ナポリのピッツェリアを巡っていたとき、
ここのピッツァがナンバーワンだという店主は何人もいました。
そんな専門のピッツェリアにかぎらず、
ナポリで雑貨屋に入ったときそこに中年の店主がいて、
土産物の唐辛子やスパイスを売りながらこう言いました。
「おれの焼くピッツァがナンバーワンだ。
もうすぐ店を開くから絶対に来い」

雑貨屋の店主ですら自分のピッツァがナンバーワンだと言っている。
こないだは、
名古屋の本山〈クスクス・リパブリック〉でシェフをやっている
チュニジア人のラディヴィーという方に会って喋っていたんですけど、
その人は「おれは誰にも真似できないピザが焼ける。
次の店ではそれをやるけど絶対流行る」
と自信満々に言いました。
ピザに関しては国にかぎらず誰でも自分のピザがナンバーワンだと
思いやすいんでしょうか。

そしてラディヴィーは突然こう質問をしました。
「君はピザの腕に自信があるか?」
「ぼくは自信の塊だ」
と、試しに返事をしてみました。

実はつい先日オーシャンのチーズを作ってくれているサントルチオのオーナーの
ルイスさんが店に来たときカウンターでビールを飲みながらこう言ったのです。
「マキ、お客さんにこう言ってください。
『愛知で一番じゃない、
日本で一番のピッツァ』って。わかった?」

みんなそんなに自信をアピールして一体何になるんだ?
と腑に落ちないので、
自ら自信をアピールして自信家を体験してみようと思った次第です。

この自信についてハッとさせられることを言ったのは、
三島由紀夫先生でした。
『不道徳教育講座』という本を今読んでいるんですけど
ここには“自信”についてのエッセンスが語られていると思いました。
ここに引用させていただきます。

「先生にあわれみをもつがよろしい。
薄給の教師に、あわれみをもつのがよろしい。
先生という種族は、諸君の逢うあらゆる大人のなかで、
一等手強くない大人なのです。
ここをまちがえてはいけない。これから諸君が逢わねばならぬ大人は、
最悪の教師の何万倍も手強いのです。

そう思ったら、教師をいたわって、
内心バカにしつつ、知識だけは十分に吸いとってやるがよろしい。
人生上の問題は、子供も大人も、全く同一単位、同一の力で、
自分で解決しなければならぬと覚悟なさい。

先生をバカにすることは、本当は、ファイトのある少年だけにできることで、
彼は自分の敵はもっともっと手強いのだが、
それと戦う覚悟ができていると予感しています。
これがエラ物になる条件です。
この世の中で、先生ほどえらい、何でも知っている、
完全無欠な人間はいない、と思い込んでいる少年は、一寸心細い」

ぼくはこれを読みながらすぐに
「三島由紀夫は何でも知っている、
こんな完全無欠な文学者はいない、
えらい偉人がいたもんだ」
と思いました。

三島由紀夫は自信という単語は使っていませんけど、
「あわれみをもつこと」
「内心相手をバカにすること」
というような相手の上に立った状態のことを言っていて、
自分に自信がある状態のことを置き換えています。

つまり自分に自信をもっているからこそ、
目の前の敵を敵とせず、
もっと強い相手に備えて吸収できることをすべて吸収しようとする。
そしてもっと強い敵が現れても、
また敵を敵とせず学ぶべきことを学んで、
さらに強い敵に備える。

じゃいつ戦うのか?
戦わないのです。
自信を持つとは非戦の連続で、
あるのは目の前の相手から吸収することばかりなのです。

そう考えると、
自信を持つことが大事なような気がしてきます。
しかし、と三島先生は続ける。

「しかし一方、『内心』ではなく、
やたらに行動にあらわして、先生をバカにするオッチョコチョイ少年も、
やっぱり甘えん坊なのだと言って、まずまちがいはありますまい」

やっぱり自信は内心にとどめておくべきものなのか、
それとも多少は言葉にするべきものなのか。
そういえばラドウィンプスが
「自信がないという自信があるんだ」
という歌を歌っていました。

もうぼくの自信についての見解は揺れっぱなしです。

2015年5月26日火曜日

石窯に氷を投げ込む

〈石窯ピッツェリア・オーシャン〉は来月で二年目になります。
ぼくは幅広くコース料理を組んだりするほどの実力もないので、
ピザならピザだけのことを掘り下げていくという感じでこれまでやってきました。
しかも創作にはあまり頭が回らず、
メニューのピザが十数種類から増えることもなく、
その細部ばかりに集中していました。

それが成功してるのか失敗してるのかよく分かりませんけど、
褒めてくれたりする人がいるおかげもあって、
気分が良くなって続けることができています。
それからピッツェリアは、
カフェが満席になって入れなかったお客さんを相手に商売する
というところからはじめてますので、
人を呼び込むということに関しては完全に他力本願です。

二年経ってこう思います。
もうちょっとこのブログにピザと向き合う過程を書いといたほうが、
店の歴史を取っておくのにいいんじゃないか、と。
だけど、これは今でも思いますけど、
自分の仕事を書くことが恥ずかしいんですよね。

店がすぐに潰れちゃうかもしれないし、
自分の悩みがレベルの低いことで「これは馬鹿にされるな」とか。
ということで、消えるなら人知れず消えて、
自分の半端な実力を自ら公表してなんになる?という考えになって。

汚点を隠し、
美点を発表。
そういえば国の歴史もこうやって作られるじゃないですか。
それでたまに他国(日本なら韓国とか中国)から汚点を指摘されて、
「そんな指摘はデタラメだ!」と反論する。

歴史はフィクションになっていたほうが愛国精神が人に宿りやすい。
誰も自分の国の汚点は知りたくない、というか、
無かったことにしたい。
従業員も会社の汚点よりは美点を知りたい。
そういう本能が現実から目を逸らし、
同じようにぼくも現実から目を逸らしているのだ、
と考えました。

ぼくはこの本能には従いたくなくて、
もうちょっとこの汚点に取り組まねばと。
このブログのタイトルは『文学の海』で、
文学的になろうと思ったら清濁分けたら偽物になりますからね。

じゃここでまず汚点を一つ書いてみよう。
……と考えてもなかなか出てこない。
やっぱり自分には汚点は無いのかもしれない……。
残念だ。
自分のピザの良いことしか思いつかない。

すいません、ただの思い上がりです。
たしかに、マルゲリータの上で溶けるモツァレラは果てしなくクリーミーで、
マリナーラの上で千切ったオレガノは草原に横たわるような香りで満たしますけど、
理想に近付いたと思ったらまた遠ざかるといった繰り返しです。

長年悩み続けたことがありました。
石窯の温度です。
今の石窯と付き合って二年ですけど、
いまだにこの窯の特性を知り尽くしたとは言い難い。

石窯には温度計が付いているわけではないので、
正確な温度が今どれぐらいなのか、デジタルのようには分かりません。
放射線の温度計でも床面の石の温度は400何度とかは分かりますけど、
薪からのぼる炎もありますし、
ドーム全体のレンガに蓄えられた熱もあるので、
だいたい450から500度の間ぐらいで焼いている感じです。

温度を上げるのは簡単です。
薪を燃やし続ければいいので。
問題は熱くなりすぎたときのことで、
ピザを入れてもすぐに焦げてしまうときです。

90秒というのが基準となる時間で、
これ以上長く焼くと硬くなったり、
これ以下で取り出してしまうと生地が生焼けになってしまう。
窯が熱くなりすぎてしまうという温度は、
ピザを入れた瞬間に底が焦げて、
60秒で表面が焼き上がってしまう状態でたぶん500度に近い。

皿に盛った見た目は良いんですけど、
底の焦げが苦くて、
膨らんだ生地の縁の中がまだ焼けてなくて、おいしくない。

忙しい日だと薪をずっと焚くことになるので、
温度がどんどん上がっていきます。
こないだ忙しかった日にこれはマズいと思い、
とっさに製氷機から氷をすくって窯に投げ込みました。

石の上で氷がスケートをするように滑り回って、
溶けた水分は玉のように転がって広がる間も無く、
シューーーーという音ともに水蒸気をあげる。
そして次にピザを入れて焼いてみると、
きっちり90秒間石の上で焼いても底は焦げることなく温度は下がり、
表面も丁度良くきつね色になりました。

店がオープンして以来の悩みが、
とっさに思いついたこんな簡単な方法で解決か?
悩みが一つ減った!
この後、温度が上がったときにまた氷を投げ入れた。
温度下がる。
丁度よく焼ける。
解決だ!

翌日までぼくは充実感に満たされていました。
この悩みの抜本的解決を報告するべく、
石窯を作ってくれたぼくの先生である長尾さんに電話をしました。

「氷はやめて」

ぼくの嬉々とした報告を聞いたあと長尾さんはずばり言いました。
石が割れるから。
せめて水を含ませたタオルで拭くぐらいならいい。
あるいは、ピザを焼いていない間、
石の表面にアルミ箔かアルミ板をかぶせて温度を上げないようにするか。

そうか。やっぱりそうか。
そんな簡単に悩みは解決しないか。
氷を投げ込んだら窯に悪いかも、
という内なる声もちょっとはありましたけど、
やっぱりダメだったかー。

2015年5月12日火曜日

ハタチからの瞑想

ここ数ヶ月瞑想ができなくなってしまいました。
ぼくの瞑想歴はかれこれ十年近くになると思います。

瞑想にのめり込んだのは二十歳ぐらいのとき、
たしか七田眞の右脳開発の本を読んだことがきっかけでした。
“潜在能力”というテーマにぼくは超敏感だったのです。
で、このとき読んだ本に「イメージ能力を養う」訓練として、
暗闇のなかで目の前に巨大な滝を作り出すというものがありました。

その訓練をぼくは電気を消した真っ暗な風呂に浸かりながら行いました。
背筋を伸ばして、
腹式呼吸をする。
その腹式呼吸は八秒間鼻から空気を吸い込み、
腹に八秒間ためて、
八秒間かけて吐き出すのを1セットとして繰り返す呼吸法でした。

七田眞いわくこの間隔になれたら今度は倍の十六秒に、
次は三十二秒にと、
倍々で増やしていくと超人の境地にいたるというようなことを言っており、
ぼくは十六秒まで試しましたけど苦しくなってやめました。

一ヶ月ほど続けましたが、滝は現れませんでした。
だけどこのときから瞑想を続けて、
ジョーゼフ・キャンベルの『生きるよすがとしての神話』ではチャクラの考えを、
ユングの『黄金の華の秘密』ではチベット密教の呼吸を知り、
瞑想とは呼吸のことだと考えるように至りました。
今では薄暗がりの温かい風呂に浸かりながら深呼吸をするだけになっています。

この十年、風呂で三十分だろうが一時間だろうが、
目をつむって眠ってしまうなんてことはほとんどありませんでした。
いや二、三度は寝たかもしれません。
だけど十年間ほぼ毎日続けてるようなことですから、
それはもう、皆無という感じです。

それがここ数ヶ月は必ず、絶対に、毎日欠かさず寝てしまうようになりました。
二、三回深呼吸すると、
バタンと底が抜ける落とし穴のような睡魔です。
その度に途中でハッと目覚めるんですけど、
やっぱり逆らうことはできずにがくっと意識が落ち、
しかたないから瞑想は諦めてカラダを洗って出るというふうになっています。

これを人に話すと
「仕事で疲れてるんだよ」とか、
「寝不足なんじゃないの?」とか言われますけど、
そんなはずはないと思います。
現場の肉体作業でへとへとになっていたときは過去にいくらでもあるし、
睡眠時間も平均して六時間半から七時間でそこまで大きな変化もありません。

この現象は何を意味しているのだ?
ぼくのカラダは何を訴えているのだ?
そこであらためてぼくは自分に、
なぜ瞑想が必要だったかを考え直してみました。

まず最初に書いた「(瞑想で)潜在能力を引き出したい」ということ。
これはもういつからかどうでもよくなりました。
ありもしない埋蔵金を掘り続けているようで、ただの徒労です。
自分の能力は、自分が好きなもの以外からは引き出せません。

他には
「自分と向き合う」
「リフレッシュする」
「嫌な気分を整理する」
というようなことを瞑想頼りにしていました。

だけど今、三十一歳のぼくには
これらのことも以前と比べるとあまり重要ごとではなくなっています。
よく人は歳を取るにつれて頑固になると言いますよね。
エゴが強くなっていくというのか、
自分の考えを曲げれなくなるというふうに。

こういうネガティブな要素の反面、
相手の顔色を伺わずにズケズケものが言えるようになるという、
図々しさが身につきます。
そして人から批判されても論理的に反論もできるようになる。
生存本能からなのか、
歳を経るにつれて自分を有利に、傷付きにくい思考に変わっていくようです。

そう考えると、
もしかしたら反省しない人間に瞑想はできないのかもしれません。
ぼくは最近反省してないか?と自問すると、
反省よりも、自己正当化のほうが多い気がしてきます。

おれはおれのままでいいのだ。
ゴールデンウイーク中は忙しかったから、
ブログを書けなくてもしょうがないのだ、
とたしかに自己正当化しています。

二〇代は「自分のこんなところが悪かった」と毎夜が反省でしたが、
三〇代は「悪いのはあいつだ」とよく他人のせいにしている。
さらに四〇代を過ぎてくると「悪いのは国だ」と言う人も多くなってくると思う。
人間はだんだんと責任をなすりつけるのが上手くなるようです。

つまり瞑想は内側に向かっていく精神でなければうまくいかない。
内省的であることが瞑想の条件かもしれません。

ぼくはこの文章を結婚した相手に点検してもらおうと読んでもらいました。
ぼくのこの瞑想に対する考察はなかなか鋭いんじゃないかと、
ちょっと得意げな気持ちで。

まず彼女はぼくを睨み、そしてこう言いました。
「これって、結婚が理由で瞑想ができなくなったって遠回しに言ってるよね。
私が原因だってこと?」

突然の指摘にぼくは慌てました。
「ち、ちがう。そんなことはないよ。
きみのせいなんてことは間違いなくない、ほんとに……」
「ふーん」彼女は言いました。
「なんか瞑想の話しも矛盾してるし、意味が通ってない」
「そ、そうかな?」とぼく。

「だってこの話しだと結局瞑想で寝ちゃうってことも、
瞑想がただの深呼吸に変わったから寝ちゃうってことになるんじゃないの?
ていうか、
何で結婚して満たされてるから瞑想が必要無くなったって言えないの?」
「……」
それとこれとは別の話しでもごもご
と意味の分からないことをつぶやきぼくは絶句しました。

結局、瞑想が出来なくなるということは、
不幸なことではなく、
むしろいいことなのです。
もごもご。

2015年4月27日月曜日

地球で立ち上がる筋トレ

アメリカの大学生の間でアデラルという薬が流行っていると、
アメリカの大学に通う弟が教えてくれました。
アンフェタミンが主成分の薬で、
日本では覚醒剤の一種で持っていると捕まりますが、
アメリカではADHDとして診断されると処方される薬です。

大学生の間で流行っているというのは、
病気ではなく健全な学生たちの間でのことです。
ぼくの弟も学校のテスト前に使ったことがあると言っていました。

弟はテスト前日勉強しないといけないにも関わらず、
二日酔いでテキストに向かってもまったく頭に入らなかった。
そこで周りのみんなが常用しているのを知っていたので、
友達から一粒もらって飲んだ。
夕方薬を飲んでから、
翌午前2時までひとときも休むことなく勉強を続けて、
テストでは高成績を取ったそうです。

眠気をすっ飛ばして、
記憶力はカメラで写真を撮ったように鮮明になる。
気分は若干ハイになって気持ちいい。
たとえば、そんな薬が図書館のトイレで一錠千円で売ってたらどうしますか?
というか売ってるみたいですけど。

もしぼくが良い大学に入るために猛勉強しなきゃいけなかったら、
これは買ってしまいそうです。
だって実際に良い点数が取れるんですからね。
周りにこのアデラルを使って良い成績をとるやつばかりがいて、
自分だけ使わずに望みの大学に行けなかったりしたらなんて考えたら、
「みんなばっかりズルいじゃないか」
となってそれなら自分もということになりそうです、きっと。

だけど同時に、
潜在能力を引き出すことや、
普段以上の力を出したいという願望はあるんですけど、
ノーマルの自分じゃないときに出した“良い結果”は気持ちよくはあるんですけど、
充実感がない気もします。

ぼくにとってこれは酒で、
ぼくは酒を飲むとよく喋れるようになります。
面白いことを言えるようになるし、
ズケズケと物怖じせず何でも言えるようになる。
解放的で良い気持ちなんですけど、
翌日シラフに戻ると喋りすぎた自分に恥ずかしくなる。
普段以上の自分が面白いことを言って人を笑わせても、
自分の実力ではない気がして充実感に欠けます。

最近はぼくの内臓のアルコール分解能力が低下してきたせいか、
これまでと変わらない量の飲酒で二日酔いをするようになってきました。
ますます、自分の実力以上のものを求めるな、
という声が聞こえてくるようです。

それに対して、
自分が悪い状態のときに、普段と同じ仕事ができたとき。
たとえば二日酔いだとしたら気持ち悪くて吐きそうなんですけど、
それでも一日ピザを焼き終わって、掃き掃除まで終わると、
充実感や達成感で、ヤッター!と喜べます。

例が極端なのでもっと日常的には、
朝起きて出勤して車を駐車場に停めて降りようとしたときに
「ああ、なんだか今日は身体が重いなー。辛いなー」
とぼくはよく感じてゆううつになります。

だけどある日を境に、
身体は重いのが普通なんだ、
羽が生えたように軽い身体なんて幻想なんだ、
地球には重力があるんだから重いに決まってる、と覚悟しました。

つまり、立つことそれ自体が筋トレなんだ。
車から降りようとするとき、
椅子から立ち上がること自体が重力に逆らうという筋トレなんだ。
そう思うと、ちょっと自分の足腰がたくましく思えてきます。
ぐっと力を入れて、ピクピク(ふくらはぎら辺)。
いいねー、今日も一日やるか。みたいな。

もし車から降りるときゆううつを感じる方がいたら、
ぜひこう思ってみてください。
地球で立ち上がること自体が筋トレなのだ、と。
するとふくらはぎに力が入りますから。