2014年5月26日月曜日

シャンプーはたまにで大丈夫説

最近シャンプーの回数を減らしてます。
今は三日に一回ぐらいです。

リンスをやめたのはもう三、四年前です。
当時付き合っていた彼女から、
「私のお父さん、体を洗う石鹸でそのまま頭まで洗うの」
という話しを聞いて僕はそれに男気を感じました。

「そうだ!男は髪の毛をサラサラにする必要なんてないんだ!」
と思って、それ以来リンスを使わなくなりました。
リンス・イン・シャンプーにしました。
石鹸は躊躇して、いまだ試したことはありません。

中学、高校ぐらいまでは、
男でもサラッとした髪の毛で良い匂いがするのがカッコよかったです。
憧れの不良の先輩がパンテーンなんかを使ってるのを知ると、
僕もそれまで使っていたシーブリーズを放って、
すぐにパンテーンに切り替えたりしました。

「2001」というシャンプーも一時高校時代に流行りました。
髪の毛が早く伸びるようになるというシャンプーです。
結局そのシャンプーに効果があったのかどうか
よく分からなかったですけど、
とにかく使いまくっていました
(ティーンエイジャーは髪型を短くしたと思ったら、
すぐに長くしたくなりますから)。

それが二十歳を過ぎてから、
最初はリンスインシャンプーに変えて、
それから「シャンプーのみ」というふうに段階を経て、
とうとう今では「シャンプー、三日に一回」です。
三日に一回と言っても、洗うのは毎日洗っています。

シャンプーをしてないと「不潔だ」ということもありそうですけど、
洗う時間はむしろ、
シャンプーのときよりもかかっています。
マッサージっぽく手揉みで念入りです。

まだ二ヶ月ぐらいですけど、
今のところ人から臭いとも言われてません。
僕はこの「シャンプーはたまにで大丈夫説」を勝手にはじめましたけど、
最近、この説を後押ししてくれる声が二つありました。

一つは、
最近Podcastで『バイリンガルニュース』を聞いてるんですけど
(英語を勉強したいと思ってる人にオススメです。
僕はニュースのチョイスが面白くて聞いてます)、
その番組の話し手であるマミが「シャンプーはあんまりしてないよー」
と言っていました。
彼女は普通のシャンプーからオーガニックシャンプー、
そしてたまにシャンプーという段階で移行したそうです。

もう一つは、
オーシャンのお客さんで来てくれる美容師の方です。
僕がこの話しを彼女にすると、
「実は私、昨日二週間ぶりにシャンプーしたの」
と言いました。
彼女も敏感肌で色んなシャンプーを試したけど、
肌のためにはシャンプーのしすぎは良くないかも、
という考えになったそうです。
だけど、まだお客さんにはすすめれず、
自分を実験台にして試しているそうです。

こういう、経済圏から逸脱するマインドはしばし、
タコの触手にからめとられ、
情報という吸盤に縛り付けられて身動きが取れなくなりがちです。
そういう情報を振りほどき、
僕も自分を実験台にしたいと思います。
そして、
未来の子供たちの頭皮に少しでも貢献できればと思います。

チアーズ、頭皮。

2014年5月19日月曜日

安全ピンという小道具

友達のぽっぽくんがインドに行ってきました。
ぽっぽくんは普段、岡崎市で塾をやっていて、
子供たちを教えています。
普通の学校の勉強とは異なり、
授業は年齢分けせずに
小さい子も大きい子も一緒にできる授業をするのが特徴の塾です。

たとえば漢字の語源を遡って考える問題。
象形文字から何を連想するかみんなで当てるといった、
情報力というよりも、
連想力が求められるような問題です。

そのぽっぽくんのインド旅行の目的は、
NGOで孤児の教育支援を行っている「ヴィシュワラヤ」の活動を
見学に行くというのがメインテーマでした。
ヴィシュワラヤはバンガロールという地域で活動しています。
通常の学校教育ではなく、
演劇を中心としたワークショップによる教育をしているそうです。

演劇による教育って何?
ぽっぽくんはヴィシュワラヤの施設で子供たちと寝起きを共にして
(ゲストは宿泊は無料だけど個室はないから一緒に寝る)、
昼間は一緒に遊んでいました。
そして日本に帰ってきたぽっぽくんは言いました。
「インドの子供たちは頭が良い!」

ぽっぽくんはこういうエピソードを話してくれました。

「ある朝、子供たちに囲まれて遊んでいたとき、
一人の男の子が握った手を出した。
なんだろうと思って手を差し出すと、男の子は僕に安全ピンくれた。
『安全ピン?』
だけど、この子にとっては大事なものかもしれないと思って、
くれたのか預かっといてくれという意味なのか分からなかったので、
僕は“胸のポケット”にピンを刺しておいた。
子供たちに英語は通じないのでジェスチャーでやり取りをしていた。

お昼を済ませて僕らは遠足に出かけることにした。
子供たちは10人ぐらいと共に。
僕らは山に登って川遊びをしたり、
日陰で寝転んだりしていた。
陽が暮れたので僕らは山道を戻りはじめた。
帰り道、森の中はもう真っ暗だった。
それでも子供たちはいつも歩いている場所だったから、
迷うこともなくすたすた遊びながら歩いていた。

すると突然、一人の男の子が泣き出した。
僕はドキッとして駆け寄った。
グループの中でもいちばん小さい男の子が座り込んで、
足を押さえて泣いていた。
『何かに噛まれたのか?』
『何かに刺されたのか?』
子供たちがなにやら僕に言っているけどさっぱり分からない。
僕がおろおろしていると、
一人の子供が僕に何かを訴えかけようとしていた。

その身振り手振りで訴える男の子が、
朝、僕に安全ピンをくれた子だということにすぐ気付いた。
そこで僕は、その子が安全ピンを欲しがっていることが分かった。
ところが僕は安全ピンのことなんてすっかり頭から抜け落ちていて、
もらってからどこに仕舞ったのかまったく思い出せなかった。
ポケットを全部引っくり返した(シャツの胸ポケット以外)。
僕は『ごめん、無くしちゃったみたいだ』と謝った。
男の子はあきれた顔をした。

その男の子は僕をしゃがませて、
胸ポケットに留めてあった安全ピンを取り外して見せた。
僕はやっと思い出した。
その子はちょっと怒っていた。
そして、何か言ったと思ったら背を向けて、
その安全ピンを足下の土の中に埋めてしまった。
申し訳ないと思っていた僕は『あ!』と言って、
すぐに懐中電灯を出して地面を探し、
埋めた形跡のある土の中から安全ピンを見つけた。

怒っていた男の子に僕は
「ごめんね」と言って安全ピンを渡そうとした。
すると男の子はにっこり笑って、
僕が左手に持っていた懐中電灯を取った。
土の中から取り出した安全ピンには見向きもせず。

そしてその男の子が何をしたかと言うと、
懐中電灯を持って、
泣きじゃくっている子の足に刺さっていたトゲを抜いた。
そして懐中電灯を僕に返した。
ちょっとまだ泣きべそかいている子をおぶって、
僕らは無事に山道を戻った。

分かる?
男の子は僕の懐中電灯を手に入れるために一芝居打ったんだ。
男の子は僕が安全ピンをどこにやったか忘れていると分かっていた。
それで、わざと僕を慌てさせて、
目的の懐中電灯を取り出すようなシナリオを作ったんだ。
安全ピンを小道具にして、
その場で即興でね」

ぽっぽくんは静かに語り終えた。

——超頭良い!
僕は感動して叫びました。
これが演劇による教育の効果なんでしょうか。

こういう即興が苦手な日本人は多い気がします。
僕はハーフですけど即興は苦手です。
日本人は交渉下手とかスピーチが下手だとか言われたりしますけど、
これは即興による教育が無いからかもしれないですね。

2014年5月12日月曜日

ペコロスの由来

先週は玉ねぎの収穫がありました。
収穫量は家庭菜園よりは多く、
玉ねぎ専門農家の大量栽培よりは少ないです。

今ウチのガレージの中では四畳分ほどの広さで、
玉ねぎがブルーシートの上に広げられています。
パッと見何個あるのか勘定できません。
千個ぐらい?

と思って、ざっと数えてみました。
どれぐらいざっとかと言うと、
四角く一面に並んだ玉ねぎの縦と横の個数を数えただけです。
縦58個。
横66個。
これを掛けると3828個ということになります。
そんなにあるのか!?
小さいのも大きいのも隙間もあるので、
プラスマイナス千個ぐらいあるかもしれません。
どうもいい加減な計算ですみません。

ともかく、
先週はこの玉ねぎの中から小ぶりなペコロスを選び、
石窯でグリルしたものをサラダの付け合わせで出しました。


ペコロス。
小ぶりなプチオニオンのことをペコロスと呼びます。
ウィキペディアによるとペコロスという呼名は日本独自のものとなってます。
だけど由来は不明だそうです。

僕が思うにこの「ペコロス」は、
ペコロスと呼ばれる以前、
古代ギリシャのスパルタで生まれた発育の遅い子供のように、
谷底に捨てられていたのだと思います。

それがペコロスと呼ばれることによって、
「ペコロス?なんだ、かわいいじゃないか」という気持ちになり、
「かわいいから丸ごと使った料理にしよう」と。
発育の悪い玉ねぎは、
ペコロスと名付けられることによって守られた。

鹿とバンビ、
猪とうり坊、
鶏とひよこのような、
玉ねぎもそういう親子関係を築いた。

きゅうりを憶い出してください。
今スーパーに行けば小さいきゅうりがビニール袋にぎゅうぎゅう詰めにされて、
格安の値段で売られています。
そのきゅうりの商品名は「摘果きゅうり」と名付けられています。

摘果きゅうり。
悲壮な感じがありませんか。
一体誰が彼らを救いたいと思うんでしょうか。
何かもっとこう、
キュウカンバーとベイビーを掛けて、
キュウカンベビーとかにしたらどうでしょうか。
ピクルスとか糠漬けにして救ってあげようという気持ちにならないですかね。

あるいは。
ペコロスという名前が付けられたのは、
日本のどこかに玉ねぎ界でのし上がろうと考える人がいて、
その野心的な人物が小ぶりな玉ねぎの新しい市場を作るために、
かわいさ狙いを打って出た銭儲けのストーリーがあるかもしれない。

いや、やっぱり救いたい気持ちからだ。
いやいや、売ることが目的だったのだ。
いやいやいや、
ペコロスは甘くて柔らくて美味しいから、
ペコロスになったのだ。

2014年5月5日月曜日

お香と髭剃り

部屋でたまにお香を炊くんですけど、
その横に電動髭剃りを置いていたら匂いが染みて、
朝剃るたびにお香の良い匂いがするようになりました。
今は貰い物のナグチャンパを炊いてます。

今までは水洗いと、
定期的にハンドソープを使って洗っていたぐらいだったので、
髭剃りを「良い香りが漂う道具」だと思ったことはありませんでした。
それが最近では髭剃りがちょっとしたリラックスタイムです。

髭剃りをするとお香が立ち昇るなんて、
なんて詩的なんだろう!
これはぜひとも男性スタッフたちに勧めてあげよう。

そう思って教えてあげると、
「え?髭剃り洗浄液使ってないの?
レモンの香りとか色々あるよ」
と言われました。

そこで分かりました。
文明社会とは適材適所なのだ。
変な組み合わせの無い世界なんだ。

昭和はたぶん石鹸一個で体から食器まで洗う世界でした。
(いや、そんなのは明治・大正ぐらいか?)
ともかく、それに対して、
台所用洗剤と風呂場用洗剤と金属用洗剤とトイレ洗剤が、
それぞれ配置されていくというのがグローバリズムなんです。
僕はそう再認識しました。

パスタにはオリーブオイル、
餃子にはごま油、
お菓子には菜種油。
こんな感じの、セット思考が一般的です。

立川志の輔の落語で、
嫁から薬局の買い物に行かされた旦那の話しがありました。
上に書いたみたいに洗剤がたくさん並ぶ棚の前に立って、
“普通の洗剤”というものもありました。

その違いを薬局の店員に説明してもらうんですけど、
「普通の洗剤は結局、
台所でも風呂場でも金属でもトイレでも使える洗剤だよね?」
と問い詰めて店員を困らせるという話しでした。

だから僕は髭剃り洗浄液は買わない、
と言いたいわけでもないです。
それはもう髭剃り洗浄液なら、
ハンドソープよりきれいに洗えるのかもしれないし、
お香よりも良い香りがするかもしれないし、
そんな便利なものならちょっと使ってみたいと思いました。

だけど僕はこの、
髭剃りとお香の変な組み合わせで、
髭剃り中に良い匂いがしてきたことについ嬉しくなったんです。
「おれだけの発見」な気がして。

ということで、今日も良い気持ちで髭を剃って仕事に行きます。

子供の日です。
雨予報ですけど、できるイベントはやってます。
メダカすくいとか、
英会話でおがくず鉛筆を作るとかやってますんで、
よかったら遊びに来てください。