2013年3月31日日曜日

ふるさと観光

高橋秀実の『からくり民主主義』を読んでます。
この人の本を読むのは、
1年ぐらい前に『はい、泳げません』で
作者の気持ちに激しく共感した以来です。

秀実は、泳げない人の気持ちを細部まで言葉にした。
溺れたり息継ぎができない状況の描写は
かなりリアリティーがあった。
成人以降に泳ぎの練習をはじめた僕にはよく分かる。

ともかく、今回も共感する章がありました。
「第3章 忘れがたきふるさと」です。
人は〈ふるさと〉を一つの視点でしか見ていない、
と秀実は言っている。
つまりこういうことです。

豊かな自然。
あたたかい人情。
古くからの言い伝え。

〈ふるさと〉と聞けばそんなイメージを
勝手に抱いているのではないか、と。
〈ふるさと〉はほんとうのところ、
観光地化した場所のことをそう呼んでいるのであって、
自然や人情、言い伝えなんて幻想なのかもしれないのだ。

白川郷の住人に秀実がインタビューする。
「こっちは忙しく仕事してんのに、
いちいち話しかけてくるんです。
いい加減にしろ、と言いたい。
田舎者だと思ってバカにしてますよね」
(合掌造りの家に住む水道屋)

秀実が町の感想を述べる。
「町内には「話しかけないでください」という
張り紙まであった。
東京からアクセスが悪い白川村は、
観光客のほとんどが関西方面。
方言丸出しで、私からすると観光客のほうが田舎者である」

〈ふるさと〉と呼ばれるような場所は、
住人もふるさと表現に勤めなければいけない。
エアコンは木目に塗って見えないところに隠す。
洗濯物は通りから見えないように裏に干す。

住人は観光客が落としていく稼ぎと引き換えに、
普通の生活ができなくなる。
家の中を汚いままにしていてはいけない。
〈ふるさと〉的生活は、観光客が見物のために
勝手に家の中に入ってくるから。

上の引用はただ面白かったということで、
僕が思ったのはこういうことでした。
〈旅行〉と〈観光〉をごちゃ混ぜにすることがあるな、と。

〈ふるさと〉を巡ることを旅と呼んでいいのか。
旅はどこに行っても旅になる。
でも、〈ふるさと〉に行くかぎりその人にとっては観光にしかならない。

あ、でも観光自体がそういう意味なのか?
観測点を決めてスポットライトを当てることか。
観光はそういう意味だと思う。
白川郷は当時のまま?の現物をとどめて、
住人はその生活を再現している。
観光客は当時の文化を学ぶことができる。
できるのか?
イライラ気味の住人がいる場所を訪ねて。
それは当時の文化を知るよりも、
エアコンをカモフラージュする今の文化を知ることになる。
見つけることができれば。
そうすると、観光から旅にレベルアップしそうだ。

2013年3月30日土曜日

種蒔きと時間軸

4月は種蒔きシーズンです。
オーシャンの隣のハーブガーデンは少しずつ開墾が進んで、
店で使うハーブやサラダは、
そこから収穫したものが少なくないです。

今月は色んな種を蒔く予定で、
この成果が夏に現れてきます。
種蒔きはすぐに結果が見えない。
だから、今イメージしてることと、
夏に考えてることが一致しないという問題があります。

去年僕の中ではパクチー旋風が巻き起こっており、
日本全国がパクチーに取り憑かれるイメージを持ってました。
とにかく畑の隙間という隙間すべてに
パクチーの種を蒔きました。
去年の春のことです。

そして夏がきました。
パクチー、パクチー、パクチー。
あっちを向いてもこっちを向いてもすべてパクチー。
足の踏み場がなくなるほどのパクチーができました。

夏、僕の中からパクチー旋風は通り過ぎていました。
僕の興味はパクチーから紫蘇に移っていた。
気持ちは「紫蘇が来る!」しかなかった。
こういう人間のことを〈時間軸のない人〉と言うそうです。

それに対して〈時間軸のある人〉というのは四次元の視点を持っていて、
たとえばガーデニングをやっている人であれば、
四季を通して植えるものを考える。
また、季節によって育つ植物が変わることを見越して植える。

冬には葉物が少なくなるから、
地中で育つ根菜を増やそうとか。
秋には柿、冬にはみかんやレモン、
春にはハッサク、夏には桃、
というようにどの季節でも楽しめる手入れをする。

空いてる場所全部ルッコラを蒔きたい気持ちをこらえて、
今年は配分に気を付けたいと思います。

2013年3月29日金曜日

ゴーストライター

仕事を休んだ。
休みたかった。
理由は言いたくない。
なぜかと言うと風邪というのが恥ずかしく思うから。
(カゼとは読まずに、自分のだらしない生活のツケと読んでしまう)
けれども、恥ずかしいと思う自分は
社会人としてまともな所がちょっと残っているなとも思う。
もう休みだから何でもかんでも思っちゃう。

喉が痛く、関節が痛い。
だるい、眠い、頭がぼーっとする。
ぼーっとしているのはいつものことだ、
と突っ込まれそうだが、
今日ぼーっとしているのは薬(クスリとは読まない。今日はヤクと読みたい)
によるものなのだ。

そんな時に限って面倒な友人が訪問して来ている。
(今日はめんどうとは読まず、
「無駄に話しかけてきてもういやになる」と読みたい)
その面倒な人にパンケーキを焼いてもらった。
その人のパンケーキは硬かった。
文句をいうと、もっと硬いパンケーキになった。

さらに、一昨日アメリカから訪ねてきた母もいる。
(ハハとは読まずに、このブログを読んでいる人にお礼を言いたい)
人に囲まれての朝食は久しぶりだ。
母は掃除をしている。
僕は掃除が出来ない。
母は掃除がうまいとは言えない。
掃除が出来ない僕からそう思われている母。

しかし、面倒な友人は母をそんな風には考えていないようだ。
掃除をしている母に対しては賞賛の眼差しを送っているように見える。
が、部屋を散らかして床に伏している僕に対しては
軽蔑の念をいだいているようだ。

確かに!洗濯物を屑かごの縁に引っ掛けて干している自分。
一人暮らしというのはそういうもんなんだよ!と昔の自分が言った。
だけど今の自分はそういう軽蔑に対して、
ハンガーにかけ直す柔軟な姿勢を見せている。

とにかく、
風邪薬面倒母(かぜぐすりめんどうぼ)なのである。

*風邪薬面倒母………読者のみなさんと支えてくれる母と友人への感謝をどう自分の中から見出して伝えるのか、そして、来月に控えた引っ越しの準備をダラダラせずにしっかりとやらなければ、と踏ん切りをつけようにもつけることのできない社会的にも身体的にもぼーっとしている僕のこと。(友人の言葉より引用)

2013年3月28日木曜日

春のふくらはぎ

今日はモーニングヨガの日です。
みなさんはヨガしてますか?
僕は月に二回はヨガしてます。
フットサルチーム・オーシャンズの活動が月に二回あり、
そこではヨガがウォーミングアップになってます。

気をつけないといけないのは、
あまり難易度の高いポーズをとると、
足がガクガクきて試合にならなくなってしまうことです。

春の到来はカレンダーだけじゃ分かりません。
それと春は、温度で感じるだけでもありません。
たとえホトトギスが鳴いたって分からない。
春の到来は筋肉の張りで分かります。
特にふくらはぎの張りで。

冬の間はヨガを終えたときから
もうふくらはぎが張りはじめて、
いつツってしまうか分からない状態からはじまります。
足の動きも棒のようでしなやかさがない。

それが春になると、
二時間走り回っていても、
張りがこない。
春がきても張りはこない。

・・・もう一声なんか欲しい。
「花見で腹の張る人とは裏腹に、
春がきても張りはこない」

あんまりうまい気がしない。
ダメだ。
時間切れです。
もう出勤せねば。

ふくらはぎの話だけど、
話はふくらまない。

2013年3月27日水曜日

原木シイタケの収穫

この時期、原木シイタケがよく収穫できます。
幡豆の山の中で、木に囲まれた暗い一角に栽培コーナーがあります。
長い横棒に、太めの短い木を何本も立てかけて、
その短い木の方からぴょこぴょこシイタケが生えてきます。

湿気と一定の気温が必要なので、
林の湿地帯が丁度良いそうです。
特に雨上がりのあったかい日は、
木から傘をさしたシイタケの子どもが何本も出てくる。
キノコは人を狂気に駆り立てる。
宮本さんが朝シイタケを畑から届けてくれるとき、
目は血走って、
までいかないですけどハイになってます。

あるていどの大きさになったら収穫しないと、
地面に落ちて朽ちてしまう。
拳サイズぐらいが大きめなほうで、
小さいまま育たないやつもある。
それぞれサイズも形状もぜんぶちがう。

その、もぎたてのシイタケを厚切りにして、
強火にかけたフライパンで軽く焦げ目が付くぐらいに焼く。
火を止めてしょう油をほんの少しフライパンの上にかけると、
良い香りが立つ。
シイタケのステーキ。
しんなりしてしまう前に食べる。

野菜とも肉とも魚貝ともちがうこのぷにぷに感。
弾力があるけど、軽く歯で裂けるやわらかさがある。
原木シイタケは魔力を放ってます。

今日はどれだけ収穫があるんだろう。
今夜は満月BARです。
キャンドルナイトを楽しみにきてください。

2013年3月26日火曜日

ウェットスーツの採寸

[カフェ・オーシャン]の店の下では
セレクトショップの[アイランド・サーフ]が営業してます。
アウトドアものから普段着まで揃えてますけど、
ウェットスーツも買えます。

こないだスタッフのT郎が
お客さんの体の採寸をしてました。
オーダーで作るウェットスーツのために。
僕が知ってる服の採寸といったら、
ウェストとか肩幅とか、女性ならバストとかそれぐらいです。
ところがウェットスーツにはその他に何十項目も計る部位がある。

たとえば腕一本とってみてもこれだけあります。
◎ゆき丈
◎そで丈
◎腕付け根囲
◎大腕囲
◎ひじ囲
◎ひじ下囲
◎手首囲

これだけサイズをぴしりと計って作ると
スーツが体に吸盤みたいに吸い付くそうです。
水の侵入をまったく許さない。
僕は何度かレンタルのウェットスーツを着ましたけど、
それでもあのぴったり感は脱げなくなるじゃないかと、
巨大ダコに巻き付かれたような恐怖を味わった。

でもそれを必要とする人たちにとっては
かけがえのないものなんでしょうね。
女性も体の輪郭をすべて計られることを厭わず
オーダーで作るのもそれだけの価値があるからでしょう。

女性用のサイズ記入用紙を見ていたらこういう項目がありました。
◎アンダーバスト
◎乳下がり
◎乳頭間

僕はT郎にどうやって計るのか聞いてみました。
彼はこう言いました。
「おれは計れない」
そういうときはオーナーの小夜子さんを呼ぶそうです。

それで僕は小夜子さんに聞いてみました。
乳頭間って何かと聞かれたらどう言うのか?」
「トップとか、胸のヘッドとかかな。男性店員ならね。
私だったら乳首でいいけど」

小夜子さんはT郎にアドバイスしました。
「男性店員でも当たり前という雰囲気で計ればおかしくない」
T郎はうーんと頭を抱えました。それでこう言いました。
「おれはそんな雰囲気出せない!」

照れ屋のサーフショップ店員、T郎をどうぞよろしく。

2013年3月25日月曜日

昼更新で活性化

筋トレも一定のレベルに慣れてきて、
負荷ががかからないようになってくると、
効果が上がらなくなるという。
そういうとき筋トレの内容を
変化させるかレベルを上げるかして、
また負荷をかけるようにすると
たぶんイチローあたりは言ってると思う。

僕も毎日ブログを朝更新しているので、
たまには変化をつけて活性化を狙いたい。
今日は昼に更新した。

というのは一つの理由で、
もう一つの理由はこんな時間まで寝ていたからでした。
おはようございます。
昼です。

みなさんはきっとお腹を空かせている時間でしょう。
僕はオーシャンのスコーンを食べながらこれを書いてます。
ああおいしいなー。
このスコーンの味を知らない人が残念でならない。

そしてスコーンの友、コーヒー。
昨日淹れたエスプレッソの残りに、
インスタントコーヒーを混ぜて量を増やす。
この本物とインスタントのからみ合いが、
なかなかどうして、複雑な味を出します。

僕は5月に西尾市の市街から、
西尾市の外れの幡豆に引っ越します。
今日はその掃除で忙しいです。
午後から、忙しくなる予定です。
午後まで待とう。
午後まで自由時間ってことで。

2013年3月24日日曜日

夢の暗示

今朝こういう夢を見ました。

車で走っていると、
突然ガソリン切れになる。
車の流れが多めの片側一車線の道だ。
助手席には誰かが乗っている。
僕はその相手に困ったとかしまったとか言っている。
惰性で走っていると、
スタンドを見つけた。
ところがスタンドに入ろうとする手前で、
定休日の看板が出ていることに気付く。
スピードがだいぶ落ちて来て、
後ろの車がイライラしている。
その車は左右に頭を振って、
僕を追い抜かそうとしている。
ハザードを焚いて停まろうとしたそのとき、
少し先にもう一軒スタンドが見えた。
車は歩行者と変わらない速度で、
ギリギリの状態だ。
歩道の段差を上がる。
車はもうナメクジにでも追い越されそうなぐらいな、
這いずる動きで給油場に横付けしようとする、
その1メートル手前で目が覚める。

たぶん、
昨日晩ご飯を食べずに寝たので、
腹が減った限界で目が覚めたんだと思います。
5時11分に目が覚めて、
ホットケーキを3枚食べました。

2013年3月23日土曜日

畑のランチセット

・〈畑のランチセット〉が復活しました。
それに伴い〈お惣菜のワンプレートランチ〉が
なくなりました。

一皿で出していたものが前菜とメインに別れます。
内容も演出も良くなっていると思います。
また〈畑のランチセット〉だけ予約も取りますので、
食べに来てください。

今の品目はこういうふうになってます。
季節のサラダ——菜花と夏みかんのドレッシング、
車麩のカツ——豆腐とカシューナッツのタルタルソース、
春野菜のテリーヌ——ドライトマトと味噌のソース、
餡かけ豆乳のくず寄せ、
収穫があれば山菜の天婦羅。

畑でがんばって作ったものより、
山で勝手に生えてくるものの方が収穫が多かったりする。
そういう複雑な状況ですけど、
山菜を味わえるのはこの一か月ぐらいですから、
今だけの楽しみです。

・昨日は甘夏ジャムを作りました。
レモンジャムも作ったばかりなので、
今オーシャンはジャムずくめになってます。
柑橘系が欲しい時期になってきたので色々作ります。
ジャムのスコーンとレモン+甘夏スカッシュなど。

・ダニー・ボイル監督『127時間』を見ました。
バイオハザードよりも気持ち悪かったです。

2013年3月22日金曜日

ひよこ豆パート2

・今日もサラダにはチックピーズを載せます。
チックがひよこ、ピーが豆。ひよこ豆。
チックピーはうちの母親がよく料理で使いました。
だから長い間好きなものではなかったです。
少年時代の反抗期ゆえに。
あの、豆なのに芋っぽい感じがはっきりせずにイヤでした。

だけど最近はあの芋っぽい豆さが好きです。
サラダの他にはカレーやパスタ、スープでも使います。

・ベン・アフレック監督の『アルゴ』を見ました。
去年見た同じ監督の『ザ・タウン』は
展開の早さが面白かったですけど、
『アルゴ』は反対に展開の遅いサスペンスさがあって面白い。

主人公たちの命がかかってる電話が鳴っても誰も出ない。
もし出なければイラン人軍隊に処刑される。
そのたった一回のコールをどれだけ引っ張るんだというぐらい、
たぶん5分ぐらい引っ張る。

暴動寸前のイラン人群衆の真っただ中を、
7人のアメリカ人が乗った車がゆっくり人だかりを押しのけていく。
ガラス窓をバンバン叩かれて、
気が狂ったような叫び声を浴びせられる。

他にもたくさんこんな、なかなか先に進まない緊張感があります。
でも、たまにゆるい場面があります。
そういうのは全部ジョン・グッドマンが出てくる場面です。
やたらと声のでかいグッドマンには緊迫感がなくて、
少ない登場でも明るい記憶が残るのは僕だけでしょうか。

2013年3月21日木曜日

被害者面をした加害者

この世の中には被害者面をした加害者が
たくさんいると、
宮本さんが言ってました。
「鼻毛を出しているやつは加害者だ!」

確かに、鼻毛が出ているヤツに注意をするのは、
極めて神経を使う。
男が男に言うのも、
女が女に言うのも、
極めてナイーブである。

僕は二十歳も過ぎてから、
同級生のコウジミソという男に注意したことがある。
「ちょっとちょっと、鼻毛出てるよ」
コウジミソはむっとした。

いやいや、こっちは気を使って言ったんだし、
感謝してくれなきゃおかしいじゃないか、と僕は思う。
でも指摘されてちょっとむっとする。
分からないでもない、自分でもむっとするかもしれない。

なぜ鼻毛が出てることを指摘されると人はむっとするのか。
鼻毛が伸びるのはホルモン作用であって、
自然のありのままの姿で何が悪い、
という論理になるのだ。

だから鼻毛を指摘する側は自分が悪いことをしたと、
ちょっと気落ちする。
「鼻毛を認めないおれって、心が狭いのかな・・・」と。
しかしそれは絶対ちがう!

鼻毛が出ている人は、
むっとしたり開き直ったりすることによって、
指摘した側を加害者に転換してるが、
それは間違いです。

鼻毛出しサイドは指摘サイドに、
間違った論理を抱いている点で加害者です。
「スピード出し過ぎですよ」と運転手に注意してるのに、
「体感速度は性差によるものだからおれは間違ってない」
と法廷速度を無視して暴走を続ける。
これは被害者面をした加害者の構図です。

「鼻毛出し過ぎですよ」と注意をして、
「ホルモンバランスで体毛は伸びるのであっておれは悪くない」
これも被害者面をした加害者の構図である、ということです。

イシューは「自然体であることは正しいことばかりじゃない」
という点にあります。
もちろん鼻毛出しサイドの中には、
「おれは機能面でフィルターの役割を果たす鼻毛を意図的に蓄えているのだ」
という人もいるでしょう。
とりあえずそういう人は今回のところ論点から外します。

『バカボンド』で宮本武蔵(宮本たかしじゃない)
が目指す境地は自然体ですけど、
柳生新陰流でも○○流でも強者は修行した後に自然体に到達している。
〈鼻毛出し〉にももしかしたら流儀があれば納得できるかもしれない。
いや、できないか。

だいたいこうやってブログを書いているだけでも、
鼻毛を出している人がむっとしている気がしてならない。
やっぱり鼻毛出しは加害者にちがいない。

2013年3月20日水曜日

ひよこ豆

今日のサラダには
ガルバンゾービーンズを載せます。
ガルバンゾーって響きだけで、
元気が出ます。
今日も一日、ガルバンゾー!


2013年3月19日火曜日

ドントロストロース

『美味しんぼ(11)』の「第五話/トンカツ幕情」に、
貧乏学生が日雇いでもらった給料を奪われそうになり、
不良にポコポコ殴られているところを
トンカツ屋の主人に助けてもらう話があります。

主人は青タンだらけになった学生を元気づけてあげようと、
トンカツをご馳走します。
そのとき主人がこう言いました。

「いいかい学生さん、
トンカツをな、
トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。
それが、人間えら過ぎもしない
貧乏過ぎもしない、
ちょうどいいくらいってとこなんだ」

三〇年後、その学生はがんばった結果、
アメリカで金持ちになって日本に帰り、
もう一度そのトンカツを食べようとするが
その店はもう閉まっていた。

それでも何とかその主人を探し当てて、
もう一度トンカツを作ってもらい、
涙ながらに食べることができました。

そして僕もこの話を涙ながらに読んでいたら、
トンカツが食べたくなりました。
トンカツといったら碧南の[吉峰]です。
即駆け込ロースで〈ロースカツ定食(みそ)〉を注文する。
車で店に向かう途中にヒレにするかロースにするか
色んな葛藤を経た決定です。

[吉峰]のカツのみそは甘めの豆みそです。
揚げたてのカツにかけられた豆みそが
シューと音を立ててやってくる。
もし気を配らなければこの一瞬を失うことになる。

もし上司が大事な話をしてても、
いただきますを静かに言って、
そっと食べはじめたいところです。
頷きながら食べはじめましょう。

この一口目。シャクシャクいう衣の歯触り。
ロースの脂身。ロース。ロース。ローーーース!!
このトンカツの一口目のタイミングを
みすみす見逃してロストしてはいけない。
絶対にドントロストロース。

[吉峰]のトンカツは周りに充実感がある。
お楽しみのみそ汁がある。
旬の食材が入っている。
アサリなんかだとかなりのラッキーデイです。
ワタリガニの足がお椀の外に飛び出ている嬉しい日もあった。
逆に何も入ってないときもある。
ワカメだけのときも。
でもそれが何ですか。
毎日同じ具材を入れて季節観を失ったみそ汁と比べたら、
楽しみの数がちがいます。

そして細切りの甘いキャベツ。
特製の玉ねぎドレッシングをかける。
レモンを搾る。
この山盛りのキャベツがうまいです。

もう、これだけでご飯二杯は楽勝だっていうのに、
漬け物三種盛りが付いてきてしまう。
梅干しとナスの芥子漬け、それと季節で変わるもう一種。
昨日は瓜の粕漬けでした。
僕はこのナスの芥子漬けだけでまたご飯が一杯いけてしまう。

そういう有能な部下に囲まれた頂点にトンカツが君臨している。
このナスの芥子漬けが鼻をツンと抜けながら、
涙ぐんだところですぐにロースを食べる。
衣に染み込んだみそが刺激をやわらげる。
でも、このみその甘さと芥子の親和力は、
止まった涙も再びこぼれるハグになる。

2013年3月18日月曜日

黄昏

青年が一人
海を見に街からやってきた。
店が込み合って入れずに、
外をふらついたら、
コンテナにたどり着いた。
テーブルが一台あった。
そこに座ると
紅茶が出てきた。

青年はこう語りはじめた。
「僕がはじめて台湾ラーメンを食べたのは
愛知にきてからです。
なんっだこの辛いラーメン! とびっくりしました」

台湾ラーメンは名古屋飯の一品で、
愛知発祥だそうです。

2013年3月17日日曜日

チーズジョーク集

・木の陰からクマを誘き出すにはどんな食べ物が必要か?
「ヘイ、カマンベェアー!(Come on bear/Camembert)」
※カマンベールは英語だとルをあんまり発音しないから、
それをベアーと言うことによってジョークになる。

・誰の物でもないチーズがある。それは何?
「ナッチョーズチーズ!(Not Your cheese/Nachos cheese)」
※ナチョス=メキシコ料理。

・工場が爆発した。後に残ったものは?
「ジャストザブリー!(Brie/Debris)」
※デブリ=瓦礫。トとザを合体させてデと発音する。

僕はこれを英語で聞いて意味が分からなかったので、
ゆっくり日本語で説明してもらいました。
ジョークを説明してもらうことほど
自分がバカだと感じることもあまりないです。
「パカジャノー!(ばかじゃのー/Parmigiano)」

2013年3月16日土曜日

ヤマカン

昨日は〈普通ではないことが日常になった人〉のことを書きました。
自分が当たり前だと思っていたことが、
実は異常だったことを知ると、
良い悪いは別だとしても世界が変わる出来事になる。

僕の弟は高校生になるまで
自分の眼が悪いことに気づかなかった。
小中学校の身体検査はどうしてんだと聞いたら
「ボヤけてたから眼を細めて、勘でけっこう当たった」
と言っていた。

でも高校生のときアメリカに行って身体検査を受けたとき、
とうとう今までヤマカンだったことが発覚して、
慌ててメガネやコンタクトレンズを揃えることになった。

弟はバスケットボールをやってますけど、
コンタクトレンズを付けて最初に言った言葉はこうでした。
「ゴールが見える!」

それまでゴールは霞んでいるものだったので、
眼を細めて狙うのが当たり前だった。
これを聞いたとき「おまえはちょっとアホか?」
と言いたくなりましたけど、
彼にとってはそれが日常の世界で、
みんな一緒だと考えてたら不思議にも思わないかもしれない。

日常だと思っていた世界は毎日変わっている。
今日は京都で自転車を借りたら、
カゴのなかに靴下が片っぽ入っていました。
日常の僕ならこの靴下はほかるものです。
しかしほからずに
カゴの中に誰のか知らない靴下を片っぽ入れとくのも、
新しい世界かもしれない。

2013年3月15日金曜日

アーリージャパニーズストーリー

ある女の子がいました。
女の子は両親とおばあちゃんと弟と一緒に住んでいて、
絵に描いたように仲の良い家族です。
ショッピングとなれば一緒に出かけて、
晩ご飯はいつもみんなが揃ってから一緒に食べる。

女の子が中学生から高校生にかけての時期、
体調に異変がありました。
風邪や熱があるわけではないのに、
体がだるくなったり
突然気分が悪くなって嘔吐するようになりました。

はじめ女の子は親や学校の保健所にいる先生に相談しました。
でもはっきりした原因が分からなかったので、
いつからか女の子はその体調の悪さも生活の一部になりました。
「年頃の女の子の精神的なものかな」というふうに考えて、
誰かに相談することもなくなったそうです。

ところが女の子が大学生になると、
その突然やってくる体調の悪さがピタリとなくなりました。
突然頭がぼんやりしてくることも、
関節が痛くなることもなくなった。

長いトンネルに入ったうちに、
暗いことが当たり前になっていた彼女にとって、
くぐり抜けたときの気分は信じられないものでした。
人にとってこの明るさが日常のものだったことと、
自分がとんでもなくヒドイ状態にあったことを知って、
嬉しいやら驚きでいっぱいになりました。

でもすぐに、女の子のその明るい気持ちを
暗い気持ちに変える出来事が起きました。
大学で一人暮らしをはじめた途端彼女の体調が良くなって、
もう一度病院で検査を受けると、
これまでの原因はアレルギー反応だったことが分かりました。

彼女は家に帰って、
その結果を家族に話しました。
両親とおばあちゃんに話しをするとき、
彼女は涙が止まらなかったと言いました。

昔からおばあちゃんは料理上手で、
共働きだった両親を支えていたのが
おばあちゃんの手料理でした。
その中でも女の子は肉じゃがが大好きで、
おばあちゃんはそれに応えて
どの料理よりもたくさん彼女のために肉じゃがを作ってあげました。

女の子のアレルギーは澱粉だったのです。
おばあちゃんにお願いして作ってもらっていた料理が原因で、
彼女の体調が悪くなっていたことを告げることになってしまう。
おばあちゃんに責任を感じさせてしまうことを考えると
彼女はたまらなく泣けてきてしまったのです。

もちろん彼女が心配することはありませんでした。
家族の仲は一緒に過ごす時間が長くなればなるほど、
良い家族になってるように見えます。
おばあちゃんは今も彼女においしい手料理を作ってあげてます。
それも新しい料理を習いはじめて。

2013年3月14日木曜日

しつこい癖

僕は最近こういう言い方が癖になってると思う。
「人は〜〜」
「人生は〜〜」
こういう癖を普遍化癖と呼ぶことにしてます。
ただのエゴとも言う。

少し前までは、象徴的解釈癖があった。
たとえば、
「同僚の結婚が破談になって、先輩は離婚して、
恋に破れた人がいる。これは、変革の年だ」とか。
「丸太をかついでぶつけあう祭りは、子孫繁栄を意味する」とか。
出来事を一括りにまとめるような考え方をすることがある。
象徴的解釈癖は我田引水になりやすくて、
他の考えをしなくなる。

10年ぐらい前にはポジティブ思考癖があった。
「自分がネガティブに考え込むことは、
それ自体が自分の性格だからネガティブは悪いことじゃない」と。
「元気がない? じゃ元気がないことを全面的に出してこうよ!」
というパターンもあった。
後ろ向きを否定する習慣。

人はこういう癖に犯されることによって、
象徴的に人間となるが、
それ以外どういう生き方があるのか。
というふうに、考え癖がミッスクしてしまうこともある。

昨日はまたミックススムージーを試作で作りました。
フルーツもろもろとヨーグルトと豆乳バージョンに、
ヨーグルト無しバージョンの2タイプを作りました。
評判は豆乳無しの方が断然よかったです。
「何事も材料を足していけばいいってもんじゃないですね」
とやっぱり普遍化したセリフを僕は発する。

人は、人は、と言っているとき、
こうやって怒られたことがある。
「僕は、と言え。自分はどうなんだ」

僕は、直火式のエスプレッソメーカーを買いました。
粉をどの荒さで挽いてドリップして蒸らしてとかが
果てしなくめんどくさかったことと比べると、
これは楽かもしれない。

2013年3月13日水曜日

老舗の体験

友達が下呂の[湯之島館]で仲居をしているということで、
その姿を見に行く名目で行ってきたんですけど良い旅館でした。
少し前に[富士屋ホテル]に行ったことを書きましたけど、
そういうクラシックホテルと同じ雰囲気がある。
建物が生きてる。

昔から使われているものがそのまま使われてる。
便利であるとか、
デザインがいいからとかを越えて、
長く使われてる古い物は空気に溶け込んでいて、
それが建物に生きてる感を帯びさせていることだと思う。

古くてカッコいい物はよく
新しい店で使われてたりする。
アンティーク調というのがあるけど、
それはそれで雰囲気が作れるから役に立つ。
オーシャンにもアンティーク調のインテリアや、
わざと古びた木の材料を使ってる。

そういうアンティーク調の物は、
だいたいがまだその建物に馴染んでいるようには見えない。
「浮いている」までいかないにしても、
その場に長い間あって使われてきた物ではないことが一目でバレる。

老舗の、目で見える範囲のいちばんの魅力は、
古いものがそのままキレイに使われていることだと思う。
すべてが新型の空調機具ではなくて、
何十年か前のオイルヒーターが、
図体がでかく場所を取って燃費も悪そうに置かれてる。
でもそれが手入れをされて活かされてるのを見ると、
なぜか安心感が湧いてくる。

車だって新型の方が燃費も良いし、
乗り心地もきっと良いだろうに、
[湯之島館]の送迎バスは年季が入ってる。
だからといって古さを感じさせないで、
この場所にしかない物になってる。

出会ったものがこの場所にしかないと思うと、
この旅の体験自体が、
「今この場所のことは自分だけが体験してる」
というような特別な体験になる。

この旅館の売店で「げろぐるラーメン」というのが売っていて
どんな味なのか気になりましたけど買いませんでした。
それから「しらさぎ物語」のサンドアイスクリームを
一緒に行った人たちが食べてましたけど、
あの固めのサクサク感はないそうです。

2013年3月12日火曜日

百合根と芋

昨日は懐石料理を習う料理教室に行ってきました。
百合根、加茂川のり、防風の葉、ぶどうのし梅、
知らない食材を色々使うのは混乱しますけど、
新しい発見にもなって楽しかったです。

東寺湯葉という料理がうまかったです。
蒸した百合根とえび、桜麩を湯葉で包んで、
さっと揚げる。
「さっと揚げる」ことを先生は「油をまとわせる」と言ってました。
その油をまとわせた湯葉をさっとすくってすぐに出汁に浸す。
それを食べる。
えびの歯ごたえと百合根のホクホク感が良い組み合わせです。
そして当たりくじみたいに一個だけ入ってる麩が、
ちょうど良いタイミングでもちもちやってきてうまいです。

教室が終わってから「ワイドビューひだ」で、
下呂の[湯之島館]に向かう。
昭和六年創業だそうで、
門構えは当時のまま残されている。
提灯がぶら下がっていて、
昭和よりもっと昔の建物に見える。

夜も懐石料理で、ここでも百合根を食べる。
小鉢に西京みそでからめてある。
ホクホク感があってやっぱりうまいです。

百合根のホクホク感は芋系のホクホクほどズッシリはしてない。
芋ばっかり食べていると芋野郎と言われそうですけど、
百合根ばっかり食べていても見下されることはなさそうです。
何なのでしょうかこの、
花の一部を食べてると思うと何か贅沢な気分になってくるのは。

そういえばこないだキクイモというのを食べましたけど、
いくら花の名前が入ってるからといっても、
芋は芋でした。
特徴としてはシャキホクでした。

2013年3月11日月曜日

ちょっと大人なスムージ

・レモンジャムを作りました。
60個近くのレモンを20ℓの寸胴鍋で。
使った材料はレモンの皮に搾り汁と、
甜菜糖とはちみつです。

去年も同じやり方で作りました。
無農薬のレモンの皮は半分千切りにして、
煮詰めてから、
半分フードプロセッサーにかけた後、
全部一緒に煮る。

だいたいレシピに乗っ取りましたけど、
うまくいかない。
とろみがつかない。
水を入れ過ぎたと思って煮詰めたけど、
ジャムにしてはシャビシャビ過ぎる。

しかも、水分を飛ばして粘着を出そうと思ったら、
煮詰めているうちに色がカラメル色になってしまった。
レシピはグラニュー糖だったんですけど、
オーシャンの甘味料は粗糖と甜菜糖が基本で、
去年は粗糖でうまく行かず、
今年は甜菜糖でと思ったけどこれも理想通りとは行かなかった。

救いは、
味がおいしいことと、
スーッと鼻を通るすがすがしい柑橘の香りがあることです。
花粉症の人にはオススメしたいドリンクこの春ナンバーワン、
という宣伝文句も謳えそうなぐらいです。

このレモンシロップを使って(シロップという呼び方にすれば、
ジェリー感がないのも気にならない)
今考えてるメニューはミックススムージーです。
イメージは「あの頃のフルーツ・オレ」。

僕にとって「あの頃のフルーツ・オレ」は、
コンビニにパックで売ってる100円のフルーツ・オレです。
昔、僕はフルーツ・オレが大好きでした。
それで大人になった今、僕が求めるものは、
あれよりももっと濃厚でシャープで本物のフルーツの味です。
そして作りました。

みかんとバナナとこのレモンシロップに、
豆乳ヨーグルトを加えたミックススムージー。
試作したところ「ちょっと大人なスムージ」になりました。
レモンシロップの苦味がちょっと利いている。

まだメニューに出してないですけど、
もうちょっと試作して、
来週から出そうと思ってます。

・東日本大震災から二年、
僕の周りの食べ物がシンプル化している。
どんな材料を使っているのか簡単に説明できる。
だけど単純にならず、
ポリフォニックな味を出していきたい。

2013年3月10日日曜日

最近影の薄い油揚げ

・最近文章が書き辛いと思っていたら、
本を読んでないことに気付きました。
読んでないと、書くのが難しくなる。
疑問が湧かなくなるのか?
それとも、現状維持が苦痛でなくなるからなのか?

本は読みはじめると知らない世界が増えるから、
それに伴って疑問が湧いてくる。
読む、調べる、別のを読む、別のことを調べる。
終わりのない読書タイム。

本を読みはじめると現状維持が我慢できなくなる。
新しい知識を得るとそれを試してみたくなる、
変化が欲しくなる。
それに対して、自分の持ってる知識で満足すると、
現状に充実感が出てきて変化しようと思わなくなる。

・僕とJ子店長は餅入り巾着の巾着の部分の名称を思い出せずにいた。
お客さんに料理の説明しないといけない。
みなさんはあの〈揚げの部分〉をすぐに言えますか?
僕「なんでしたっけ、厚揚げじゃなくて。パッケージに書いてませんか?」
J子店長が放送袋を見る。「『お揚げさん』としか書いてない!」
さすがにお客さんに〈お揚げさん〉と説明するのは滑稽です。

しばらくの間、僕とJ子店長腕を組んで考えたが思い出せない。
ホールを担当中のヨッシーが厨房に戻って来て、
お客さんを待たせていたので慌てて聞いてみる。
「え!? 油揚げのことですか?」

これをただ単純な物忘れと考えていいのだろうか。
日本文化が誇るあの淡い食感の〈お揚げさん〉、
ではなくて〈油揚げ〉という食材が日常から抜け落ちてはいないか?
〈油揚げ〉に対する位置付けが現代人の中で下がってはいないか?

僕は昨日突然、油揚げのことが心配になりました。
自分とJ子店長の物忘れはぜんぜん心配してません。
油揚げの薄れた存在、それが心配です。

2013年3月9日土曜日

ハーフの可能性

お客さんのIさんから雑誌の『Newsweek』をもらいました。
Iさんはページを開いて僕に見せてくれました。

「横綱・大鵬が示したハーフと移民の可能性」

タイトルだけ見るとハーフの僕に役立ちそうな記事です。
Iさんの心遣いを無駄にしないためにも、
僕はこの記事から自分の可能性を検討しよう。
そういう意思を持って読む。
経済情報とか、
ジャーナル記事とか、
そういうものはすっ飛ばしてハーフの記事を読む。

「この種のカップル(国際結婚)から生まれる子供は、
ハーフではなく『ダブル』と呼ぶべきだ。
2つの異なる分化を持つ彼らは、
日本と世界の架け橋になるだろう」

このライターは日本がもっと移民を受け入れることを勧めてる。
外国人労働者の抵抗を和らげる存在としての架け橋こそ、
ダブルが担うと言っている。
日本人はいくら欧米化してるといっても、
外国人と共に仕事をすることに慣れてない。

だから外国戸籍の人が日本で仕事をしようとするとき、
良い仕事につける層は他の先進諸国に比べて少ない。
それが日本国家の成長の妨げになっている要因で、
そういった見えない壁に穴を穿つのがダブルである、
というようなことだった。

そういえばしばらく前に、
西尾で口の悪さに関して右に出るものはいない
神谷さんという人のことをブログに書きましたけど、
その人は僕を指差してこう言いました。
「アホか! お前はバイバスだ!」

神谷さんは冒頭か語尾にだいたい「アホか」が付きます。
神谷さんのことはともかく、架け橋やバイバスの意味として、
海外とのつながり強化を目指すことがハーフの可能性らしいです。

僕は欧米人が来ても日本語しか喋れないふうに装ったり、
(というかそれがほぼありのままですけど)
オーシャンに来た外国人の通訳を後輩のヤーマンに託したり、
僕のハーフとしての存在は架け橋どころか鎖国状態です。

2013年3月8日金曜日

レモン搾り

・レモンジャムとレモンバターを作るために、
昨日は収穫した無農薬のレモンを搾り続けました。
レモンジャムはお菓子に使います。
レモンバターは作ったことないので
どうなるか分かりません。

バターは植物性のパーム油を使って作るので、
正確にはレモンマーガリンです。
パンに塗って食べるとおいしい予定です。
ワッフルに塗っても、
ケーキに使っても、
想像するかぎりおいしい予定です。

・先週からサラダが春っぽくなってます。
新芽がよく穫れます。
ルッコラや水菜、ノラボウナの新芽。
なかなか数は穫れないですけど、
サラダの中に混じってる人はラッキーだと思って、
葉っぱの中を探ってみてください。

2013年3月7日木曜日

バリバリ豆乳カプチーノ

昨日はバリスタ講習がありました。
タイトルは「目指せバリバリバリスター」です。
肌理の細かいスチームミルクを作る、
まずはそれを目標にして、
それからラテアートという
オシャレテクニックを覚える計画です。

オーシャンのカプチーノは豆乳カプチーノです。
牛乳に比べて脂質も糖分も低いことで、
泡を肌理細かくするのが難しい。
だから、論理では油や砂糖を加えれば泡を作りやすくなる。

講習を受けて分かりました。
豆乳をどうこうする前に、
泡作りをちゃんとしなければいけなかった。
先生は泡を作るプロセスをこう教えてくれました。

①空気を入れる
②空気を潰す
③あっためる

ノズルから出てくる蒸気を操って、
この三つのプロセスをほぼ同時に行う。
10秒ほどの作業で、
10個ほど確認しないといけないことがある。

それは昨日教えてもらったことだけなので、
バリスタ職人である先生からしたらもっといくらでも
作業と同時に確認することがあると思う。

オーシャンの仕事は〈一瞬の勝負〉の要素よりも、
農業主体のせいなのか四季とか一年とか、
長い時間をかけることの方に
スタッフが慣れてるかもしれない。

しばらくの間、
出勤したら自分のカプチーノを作る朝が続きそうです。

2013年3月6日水曜日

種蒔き作戦

・オーシャンのスタッフはそれぞれ自己流の生活をしてるので、
10人近くのスタッフですけど、
全員が集まるとということはなかなか難しい。
それでもちゃんとミーティングは行われます。

昨日は種蒔きに備えて「種蒔きミーティング」が行われました。
オーシャンの店の隣にはハーブガーデンがありますけど、
そこでスタッフに担当ガーデンが割り振られました。
何を植えるかは自己申請型です。

僕はレッドルビンバジルと、
ナスタチウムを植えることにしました。
レッドルビンバジルはスタッフのハワイ旅行のお土産で、
赤紫蘇っぽいバジルです。
ドレッシングやパスタなど色々使えそうです。

ナスタチウムは葉っぱも花もサラダで食べるとおいしくて、
サラダの見栄えが華やかになる。
これは去年植えたんですけど
「まかない」で食べるぐらいの量しかなかったので、
今回は夏のサラダにしっかり盛れるように作ります。

・お店では今週末まで家坂美朱さんの展示会、
「ちくちくカタカタ 布と色」をやってます。
かわいいバッグやエプロンが並んでます。
とうとう僕もマイエプロンを買ってしまった。

仕事上仕事のためのエプロンは巻きますけど、
今回は自分上自分のためのエプロンです。
エプロンを巻くと飛び散りも楽しくなることが分かりました。
それまではトマトの飛び散りなど、
避けるという頭しかありませんでした。

人生は経るごとに避けるものが少なくなるのだ。
トマトなんて怖くないと思えて、
大分厨房も楽になったこの頃です。

2013年3月5日火曜日

移動をしない人

「種を撒けば、後は大地が何とかしてくれる。
今はじめて土地に感謝してる」
ちょっとちがう言い回しだったかもしれないですけど、
こういうことを瓦礫が散らばる空地で
蕎麦の種を撒きながら77歳の佐藤直志さんは言っていました。

僕はこの『先祖になる』というドキュメンタリー映画を見る前に運よく、
池谷薫監督と会って話を聞くことができました。
こんな贅沢な見方はそうそうできないと思いながら映画を見に行きました。
どんなアドバイスをもらったかは
こないだのブログにちょっと書きました。

せっかく監督と会ったのに、
その経験を活かせなかったらもったいない気がする。
もったいない根性。
人間を突き動かす原動力の大部分が〈欲望〉でしょうけど、
僕の場合貧乏性なので〈もったいない根性〉が原動力になることが
けっこう多い。

直志さんが77歳なのに力に満ちた存在でいられる理由は何?
その原動力は何?
と考えると〈土地に対する気持ち〉が
僕には想像できないくらい強いのだと感じた。
直志さんは妻と離れてまでその震災にあった家を離れなかった。
直志さんはこう言った。

「仮設住宅には行かない。
そこに2年も3年もいたら、
勤労意欲も失くしてしまう。
もらい癖が付いたら人間ダメになる」

これもちょっとちがう東北弁の言い回しでしたけど、
自分が働ける場所からは遠ざりたくはないということ。
土地に根ざした生活をしている人間にとっては、
その土地で生きること自体が体にとって力になっている。

そういう土地から得られる力があるんだということは、
薄々自分でもあるんだと意識はする。
でも自分自身にとってはまだ希薄で、
今いる場所から力を得るまでに至っているようには思えない。

僕は自分がグローバル社会に生きる一国民だと思っていた。
気軽に思い立てばどこにでも行けるし、
インターネットで世界とつながれるとも思える。

だから、と言うとおかしいかもしれないですけど、
どこかに行きたいという気持ちがなくなる。
今いる場所でとりあえず何でもできるし、
情報によって世界のことを掴める、という頭になってしまうから。

どこか外国に行こうと思わなかったり、
アメリカ人の母親の言葉を覚えようという気持ちも湧いてこない。
直志さんが自分の土地を離れないのとはまた別の理由で離れられない。
それは僕が〈日本で事足りる〉という感覚に浸っているからだと思う。

この『先祖になる』という作品を見て僕がいちばん思ったのは、
僕が移動しないのと、
直志さんが移動しないことは全く別物だった、ということでした。
僕の〈日本で事足りる〉感は、
直志さんの〈土地に対する気持ち〉は入っていない。

僕の〈日本で事足りる〉感の中には、
外国の土地も日本の土地も、
自分が住んでいる西尾市の土地ですら入っていないじゃないかと思う。
それじゃ何で事足りると思ってしまうのか。
何でも知れる、と勘違いでも思ってしまうからだと思う。
ほんとは知らないと分かっていても。

結論は、
グローバル社会の一国民は、
土地から得られる力を取り損なっていてもったいない、
ということ。
・・・もったいない根性にまた戻ってきてしまった。

2013年3月4日月曜日

中外がファジーな展示

・昨日と一昨日とオーシャンには、
お菓子の〈のこ〉さんとコーヒー焙煎からしている〈mamedoi〉さんが
お店に来てくれて出店してくれました。
普段のオーシャンとはちがった雰囲気があってよかったです。

のこさんのお菓子は見た目がマンガに出てくるものみたいで、
ショートケーキやシュークリームがノッポで背が高い。
ロールケーキは期待以上のホイップクリームが詰まってる太巻きで、
タルトが並ぶお盆の上はメルヘンタッチな物語がありました。

マメドイさんもお店の一角を使って、
一杯出しのコーヒーを入れる場所を設置しました。
そのコーヒーミルがまた一人前の豆を挽くのには、
大袈裟なほど背が高くてノッポなんですけど、
その大きな機械が豆を均一に挽いておいしく淹れる秘訣なのだそうです。

今回のようにお店の中の一角を使ってお菓子を並べたり
ドリンクを淹れたりするのははじめてでしたけど、
お店の中なのに外の市場みたいな雰囲気がありました。
だから普段と比べてお客さんも店内を歩き回りやすかったのか、
お店の二階では家坂美朱さんの展示会も引き続きやってることもあり、
動きまわって物色していく人たちが多かったです。

・今日は『先祖になる』を見てきます。
昨日映画の公開が8日までと書きましたけど、
22日まで上映延長が決まりました。
※昨日書いたのは訂正してあります。

2013年3月3日日曜日

映画監督への質問

昨日は縁あって『先祖になる』の監督である、
池谷薫さんに会えました。
映画監督という職業の人に会うのははじめてで、
恐る恐る行ってきました。

僕が映画監督で思い浮かべる人物像といったら、
アメリカ人ならスティーブン・スピルバーグのようなオタクみたいな人で
(オタクか知らないですけど)、
日本人なら井筒監督みたいな強面で短気そうな人です。

飲み会場所である[こはざま]は、
西尾を代表する〈江弘殻的〉飲み屋ですけど
その店の奥にあるVIPルーム(居間)の襖を開けると、
そこにやはりいました井筒系の強面が。
その人こそ池谷薫さんでした。

僕は月曜日に『先祖になる』を見に行く予定で、
まだ映画を見てもいないのにどんな話をすればいいのか
さっぱり分からなかった。
でもせっかくの機会なのに会話もせずに帰りたくはない。

だからずっとチビチビとビールを飲んでたんですけど、
飲み会も終盤になってきたころようやく勇気を出してこう聞きました。
「映画もまだ見てないんですけど、
見るときにはどんなスタンスで挑んだらいいんでしょうか?」

何を質問するのかもよく考えずに、
「質問してもいいでしょうか?」
と言ってしまって、
無理やりひねり出した質問でしたけど、
後から自分がドキュメンタリーに対して
肩に力が入りすぎてるなと思うことになる質問でした。

それに対する池谷さんの言葉を端的に言えば、
「ドキュメンタリー映画だからといってドラマ無しではダメで、
感動が必要なんだ。それと(この映画に関して)思いっきり笑ってほしい」
ということでした。

つまり、変に重く構えないでほしいと。
ドキュメンタリー映画には重たい雰囲気や、
見終わったら議論を戦わせなければ見たことにならない空気、
みんなそういう〈まじめ〉な姿勢でなきゃダメだと思っている。
そういうものを取り払って見てほしい、ということです。

2日から名古屋駅の近くのシネマスコーレで上映がはじまりました。
22日までやっています。

2013年3月2日土曜日

オーシャンレポート

・今日と明日の二日間限定で、
“ケーキとおやつ のこ”さんのスイーツ販売と、
mamedoiさんのドリップコーヒーをオーシャンで味わえます。
詳しくはホームページをどうぞ。

・そして昨日からオーシャンでは家坂美朱さんの展示会、
「ちくちくカタカタ・布と色」がはじまってます。
バッグ、スカーフ、着る物、アクセサリーが並んでます。
エプロンばかり見てしまいました。
欲しい。

エプロンを前にして欲しいと思ったのは人生初です。
きっと料理をしていなければ自分で買うことのなかったものです。
今しているエプロンは仕事上、必要であるから買ったものなので、
それがちょっと物足りなくなってきました。
やっぱり、自分の周りにあるもの全てとはいかないまでも、
可能なものは自分が好きで選んだもので固めたい。

・自分が作る料理も同じように自分の好きなもので固めたいです。
そのために、昨日はお休みをもらって、
〔mono〕さんの料理教室に行ってきました。
作ったメニューはこうでした。

バーニャカウダのソース二種類(古典的なオイル系とモダンなクリーム系)。
セモリナと薄力粉と卵黄で作るほうれん草の生パスタ。
生のハーブを四種類縛り付けて焼いたローストハム。

おいしかったです。
どのメニューも動物性の材料を使ったレシピなので、
オーシャンでは出せないものなんですけど、
おいしいものを食べて舌を慣らせば、
おいしい野菜料理を作るヒントにもなりそうです。

・最近は毎朝ホットケーキを焼いています。
ホットケーキにしても、パン、お好み焼き、たこ焼き、
小麦粉系は水と混ぜて1日置くと
小麦の旨味が出ておいしくなる聞いてやってます。
うん、おいしい気がします。
でも同時に食べないとよく分からないのでまた実験してみます。

2013年3月1日金曜日

大根役者

冬の間オーシャンの野菜は、
ブロッコリーと大根が活躍することが多かったです。
特に大根でも「紅芯大根」と「青大根」はよく使いました。

紅芯大根の外見は普通に白い皮ですけど、
切ると中側は水々しい濃いピンク色になっています。
サラダにこの輪切りを載せると見栄えが良くなる。

青大根は見た目で分かります。
見た目が「青」というか「緑」なんですけど、
皮の先端部分が白くて根元の方が緑色になっている。
この青大根を縦にまっ二つにすると、
白と緑のグラデーションがきれいです。

そのまま生で食べても大根だな、という感じですけど、
どっちも火を通すと味が別物に変わります。
茹でてパスタに使ったり、
蒸してから素揚げにしてサラダに添えたりもしました。

紅芯大根の方はもちっとした食感で、
青大根の方は芋系のほふっとした食べ応えがあります。
共に普通の白い大根と比べると味が凝縮してる。
実自体がギュッとしていて、
辛みはないんですけど甘味が強い。

野菜自体の味が濃厚なので、
白い大根と同じような料理の仕方で醤油や味醂、砂糖を使うと
濃くなりすぎてしまう。

パスタのメニューでは「季節の野菜のアーリオオーリオ」で
これらの大根を主役に出していました。
さっぱり目の味付けのオイル系パスタで食べるとこれがおいしかったです。
この濃厚な味が只者の野菜じゃないと分かります。

パスタの多くが魚貝やチーズの味の濃いものと組み合わせて食べます。
ペストでもバジルが主ですけどチーズで味を出す。
野菜のアーリオオーリオも魚貝の身は入れなくても、
出汁を使って味を出す。

だから本当に野菜だけのパスタとなると、
味の決め手がかなり限られてきます。
その中でこの紅芯と青大根は役者です。

よっ大根役者!
と言いたい。
でも三流じゃないです。
一流の大根役者です。

こういうことを書いておいてなんですが、
大根はほとんど使い切ってしまいました。
また来年の公演をお楽しみに。