2013年10月31日木曜日

セローの旅行記

ポール・セローの『ゴースト・トレインは東の星へ』
をたまに読んで、たまに放っておいて、
ちょっとずつ読んで結局読み終わるのに半年かかりました。
この分厚い旅行記はロンドンから出発して、
中東とアジアを通り抜けて東京を折り返し点に、
シベリア鉄道で帰る長い旅の本です。

セローという人は三〇年前にも同じ道筋で旅をした旅行記の
『鉄道大バザール』という本がありますけど、
そっちの最初の方は読んでないです。

30年経って同じ道を辿ったら自分はどんな視点を持つのか。
そんな興味をセローは抱いて旅に出る。
前回の旅と同じものを見るのか、別のものを発見するのか。

合わせて読んだらもっと楽しみがあったんでしょうけど、
この一冊だけでも六ヶ月間ペラペラ読みを続けさせる魅力がある。
たぶんそれは誰にでも、
時間が経ってから同じ場所に行くという経験が
人にとって貴重な出来事になっているからだと、
この本を読んでいて思えました。

行ったことのない場所に行くことはもちろん新鮮で、
旅行に行くとなったらやっぱり行ったことのない場所を選びます。
でも、たまに同じ場所に行くことがある。
(人に無理やり連れて行かれたり、自分から進んで行ったり)

そういうときに自分が
「ああ、また同じ場所に来ちゃったな」
と目新しさを感じなかったら面白みも何もないです。
でも同じ場所に行って新鮮なことを感じれたら、
(場所が変わったということもあるかもしれませんけど)
それは自分が変化したり成長したりというふうに考えれる。

「自分の何が変わってこういうふうに思えるんだろう?」
というきっかけを旅が与えてくれる。
セローはそういう視点の変化に喜びを持って旅をしていたと思う。
こういう文章を読むとそう思える。

“はるばる旅をしてきて現代都市に辿り着くのが非現実的な体験なら、
その街がほとんど変わってないのを目にするのは、
それよりはるかに非現実的だ”

セローの文章の面白さは、
「この文章は本音だ」と思えるところにあります。
ウソも飾りも方便も無くて、
正直な気持ちが伝わってくるところが良い。

“最高の旅とは単なる列車の旅ではなく、
いくつもの列車の旅の集積ですらない。
もっと長くて、もっと複雑な何かである。
四次元の体験、止まったり動き出したり、長々と退屈な部分があったり、
病気になったり回復したり、だらだら急いだり待たされたりして、
たまにご褒美として突然幸福が訪れる——そういうものなのだ”

2013年10月30日水曜日

大会に出場するということ

日本ピッツァ世界選手権は
[サルヴァトーレ・クオモ永田町]で行われました。
政治の中枢である永田町で開催された意図は、
政治的な力が働いていたわけではなく、
台風による影響で汐留会場からこちらに移動になったためです。

このお店の特徴は、なんといっても窯です。
床から天井までの高さに銅板を張り巡らした窯が
店内にピカピカ反射光を放っている。

ピカピカ系に飽きたら鎌倉の大仏や自由の女神みたいに、
緑青色にしても威厳が加わって良さそうですし、
もし万が一経営難に苦しむようなことがあったら
一枚一枚剥がして売ってしのげばいいです。
(神社の屋根の銅板寄付は一口3000円ぐらいだから、
このお店の大きい銅板は、ふむふむ。四口分ぐらいありそうだ)
何かと便利ですね、銅板は。

とにかく、こんな周りの景色を映す鏡のような窯の前が
職人達の表現の場となります。
半円の窯の前には半円になって審査員や観客が囲む。
相当な緊張感を味わうだろうと想像できます。

あっちを向いてもこっちを向いても敵ばっかりです。
「四面楚歌だ!」
人前に立つのが苦手な僕が出場者ならそう叫ぶかもしれません。
しかし、職人たちは進んでその戦場の地に立ちます。
彼らは何を求めるのか。金、権威、名声?
表現の喜び、アドレナリンの分泌、達成感?

そこで僕はナポリでもお合いしたWさんに伺ってみました。
僕「前回のナポリの大会に出場し、そして今回は日本大会に出場した。
ズバリそこから得られたものって何なのでしょう?」
W「うーん、得たものかー。……特にないかなー」

自分の番も終わってWさんは完全に脱力していました。
いや、そもそもWさんは会場入りのときに挨拶したときも、
力が抜けていて気軽に周りの人とも話していました。
僕はもう一つ質問してみました。

僕「また来年も大会に出場しますか?」
W「もう今年で最後かな」
Wさんは三十中盤の方で、とても柔和な印象を抱く。
むしろ自分のことよりも僕に関心を持つ。
W「君もピッツァを焼いているの?」
僕「はい、まだ駆け出しですけど」

ピッツァとは直接関係のない筑紫哲也ですけど、
アナウンサー業に関してこう言っていたのを思い出した。
「僕は人前で喋ることは苦手だけど、
場数をふんだだけだよ」

僕は一日の大会見学を通して、
「大会に出場することは何かを得ることではなく、
場数という足跡を残すことなのだ」
という教えを授かりました。











2013年10月29日火曜日

東京日帰り旅行

今朝東京から夜行バスで帰ってきました。

家族や友達の車に乗せてもらってるときなんかは、
「寝ちゃダメだ、寝ちゃダメだ」と思ってるのに寝てしまう。
だけど夜行バスは「寝るぞ、寝るぞ」と思ってても寝れない。
これが逆になったらいいのに。

ということで、眠いです。
だから今日は「何も書きません」ということを書こうと思います。
えー、今日は何も書きません。
東京で丸一日満喫して帰ってきましたが、
眠いために「寝ます」ということを書こうと思います。
えー、寝ます。

(2時間後)

おはようございます。
何か余計なことを書いていると遅刻しそうなので、
「遅刻しそうだ」ということを書こうと思います。
えー、遅刻しそうだ。

今日もオーシャンは元気よくオープンします。
僕が眠い顔をしているかって?
その裏には元気な顔があります!
えー、とでも言っときます。

2013年10月27日日曜日

東京ピッツァ大会の見学

・僕が今まで出会った中で一番長い職業名ですけど、
「ドウミャクコウカケンサキカイケンサギシ」
です。

その職業名を聞いたことのない人なら
「ジョウキャクキョウハケンサキイカケンサギシ
(上客今日は剣先イカ兼詐欺師)」
と聞き間違える人もいると思います。
ぼくは間違えませんけど。

その人は一回目で聞き取れなかった僕に、
二回目はゆっくり二文字ずつ説明してくれました。
「動脈。分かる血管?(腕の裏を見せられて)
硬化。硬くなるのを、検査。調べる機械がある。
その検査する機械を検査する技師というのが私」
僕も自分の腕の裏を見せて、
ドウミャク、コウカ、ケンサ、
と同じことを繰り返しました。

・このブログを書いているのは前日の夜ですけど、
これをアップするのはたぶん
夜行バスが新宿駅西口に着く朝方だと思います。
携帯で入力をするのが手間なので、
先に書いとくことにしました。

今日は[サルヴァトーレクオモ永田町]に行ってきます。
前回のナポリピッツァ世界選手権に引き続き、
第一回日本ナポリピッツァ世界大会も開催されるということで、
これは勉強させてもらわなきゃと思って
バスに飛び乗った次第(飛び乗る予定)です。

また明日は大会模様を書こうと思います。
その後は青山にある旅専門の本屋さんで、
年末に行くカリブのベリーズのガイドブックを探してこようと思います。

ブラジャーの扱い

昨日は遠方からときどき見えるお客さんの
Kさんがお友達と一緒に来てくれました。
Kさんのお仕事はワコールのブラジャー担当で、
普段はブラジャーの設計図を書いているそうです。

オーシャンに来ると色々、
オッパイのラインなどについての
講義をしてくれるのですけど、
昨日の忠告はこうでした。

「ノーブラで自転車に乗っちゃ絶対ダメ!」
だそうです。
自転車の細かい振動が乳房を揺らして、
(片乳は平均1キロ)
その重量による負荷でどんどん垂れ下がってしまうそうです。
「垂れちゃったオッパイは絶対戻らないよ!」
と、なぜか僕が怒られたので、
「き、気を付けます」と謝りました。

だからといって、
「寝るときにブラジャーを付けるのが垂れ防止だというのは、
日本人の勘違い。間違ってるからね!」
と念を押されたので、
「わ、分かりました、気を付けます」
ともう一回謝っておきました。

貴女淑女のみなさん、ブラの扱いには気を付けましょう!

2013年10月26日土曜日

ハロウィングッズ

僕の母親と義父が一時日本に来ている。
ハロウィングッズをパーティー用にたくさん買ってきた。

吸血鬼のマウスピースが20個ほど入った大袋。
充血した目玉が中に入った光るスーパーボール。
ガイコツの手が待ち構えているお菓子入れ
(お菓子を取ろうとすると手が動く)。
吸血鬼のコスチューム二着(二人が着る)。
オリーブオイルにまみれた蜘蛛の巣(事故)。

お土産のオリーブオイルの瓶がスーツケースの中で割れた。
ボストンバッグのほうではハチミツの瓶が割れていた。
箱に梱包されて、Tシャツにくるんで守ってきたのに、
それでも割れているとはどんな荒波(荒空?)をくぐり抜けたのか。

義父は自分のハチミツまみれのTシャツをつまんでこう言いました。
「It's GOMI」
母は「It's not GOMI, It's honey!」と言って、
僕が笑うと「It's not funny!」と韻を踏んで怒られました。

2013年10月25日金曜日

カールの結婚式

僕の叔父のカールが結婚した。
四四歳で最初の結婚です。
母、祖母は共に二回結婚して、
祖父は三回、
今九四歳の曾祖母は六回結婚しているので、
母方の家系でカールの結婚は遅いほうになります。

昔、僕がまだ赤ん坊だった頃、
乳母車に乗った僕を彼が押して歩いている写真が何枚もある。
僕は彼のことをアンクル・カールと呼んでいる。

カールは十三歳でマリファナを吸いはじめて、
同じ時期にメスを使いはじめた。
アメリカ人は覚醒剤のことをメスという。
Methamphetamine の略で Meth です。
今はアメリカ中の十代の子供が(白人の)、
ストリートドラッグの中でも安くて簡単に手に入るメスで溺れている。

カールがはじめてリハビリに通いはじめたのは
三十代最初の頃で、
リハビリ施設を三回抜け出して、三十代後半に治療を終えた。
それ以降今に至るまでノースカロライナ州でコックとして働いている。

相手はマッサージ師のローリーといって、
三七歳でアシュビルに住んでいる。
七人兄妹うち二人がゲイで、共に結婚している。
(オランダで結婚したそうです)
二人のゲイは共にパートナーを連れてきていて、
参列した母は「仲が良さそうだった」と言っていました。

結婚式はカールとローリーが住んでいる家の裏庭で行われました。
その儀式の一つに、五人の兄弟(そのうちゲイが二人)が、
新婦をバケツリレーのように運び上げて、
カールに渡すというものがありました。

その後近くのオーガニックなカフェで、
「グルテンフリー」で「ドライ」のパーティーがありました。
ドライ・パーティーとはアルコール無しという意味で、
カールはアル中からの回復者でもあったので、
その尊敬の意味も込めてドライ・パーティーだったと思います。

パーティーが終わるとカフェの外にはアメリカでおなじみの
空缶をたくさん後ろにぶら下げた車が待っている。
後ろの窓には髭剃りクリームで「Just Got Married」と書いてある。
この「髭剃りクリーム」を使うというのはおなじみかどうか知りません。
僕が母に「このシェイビング・クリームはゲイのカップルのやつか?」
と聞くと、
「メイビー」と言ってました。






2013年10月24日木曜日

コーヒーのくつろぎと侘びしさ

僕のコーヒーの淹れ方は以下の三通りです。

①ドリップコーヒー
②直火式エスプレッソメーカー
③インスタントコーヒー

コーヒー豆のストックも
ブレンディのストックもだいたいあるので、
この三通りの中から朝のコーヒーを選ぶのは
もっぱら気持ち的な問題になる。

まずドリップコーヒー。
これは最も必要とする道具類が多い。
ポット、ドリッパー、紙フィルター、湯を沸かすやかん、
湯を移して注ぐポット、
湯を注いだ後蒸すためにドリッパーに被せる蓋。

このようにわずか一杯のコーヒーを出すために、
キッチンにコーヒー道具が散乱する。
この作業工程および掃除行程を想像して、
やかんを載せたガンスコンロの火を止めることが多い。
それで直火式エスプレッソメーカーに切り替える。

この直火式エスプレッソメーカーの特徴を上げるなら、
ポット、ドリッパー、紙フィルター、湯を沸かすやかん、
湯を移して注ぐポット、
湯を注いだ後蒸すためにドリッパーに被せる蓋が
一つになっていることです。

でも僕はエスプレッソを飲む習慣がないので、
これで淹れた濃いコーヒーはカフェオレになる。
カフェオレを作るには、
この濃いコーヒーで割るとおいしくできます。
ドリップコーヒーを牛乳で割ってもシャバシャバになってしまう。

ブレンディはこれとは別の理由でカフェオレになる。
インスタントコーヒーのブラック飲みは侘びしさがある。
侘びしさとは、心が慰められない状態である、
と辞書に書いてあります。
だから濃いブレンディをコップに半分作って、
残りの半分を牛乳で割って侘びしさを薄めないと
朝のくつろぎが無くなってしまう気がする。

ということで結局、朝の80%はカフェオレです。
どうしてもカフェオレに飽きてしまうか、
牛乳がないかのときにブラックコーヒーになる。

2013年10月23日水曜日

ボケも大げさなリアクションもないコメディ

『ル・アーヴルの靴みがき』を見ました。
フィンランド人の監督が撮ったフランス映画です。
人情味があって、
愛があって、
ちょっとしたサスペンスでハラハラする。

それで、見終わってウィキペディアで情報を開いてみると、
この映画は「コメディ・ドラマ」のジャンルで括られている。
そうだった、と思い出します。
笑える場面がたくさんある。

でも見ているうちはコメディ映画だなんて思いません。
日本の人情映画といったら僕は
『ALWAYS 三丁目の夕日』とかを思い浮かべますけど、
こんなにガヤガヤしていないし、ゴミゴミしてない。

三丁目の夕日はとにかくみんな叫んでますけど、
『ル・アーヴルの靴みがき』は誰も叫ばない。
監督であるアキ・カウリスマキの映画全般にいえますけど、
みんなボソボソっと喋る。

ボソボソっと短いセリフを言って、間がある。
その間が面白い。
コメディ映画にありがちなボケはどこにも見当たらない。

アジア的ゴミゴミ感がなくて、
北欧的なシンプルさが漂っている。
靴みがきですから自分の靴も丁寧にみがいて、
妻はシャツにアイロンをかける。
貧乏だけど清潔で、
いつも部屋に一輪の花が飾られている。

ちなみにこの映画に出てくるライカという犬が
「パルム・ドッグ賞」を獲得したそうですけど、
そんな賞があったんですね。
うん、どことなくライカの顔にも人情味がありました。

2013年10月22日火曜日

さだお先生の舞台

優れた小説の条件には、
冒頭に読書を引き込む力があるといいます。
東海林さだおの小説ではないけどエッセイは、
いつも食べ物のことを書いているだけなのに、
掴まれるものがある。

『キャベツの丸かじり』の中の「素朴な芋たち」の冒頭はこうです。

“テーブルの上に、三種類の芋が並んで湯気を上げている。
じゃが芋、さつま芋、里芋である。
いずれも茹でたりふかしたりしただけで、味はついていない。
これからこの連中を食べようというのである”

普通のことを書いているのに、
何か普通じゃない。
芋をふかすのも、テーブルの上で食べるのも普通です。
普通ではないのは、人はわざわざ三種類も芋を並べない。
そこにこれからどんな話しが進むのか興味を引く。
突然、東海林さだおは先生になって、
芋たちは生徒になる。

“三人を並べてみると、
エコヒイキは教育者としていけないことだと思いつつも、
じゃが芋君はかわいい。
さつま芋君は、容姿のびのびと育って健康的でいい。
里芋君は何だか憎たらしい。
性格的にも暗いところがあり、少しいじけているような気もする”

たとえば、
釣人が釣りのことを知らない人に趣味をペラペラ語っても
聞いてるほうはつまらなかったりする。
だけど東海林さだおはまず舞台を学校に置く。
自分は先生という役者を演じて、
じゃが芋君、さつま芋君、里芋君を舞台に上げる。

よっぽど芋好きでもなければ、
人の芋の好みなんて知ったこっちゃありません(ですよね?)。
だけど舞台が置かれると、
なんだか突然ストーリーが身近に感じられるようになる。

さだお先生はこの後芋君たちに進路指導をはじめる。
すると自分も何か芋君たちに言いたいことが出てきたり、
「山芋君や菊芋君が仲間外れにされているのはなぜですか!?」
と芋側のPTA的な立場として意見の一つも言いたくなってくる。
その時点でさだお先生の術中にはまっているとも気付かずに。

冒頭の段階ではまだ僕は、
「こういう話しが展開しそうだな」みたいな先読みをします。
芋を食べて、比較をして、それぞれの美味しさを書くんだな、とか。
ところがさだお先生のエッセイで中盤を過ぎた頃になってくると、
自分が先読みしていていたことは簡単に飛び越えて、
想像もしてなかった舞台になっています。

“さつま芋君は、ホクホク性が身上だ。
こういう生徒は進路指導が楽だ。
先生としては、
『ホクホク性に進路をとれ』と指導していきたいと考えている”

ここでホクホク性がヒッチコックの『北北西に進路を取れ』と
重ねられるところに、
さだお先生に口出ししようとした自分が恥ずかしくなる。
PTAは黙って先生に一任しよう、という気持ちになります。

2013年10月21日月曜日

無理やりモリンガ

インドのお土産といって、
モリンガという植物の実を三粒もらいました。
いや、これは種なのか?
小指の爪サイズの黒い粒に、
周りに花が乾燥して紙っぽくなった
白いフサフサ状のものがついている。

「これ食べて元気になってまたがんばって」
と言われました。
モリンガの実は健康に良いのだそうです。

いくら健康に良くても、
訳の分からない黒い変な実を食べるには勇気がいります。
しかも「ちょっと漢方っぽい味がするけどね」
と言われました。
僕は漢方系の味が苦手です。
(得意な人なんてそうそういないか)

僕が十代でまだ雑貨屋などでマジックマッシュルームが買えた頃、
その漢方系の味のものを無理やり苦しみながら食べたせいで、
それ以来、漢方=吐気になりました。

でも僕は朝のブログのネタに困っており、
二時間も椅子に座っているのに三行しか書き進めていません。
その三行とは以下の通りです。

「今日は何を書こう」
「週チュしよう(集中しようのタイプミス)」
「週一でチューをしよう(週チュで連想して思いついたフレーズ)」

以上です。
これが僕の貴重な休日の二時間です。
無意味な時間を過ごしているな、と思うでしょう。
その通りです、返す言葉もございません。
その間にどれだけ家の掃除ができただろう。

ともかく、さすがに二時間を過ぎて僕はヤバいと思いはじめた。
そこで僕はトートバッグのポケットに
素のまま放り込んだ三粒のモリンガの実の一粒を取り出して、
机の上に転がした。

「これを食べるしかない」

つまり、これを食べて無理やりネタを作るしかない、
と思ったわけです。
またです。
また「漢方系を無理やり」です。

これでますますオレは漢方系の味が嫌いになるだろう、
と思いながら机の上の黒い実に爪を立てて、
殻を割りました。
すると白い実が出てきた。
ちょっと起毛立った白い実です。

さっさと終わらせたいので口に放り込みました。
最初ちょっと苦くて、ナッツの味がします。
その後甘くなって、ナッツの味がします。
(この中間地点では、なんだイケるじゃないかと思う)
でもその後飲み込むと強い漢方系の苦味が喉に残る。
その苦味を早く水で流してしまおうと水を飲むと、
水の味がやたらと甘くなる。
口は砂糖水みたいに甘くて、でも喉の苦味は流れていかず、
しばらく(約三〇分)うっすらとした苦味が残る。
歯をギュッと噛み締めると、
モリンガがまだ奥歯に残っていてまた苦味がやってくる。
ああ、まずい。

ああ、まだ二粒モリンガがある。
テレビゲームでよく「あと一機残ってる(二機残ってる)」
とゲームオーバーまでの数を言いますけど、
これは僕にとって「まだ二機ある」という状態でもありますから、
あんまり文句も言えません。

2013年10月20日日曜日

お土産には阿闍梨餅

今週三日間オーシャンにウーファーとして
ヒロさんという方が畑のお手伝いに来ていました。
オーシャンでは受入先のホストとして、
仕事のお手伝いをしてもらう代わりに
宿と食事を交換するシステムを活用してます。

先週もハダさんという方が一週間ほど
ウーファーとして来ていました。
北は北海道から降りてきて、
農地を点々と南に移動しながら見て回っていたのです。
いずれ自分で「集落」を作りたいと言っていました。

ともかく、ヒロさんは実家が京都で、
今度オーシャンに遊びにくるとき
お土産を買って来ると言ってくれたので、
僕はアレをお願いしようと思いました。

えーっと……。と僕が考えているとヒロさんが、
「八つ橋?金平糖?柴漬け?たまごボーロ?赤福?
僕赤福好きなんだよなー」
とだんだん京都から離れて自分の好みに移っていきました。

どれも違います。
僕は部屋に戻って「京都・お土産・ランキング」で検索しました。
そしてやっと見つけました。
案外下にありました。
「県内ランキング26/207位 阿闍梨餅」

僕が今もらって群を抜いて嬉しいお土産は「阿闍梨餅」です。
これはお土産のレベルを越えています。
ランキングの説明書きにこう書いてあります。

安政3年創業の阿闍梨餅本舗京菓子司満月は、
『一種類の餡で一種類の菓子しか作らない』を基本方針とし、
少品種高品質にこだわり続けている菓子舗だ」

安政3年とはハリスが下田に着任した年であります。
(とウィキペディアに書いてあった)
そんな昔から阿闍梨餅があったなんて知らなかった。
僕が知ったのはここ二、三年のうちです。

それ以来京都土産で八つ橋をもらっても
ちょっとガックリくるようになった。
あの硬い八つ橋には怒りを憶えるようになり、
柴漬けにいたっては永久に棚の奥底で
真空パックのまま眠っておけと思うようになった。
(何様だ)

とにかく阿闍梨餅のあの皮がうまい。
箱から餅の小袋を出すと説明書きに
トースターで焼くと一段と美味しいですよと書いてある。
そこでトースターで焼いてみると、
この皮のモチャモチャ感がたまらなくなる。
皮なのに餅、餅なのに皮、この秘伝の皮がうまい。

僕は何回か京都駅の売店で買おうと寄ったんですけど、
いつも売り切れてます。
店員に聞くと午前中でだいたい無くなっちゃうと言ってました。

2013年10月19日土曜日

アメの詩

今日明日と天気予報は曇り時々弱雨だそうです。
海は霞みがかり時々しとしと雨が降りそうです。
石窯では薪に火が灯り絶えず燃え上がるでしょう。
野菜は雨の滴を載せたまま籐籠で台所に届くでしょう。
焼き上がる麦の匂いが、
煮えるみその匂いが、
降り落ちる雨の中で立ち上ることでしょう。
雨はアメイジング。
雨は空のアメジスト。
雨に、アーメン。

2013年10月18日金曜日

課題と自由

Hさんは食べることが好きだと言う。
それに反して「晩ご飯は食べないようにしている」と言う。
Hさんに趣味は何かと聞くと、
「自分に課題を課すことかな」と言った。

男性にしては細いという以上に華奢で、
元テニスインストラクターだとは想像がつかない。
「食べることができない」という病気で
Hさんは仕事は辞めることになった。

食べることが好きなのに、
食べることができない。
欲望よりも自分で立てた課題を優先させてしまう。

「何か(課題や制限)に縛られず自由になりたい」とHさんは言う。
僕は思わず「やめればいいんじゃないですか?」
と言いたくなった。
自分に課題を課すことをやめれば楽になるのに。

でも家に帰ってよくよく考えると、
自分で立てた課題を棄てることは僕自身も簡単にできない、
と思い直しました。
課題に取り組んでいることこそ自分の存在証明だったり、
「自分に価値がある」と思える根拠だったりするので。

「自分の存在証明とか価値とかを頭で考えること自体が無駄」
と人に言われそうです。

だけどこれは僕にも分かりますけど、
自分で立てた課題を乗り越えたら闘ったりすることは、
喜びです。
それに、自分の課題と向き合って夢中になれるからこそ、
生活の中の色んな不安を忘れることもできる。

だからHさんの「食べることが好きだけど、
食べないことに決めた」という課題が棄てられないことに、
共感する部分があります。

ただHさんはひどいとき三〇キロ台まで体重が落ちて、
死にそうになったと言っていたので、
死んだら課題も元も子もなくなってしまうので、
死んじゃダメですね。

2013年10月17日木曜日

眺めて気持ちいい掃除の姿

昨日は台風で汚れてしまったウッドデッキを
デッキブラシで掃除しました。
正しく言えば僕ではなくスタッフのイザさんが掃除してました。
僕はそれを見てました。

そこでこう思いました。
「やっぱりウッドデッキにはデッキブラシだ」と。
デッキ同士、良い組み合わせです。
掃除する所を適切な道具で掃除するのは気持ち良いです。
反対に間違った道具で掃除すると、
ちゃんと汚れが落ちないしスッキリしません。

ガラスや樹脂系の器に金たわしを使っても汚れが取りにくいし、
傷もつけてしまう。
でも金属類を磨くのに金たわしを使うと、
頑固な汚れもみるみる取れていくから洗い物道具には欠かせない。

ピッツェリアの厨房の床は目の粗いテラコッタタイルで、
カウンターのほうはツルッとしたタイルです。
どちらもそんなに面積がないので、
掃除道具を変えるのも手間です。

だけど同じモップを使うと、
ツルッとしたほうはキレイになるけど、
汚れがつまりやすい目の粗いほうは取れきれない。
これでは行き届いた掃除から得られる爽快感を損なっています。

せっかく得られるものを手間がかかるからやめとこう、
と思うぐうたら人間な態度も僕は好きです。
だけどどうせ掃除する手間をかけるなら爽快感も欲しい。
ウッドデッキとデッキブラシのように、
適材適所にはまってるなというスペクタクル感が欲しい。

それにしても、
見ていて気持ちいい掃除、
これがぐうたら感と爽快感を味わえていちばんいいかもしれない。

2013年10月16日水曜日

天災だから

強い風で陽が昇る前に起きましたけど、
これを書いている七時頃は風が弱くなって、
陽が出てきました。
台風は東に通り過ぎただけで消えたわけじゃないので、
安心ばかりしてもいられません。

避けようのない天災、
そういう現象は何も台風とか地震ばかりじゃありません。
僕の地元の先輩にTくんという人がいます。
その人が通ったあとの道はかなりの確率で、
被災地といっていいほどの傷跡を残していきます。

コンビニではゴミ箱が駐車場に吹っ飛ばされて、
ゴミと共に人間も一人や二人転がっています。
(僕はその一人だった)
カラオケボックスに行けば、
受付けのドアガラスは粉砕していて店員が鼻血を出しています。
(理由はカラオケの部屋が満員だった)

居酒屋に行くと客は一杯なのに、
なぜか店内がしんみりした雰囲気になっています。
居酒屋の店長が
「みなさん今日はお酒はタダにしますので飲んでいってください」
とアナウンスしている。
酔っ払ったTくんが全テーブルの男性客の頭を叩いていったそうです。
その理不尽な行為に怒った女性客がTくんに、
「なぜ楽しい場を壊すようなことをするのか」と言いました。
Tくんの言い分はこうでした。
「好きな女の人が別の男と遊んでいて、
世界にいる男という男全員に腹が立った」
Tくんは泣きながらビールを飲んで帰っていたそうです。
もちろん誰も同情はしません。

Tくんの身近にいればこういう事態に
一週間で二、三回は遭遇できると思います。
だから僕はTくんも台風も変わらないなと思いました。
何事もなく通り過ぎればよかったし、
訳の分からない理由で胸ぐらを掴まれてぶん投げられたら、
空中に浮かんでいる間、
「これは天災だからしょうがなーーーーい!(ドスン)」
と恨みや怒りとはちがう感情がわき起こるようになりました。

朝からオーシャンでは水道が止まってるみたいです。
復旧作業をして、いつも通りオープンする予定ですけど、
随時状況はフェイスブックでアップします。
今日もよろしくお願いします。

2013年10月15日火曜日

石窯丸ごと焼きりんご

・昨日は台風の影響みたいで、
一瞬雲行きが怪しかったのですけど、
午後からは晴れてライブも盛り上がっていたようです。
(僕はピザを焼いていた)
日没後は寒くなりましたけど、
みんな防寒対策をしつつビールを飲んでいました。

・先週から「丸ごと焼きりんご」というメニューが
加わりました。
もちろん石窯で焼きます。
「鶏の丸焼き」「豚の丸焼き」と同じように、
「りんごの丸焼き」と言えばいいんですけど、
何かあまりかわいくないので「丸ごと焼きりんご」になりました。

りんごを受け皿に載せて石窯に投入して、
二〇分から二五分焼きます。
時間にゆとりをもってご注文ください。

最初はホイルを被せて焦げないようにします。
一五分ほどたって中まで柔らかくなってきたと思ったら、
ホイルをとって今度はわざと表面に焦げ目を付けます。
ホイルをとるとすぐに皮から蜜が出てきます。

皮はシワシワの魔女のりんごのようになっていき、
こんがり焼けて破れた皮の隙間からブクブク赤い蜜が出てくる。
それが受け皿の底に溜まるんですけど、
りんごをが芯まで柔らかくなって完成したら、
お皿に移してその赤い蜜を垂らしかけます。

ヘタの窪みに溜まった蜜がまだ熱でジュクジュクいっています。
その隣にジェラートをのっけます。
熱いりんごと冷たいジェラート、
男と女の関係にありがちな温度差を意図的につけます。
この両極端な温度差が絶妙なハーモニーを生みます。

いや、「絶妙なハーモニー」ってなんだか古くさい表現です。
もっとこうなんというか、「珍妙なグルーヴ」?ちがうか。
分かったこうです、「巧妙なアンサンブル」!
どうですかこの形容詞、なんだかカッコいい雰囲気じゃないですか。

「丸ごと焼きりんごのジェラート添え、
その巧妙なアンサンブルをお楽しみください」
うーん……。
韓国で食べた「微妙なサムギョプサル」を思い出します。

2013年10月14日月曜日

秋の太陽と音楽

今日は祝日(体育の日)で、オーシャンではイベントがあります。
レゲェとハワイアンのライブで、
ピッツェリアも営業します。
天気も絶好の秋晴れ予報で、良い一日になりそうです。
日没までイベントは行われてますので、
月曜日休みの人、祝日休みの人この機会にぜひ遊びにきてください。

昼間は半袖短パンでいいと思いますけど、
夕方は最近涼しいので、
あったかい系グッズもあったほうがいいです。

同じ太陽でも、
夏と秋では顔がちがいます。
夏は空という空を独占するぐらいオレが太陽だという感じですけど、
秋は太陽が少し下がって空はキミだという感じで空を照らしてます。

太陽が少し控えたので、
今日は掛け布団を夏用から春秋用に変えました。
朝のコーヒーは先月からホットになってますけど、
家にいるときは靴下を履くようになって、
上着も着るようになって、
シャワーだけから風呂に浸かるようになってます。
次は焼酎をお湯割りにすると思います。
一日ごとに秋冬スタイルに移行してます。

2013年10月13日日曜日

午前二時のラーメン

夜の十時に寝て、
午前二時に空腹で起きる。
夜中に台所を探ると、
[マルちゃん製麺 冷やし中華]が出てきた。
だけど食品棚のあるべき場所に戻しました。
今はもう夏じゃない、と思った。

その横には[寿がきや みそ煮込うどん]があった。
僕はその茶色のパッケージを二秒見つめて、
午前二時に味噌で太麺のうどんはヘビーだ、と思った。

次にバリのお土産で緑色のパッケージの
ラーメン系のものを見つけた(文字が読めず何味か分からない)。
変な外人にからまれた感じがして、
僕は目を合わせないようにした。

インスタント食品のコレクションを探っていると、
下から「キリンラーメン しょうゆ味]
がワンパックだけ出てきた。
僕は水を入れた鍋を火にかけた。

秋のひんやりした午前二時の空腹は、
冷たい冷やし中華でも、
濃くて太いうどんでも、
リスクのあるバリのインスタントラーメンでもなく、
ベーシックなしょうゆ味を望んでいました。

「闇の中に葬り去った記憶」という言い方がありますけど、
午前二時に食べるラーメンはまさにそれと同じで、
「空腹の腹にラーメンを葬った」という感じがあります。
朝起きたら、
ラーメンを食べたことはおぼろげなんですけど、
そのときの空腹感だけはトラウマのように記憶をえぐっています。

ラーメンを食べているうちに気が付きました。
十時に回した洗濯物をまだ干していなかったです。
おはようございます。
靴下はまだ湿気っています。

2013年10月12日土曜日

ピッツェリアでモーニング

・今日はカフェのほうが結婚式で
一日貸切りとなっていますけど、
モーニングはピッツェリアのほうで出しています。
パニーニとスコーンを用意していますので、
いつもとはちがうイタリアンな朝を楽しみにきてください。

テラス席には秋の涼しくなってきた風が吹いて、
ぽかぽかと気持ち良いです。
そこでパニーニを食べればたちまち三河湾が
地中海と入れ替わる錯覚も味わえます(意識的な個人の努力で)。

・今は若くて柔らかいルッコラがたくさん収穫できます。
そのピリッとして甘い味が生ハムと合います。
ルッコラに生ハム、それとパルミジャーノをゴロゴロ載せたピザの
[プリマヴェーラ]がおすすめです。

今は秋ですけど、プリマヴェーラはイタリア語で春という意味です。
生野菜に生のチーズといった、
火を通してない具材をふんだんに載せた感じが春っぽいので、
そういう名前が付けられたそうです。

春先も気持ち良いですけど、
今日は秋先な気持ち良さです。
みなさんもよい朝が過ごせますように。

2013年10月11日金曜日

金曜日の激流

一つのことに気持ちをかけ過ぎて、
他のことが目に入らなくなるということがある。
僕にはよくある。
他の人の意見をあまり聞き入れず、
押し寄せてくる衝動に飛び込んでしまう。

反対されても頑なにエゴを守ろうとするし、
何で賛成してくれないのかと熱くなる。
客観的に見れば、自分のエゴや衝動で損をしているし、
一時の激流がゆるやかになるのをガマンするだけで
川は以外と狭くて岸辺で休憩できると気付くのに。

でも当の本人はそういうことに気付かない。
現実の流れを見れずに溺れてると思ってブクブクしてるか、
体力を使い果たして泳ぐことを諦めるかして、
岸辺に上がろうなんて考えつかず土左衛門が成れの果てです。

怒りの激流、
恋の激流、
生活や仕事の激流、
とにかくすぐに激流を起こすような川は狭い川で、
そういう人間は心が狭くなってると思う(というか自覚します)。

昨日保健所の講習会にいるときほぼ日手帳を開いたら、
ミュージシャン田島貴男の言葉でこういうことが書いてありました。

「力って、入れるばかりじゃだめなんだよなぁ、
入れるのは簡単なんだよなぁ、ってつくづく思ってます。
きっと、歌だけじゃない。もしかしたら何でも
『力を入れる』ことより『力を抜く』ことが大切だ」

保健所の講師の女性がこう言っているところでした。
「手を洗うときは指先から手首にかけて、
五〇秒を基準に二回繰り返しましょう。
洗ったところから細菌はまた発生してくるので、
一時間置きに手洗いをするのが望ましいです」

“手の話しをしているときは、
みんな机の下で手をもぞもぞもみ合う”
と僕は手帳にメモしました。

2013年10月10日木曜日

衛生責任者としての心構え(まだなってないけど)

今日はお店には僕のピッツァ先生のアッキーさんが
一日僕とチェンジして入ってくれます。
ぜひこの機会にエンターテイナーのピッツァを食べにきてください。
僕はどこに行くかというと、
「食品衛生責任者養成講習会」で保健所に行ってきます。

こういう公的な認定を受けると人はつい強気になってしまう。
晴れて責任者になったあかつきには、
僕は偉ぶってまず、
腕を組んで上から目線が基本になるかもしれません。

昔、僕が十代の頃に遊んでいたコウジという友達が
リフトの資格を取ってきたときにこう言いました。
「やっぱ資格だね、食いっぱぐれがないからさー」
とタバコをふかしながらちょっと遠くを眺めている姿に、
何の資格もない僕は負けた気がして
なんだか悔しかった覚えがあります。

うちのおじいさんは生前、
西尾市のアーチェリー協会の協会長だったんですけど、
協会員に配るアーチェリー認定証のカードを持っていました。

僕はリフトの資格に対抗して、
その認定証のカードの束の中から一枚抜いて、
空欄に自分の名前を書き込むと、
コウジに見せびらかしに行きました。
カードを見たコウジはこう言いました。
「それって、食っていけるの?」

おじいさんに付いて二回だけアーチェリーで遊んだだけで、
的に当てるのも微妙な腕前ですから、
「食える」わけありません。
僕は帰り道にその認定証のカードをほかってきました。

衛生責任者になっても「食える」能力は何も身に付かないですけど、
いつかコウジにあったらこう言おうと決めています。
「厨房以外にも人が不潔か清潔かは判断できるようになった」と。
だいたいコウジという男はリフトに誇りを持ち過ぎていて、
いつも安全靴を履いているような男で足が臭かったのです。

「それって、食っていけるの?」
と言われる前に、
「きみ、水虫菌に食われてるんじゃないの?」
と指摘してやろうと思います。

2013年10月9日水曜日

フリンジを見る

『FRINGE』のファイナルシーズンを見はじめました。
このドラマは最初のシーズンからずっとですけど、
天才のウォルター博士がLSDの神秘さをアピールし続けてます。
アメリカのドラマはこういう反社会的な価値観を
笑いのネタにできるところが日本のドラマにない面白さです。

2036年の未来のスラム化した街で、
猫除けみたいに紐でぶら下がったCDを引きちぎり、
古いアメ車でYazooの『Only You』を聞きながら
敵に復讐しにいく。
そういう感じではじまりました。

2013年10月8日火曜日

道王の道道

道王。
それは飽くなき好奇心を持って、
迷ったり行き止ったりすることも厭わず、
未知なる道を選ぶ人のことで、
「誰よりも道が好きだ」と言える人に与えられる称号です。

幸運にも、僕の身近には道王がいます。
道王が近くにいるということは、とても幸運なことです。
(文法を反対にしただけですけど)

同居人の荒川くんが道王であることを知ったのは、
つい最近のことでした。
どこかに行くとき、迷いません。
遅刻しそうなとき、遅れません。
訳の分からない道に突入し、いつもの道に飛び出す。
遠回りをしているかと思いきや、近道だった。

「道が好きだ」
道王がふとそう言うとき、
彼の顔は輝いています。
僕はもう、道のことで横からとやかく言うまい、
とそう決めました。

道王とは道で哲学する人である。
T字路に人生の教訓を見つけて
(左か右で迷ったら行ったことの無いほうへ行こう)、
ヘアピンカーブで人生の安楽を見出す
(流れに逆らわないで進む気持ちよさが良いんだ)。

つい先日も道王の格言を頂きました。
いつものように道王は僕の知らない細い道に入っていった。
対向車が向かってきたので、
彼は車を横に寄せて停まり、こう言いました。

「道をゆずっても早く着けるのが道道(みちどう)。
他人を追い抜いて早く着いても仕方がないのだ」

は、ははー!(平伏す)なるほどそれが道道ですね!
ニーチェの綱渡り哲学では追い越された者が
墜落して死にますけど、
道王の車道哲学はすすんで追い越してもらって生きる道です。

2013年10月7日月曜日

クロワッサンのサンドイッチ

今日と明日はオーシャン定休日になります。
クロワッサンをもらったので、
今日の朝ごはんでサンドイッチにしました。

僕はクロワッサンのサンドイッチが好きです。
言わないでください!
分かってますから、もったいないってことは。

美味しいクロワッサンはプレーンでいくべきです。
中にチョコも、カスタードも、ハムもいらない。
クロワッサンにとって彼(彼女)らはただのお節介です。
クロワッサンさんは自分一人の力で、
いや三人の力で、
難しい局面を打開する力を持っています。

前線のパリッと感、
中盤のモチッと感、
そして最後尾の焦げたバターが溜まった底のザクッと感。
これでクロワッサンさんは三人力です。

差し出がましいことをしては
クロワッサンの良さが消えてしまう。
そういう覚悟の下、
僕は今朝、クロワッサンをサンドイッチにしました。

横っ腹に包丁を入れるときパリッと音がします。
泣けてきます、このパリッと感を自分の歯でたてられずに。
でもガマンしてください。

次にありがたい本を開くような厳かな気持ちで
(厳かでなくてもよい)、
切れ目を入れたクロワッサンを開いてください。
薄く何層にもなった柔らかいパンの層が千切れるのを見て、
「もうこのもっちり感は永遠に失われてしまった」と、
泣きそうになるかもしれません。
でもガマンしてください。

そこに罪を犯していることを自覚しながら
詰め物を挟んでください(罪ではないので自覚しなくてもよい)。
僕はモッツァレラとツナに、
塩胡椒とオリーブオイルを垂らした。
これを閉じずにそのままトースターに入れて焼きましょう。

僕が思うに上等なクロワッサンほど表面がパリッとしていて、
焦げやすいです。
「大学に息子(娘)を送ってもう安心だ、
これで立派な大人になる」なんて思わないでください。
トースターに入れたら卒業するまで見守ってあげましょう。
もし、どうしても目を離さないといけなくて
焦がしてしまったときは、
ガマンしなくてもいいです。泣いてください。

うちの二十年前の年代物のトースターでも二、三分というとこです。
チーズの表面が溶けて、
バターの芳醇な香りが立ち、
ちょっと触っただけでも皮がくずれるぐらいデリケートになった頃、
これぐらいが丁度いいと思います。

お皿に取ったら、すぐにかぶりついてはいけません。
まず食卓に運びましょう。
牛乳はありますか?コーヒーはありますか?
なかったら水でもいいです、急いで用意してください。
ちゃんと食卓に並べるという儀式が大事です。

食事は視覚が七割、という言葉を聞いたことがありますけど、
その割合いはまったくデタラメだと思う。
でも三割ぐらいはありそうなので、
多少演出も必要になる。
食べはじめてから何か飲みたくなってバタバタすることは、
僕にはよくある。

ちゃんと全部用意して食べましょう。
僕の食卓はいつもデスクトップのパソコンの前ですけど、
経験上クロワッサンを食べながらタイピングはしないほうがいいです。
キーボードの隙間に皮が入り込みまくります。

2013年10月6日日曜日

情熱の種火

情熱をかけすぎると、
欲しいものを得られなかったり、
思い通りにいかないときに苦しい思いをするから、
それならいっそ炎に灰を被せて静めたほうが、
チロチロくすぶる胸の奥の種火を長続きさせれる。
せっかく燃えてる炎がもったいないと思うか、
くすぶってでも種火を残すか、
どっちがいい?

そんなことで迷うヒマがあるなら薪を探せ!
とビッグブラザーは言うかもしれない。

2013年10月5日土曜日

丸太到来

昨日は薪割り用の丸太が届きました。
一抱えの丸い丸太。
丸太はすごく一抱えで、
そしてチョー丸い。
(今日はまとな形容詞がでてこない)

アチワさんという薪割りの権威のような人が
持ってきてくれた丸太なんですけど、
僕は幸運なことに薪割りレクチャーも受けて、
薪一心度もまた上がった気がします。

どんなレクチャーかというと、
ウッと腰をかがめて、
ヤッと斧を振って、
スコーンと薪を割るという方法です。
(今日はまともな説明ができない)

みなさん、週末ですよ!

2013年10月4日金曜日

レモンバー

ナポリに行ったときに
アップできなかった写真がありました。
ピッツァヴィレッジが開催されている海岸沿いを
歩いているときに見つけました。

レモンの形をした移動型店舗[レモン・バー]です。
このレモンは牽引できるようになっていて、
ヨーロッパではけっこう有名みたいで、
イベントごとのときにはよく出店してるそうです。

メニューはどれもレモンを使ったカクテルだけで、
一人はひたすらジューサーでレモンを搾り、
もう一人がひたすらシェーカーを振っています。

それにしてもこのかわいい店舗に、
スキンヘッドのでかい男二人という組み合わせが
やたらと似合ってるんですよね。

レモンのフローズンカクテルが四ユーロぐらいです。
ビールとピザで胃がもたれ気味でしたけど、
だいぶこれでスッキリしました。


2013年10月3日木曜日

目線ポジション

犬も直視すれば目をそらす。
猫も目をそらす。
人もやっぱり目を合わせながらの会話を
しにくいと感じる人は多い。

たまにアメリカに行って、
通りすがりの赤の他人を興味心で眺めていると、
「何か用かよ?」
「何見てんだよ?」
ぐらいのちょっとケンカ腰の態度で言われることがある。

日本でも同じく人を直視すると「何見てんだよ?」という、
文句あんのか的雰囲気でモメ事の原因になることがある。
僕の場合十代頃のそういう経験から、
「相手のことをみだらに見てはいけない」やり取りを覚えて、
人を直視しないコミュニケーションを知りしました。

でも、社会人になって営業の仕事なんかをはじめると、
「お客さまの目を見て話すのだ」とか言われはじめた。
深い仲の異性に大事な話しをするときに、
「目を見て話して」というシチュエーションはよくドラマである。

そういう二つの価値観に挟まれたりした人がどうするかというと、
ちょっと下の「相手の鼻を見ながら会話をする」
というやり方がある。
じゃ、ちょっと目線を上げておでこを見たりする方法はどうか。
これは上の空でバカっぽい気もする。

だからといって下に行き過ぎて、
相手の胸元見ながら会話をしていては変質者だと思われる。
良い目線のポジションが見つからずに、
オロオロしてるうちに会話が終わってしまう、
なんてこともよくある。

僕は相手を直視して「見過ぎ」と注意を受けることがあるので、
最近はなるべく目線を外すように意識している。
そういうとき僕は顔をちょっと横に向けることが多い。
同僚のイサムシくんはそれとは反対に、
これまで目線を合わせることをイケないことだと考えてきて、
今はなるべく目線を合わせることをテーマにしているそうです。

どっちかどうという話しでもないんですけど、
目線一つでコミュニケーションの内容が変わるんですから、
気になるテーマです「目線」。

2013年10月2日水曜日

蕎麦湯メイン

・最近続けて丁度陽が昇ってくる時間に
目が覚めています。
紺色の濃い紙に赤マッキーで線を引いたみたいな
まぶしい赤いラインがきれいです。

僕は朝起きるとすぐにお腹が空くんで
朝ごはんをまだ暗いうちに食べることになるんですけど、
そうすると十時頃にお腹が減って困ります。
困って力が抜けてしまうので、
やっぱり何かクッキーやスコーンを食べます。
だから早起きが三文の得にならずに、
早起きが三段腹の毒にならないか心配になってきました。

・そういえば昨日は晩に蕎麦を茹でました。
生蕎麦だったので蕎麦湯が飲めます。
それで茹でる直前にふと思ったのですけど、
普通に二人前とか三人前を説明書きに書いてある通り
「大きなお鍋にたっぷりのお湯を沸かしてください」
という指示に従って蕎麦を茹でた場合、
蕎麦湯はどうなってしまうのか?

たっぷりのお湯に少量の蕎麦を茹でただけだと、
蕎麦湯のあのトロッとした美味しさが出ないのではないか、
と懸念が沸き起こり、
とっさにお湯をけっこう捨てました。

そうすると今度は、
ちょっとのお湯でたっぷりの蕎麦を茹でる、
という状態に逆転します。
メインの蕎麦がおざなりで、
蕎麦湯中心の茹で方です。

ザルの下に鍋を置いて蕎麦湯を受け、
麺を水で流すと若干ぬめっとしている。
だけどもんで洗えば気になるほどではなかったです。

その、蕎麦湯中心に茹で上がった、
というより茹で残った蕎麦湯はどうか。
鍋を回して中の蕎麦湯のまったり感を確認してみる。
非常にまったりである。
液体みたいにせわしなくピシャピシャしていない。
堂々とノロンノロンしている。
「天下泰平」という言葉が思い浮かんで来て、
江戸時代にいるような気持ちになってくる。

これを残ったつけ汁のお椀に注ぐ。
チャピチャピ飛び跳ねない。
素人がプールに体ごと飛び込むのと、
イルカが腰をひねって海に潜り込むぐらい違う。
ツルーッとつけ汁に蕎麦湯が潜り込む。

そのお椀をシズシズと両手で持って、
(イソイソと片手でもいい)
口につけて傾けるとこれもまた
ツルーッと喉に蕎麦湯が滑り込んでくる。
非常にうまいです。

2013年10月1日火曜日

マイペースのなすり付けあい

こないだ同居人の荒川くんと熱く議論になったのですが、
その問題というのが、
「どっちがよりマイペースか」というもので、
マイペースなのを押し付けあいました。

僕らはどっちも人から
「荒川くん(牧くん)ってマイペースだよねー」
と言われることがけっこうあります。
それに対して僕らは「カチンとくるよね」と手を握りあいました。

「いや、こっちはキビキビ動いてるんですけど」とか、
「あからさまにバタバタするのは見苦しい」とか、
「状況に合わせてギアを入れ替えてるよ」とか、
僕たちは色々反論したくなるのをぐっとこらえているんです。

たまにムッとして反論をすると
「違うよー、良い意味で言ったんだよー」
と言い返されるので、
なんだかムッとした自分が悪かったみたいな感じになります。

さて、問題はここからです。
僕からしたら荒川くんのほうがマイペースだと思っています。
そう言うと荒川くんも同じように
僕の方がマイペースだと言い張りました。

「そっちでしょ」
「いやいやそっちのがでしょ」
「ははは、ずっと思ってたけど荒川くんかなりマイペースだよ」
「それはない!一心のがだいぶマイペースだね!」
というふうに。

なぜ僕らはマイペースの押し付けあいに発展してしまったのか?
それは「マイペース」という言葉に
ネガティブな意味を添えてしまうからというよりは、
素早く合理的かつ経済的な動作をするべきであるという、
ハイペース?な方針が僕らの体に無意識に染み付いているんです。
社会ではキビキビ動くべきで、
ノビノビではダメだという考えが。

でも人に「君はマイペースだね」と言うとき自分では、
上に書いたように「良い意味」で言ってるんです。
人に言うときは否定しているつもりはない。
でも人から言われると否定されていると感じる。

きっとそういう言葉は他にも探せばありそうです。
同じ言葉でも言うときと言われるときで意味が変わる言葉。
文化が違うとそういう言葉はもっと増えそうです。

たとえば、
日本人は「芸能人の〜〜に似てるよね」というやり取りを
けっこう楽しんでしますけど、
アメリカ人に「芸能人の〜〜に似てるよね」と言うと怒ります。
「ブラピみたい(アンジェリーナ・ジョリーみたい)」と言っても、
「おれはおれだ(ワタシはワタシよ)」というのも近いかもしれない。

現代日本はマイペースを楽しめきれない状況下にあると踏んだ
今日この頃です。