2015年4月27日月曜日

地球で立ち上がる筋トレ

アメリカの大学生の間でアデラルという薬が流行っていると、
アメリカの大学に通う弟が教えてくれました。
アンフェタミンが主成分の薬で、
日本では覚醒剤の一種で持っていると捕まりますが、
アメリカではADHDとして診断されると処方される薬です。

大学生の間で流行っているというのは、
病気ではなく健全な学生たちの間でのことです。
ぼくの弟も学校のテスト前に使ったことがあると言っていました。

弟はテスト前日勉強しないといけないにも関わらず、
二日酔いでテキストに向かってもまったく頭に入らなかった。
そこで周りのみんなが常用しているのを知っていたので、
友達から一粒もらって飲んだ。
夕方薬を飲んでから、
翌午前2時までひとときも休むことなく勉強を続けて、
テストでは高成績を取ったそうです。

眠気をすっ飛ばして、
記憶力はカメラで写真を撮ったように鮮明になる。
気分は若干ハイになって気持ちいい。
たとえば、そんな薬が図書館のトイレで一錠千円で売ってたらどうしますか?
というか売ってるみたいですけど。

もしぼくが良い大学に入るために猛勉強しなきゃいけなかったら、
これは買ってしまいそうです。
だって実際に良い点数が取れるんですからね。
周りにこのアデラルを使って良い成績をとるやつばかりがいて、
自分だけ使わずに望みの大学に行けなかったりしたらなんて考えたら、
「みんなばっかりズルいじゃないか」
となってそれなら自分もということになりそうです、きっと。

だけど同時に、
潜在能力を引き出すことや、
普段以上の力を出したいという願望はあるんですけど、
ノーマルの自分じゃないときに出した“良い結果”は気持ちよくはあるんですけど、
充実感がない気もします。

ぼくにとってこれは酒で、
ぼくは酒を飲むとよく喋れるようになります。
面白いことを言えるようになるし、
ズケズケと物怖じせず何でも言えるようになる。
解放的で良い気持ちなんですけど、
翌日シラフに戻ると喋りすぎた自分に恥ずかしくなる。
普段以上の自分が面白いことを言って人を笑わせても、
自分の実力ではない気がして充実感に欠けます。

最近はぼくの内臓のアルコール分解能力が低下してきたせいか、
これまでと変わらない量の飲酒で二日酔いをするようになってきました。
ますます、自分の実力以上のものを求めるな、
という声が聞こえてくるようです。

それに対して、
自分が悪い状態のときに、普段と同じ仕事ができたとき。
たとえば二日酔いだとしたら気持ち悪くて吐きそうなんですけど、
それでも一日ピザを焼き終わって、掃き掃除まで終わると、
充実感や達成感で、ヤッター!と喜べます。

例が極端なのでもっと日常的には、
朝起きて出勤して車を駐車場に停めて降りようとしたときに
「ああ、なんだか今日は身体が重いなー。辛いなー」
とぼくはよく感じてゆううつになります。

だけどある日を境に、
身体は重いのが普通なんだ、
羽が生えたように軽い身体なんて幻想なんだ、
地球には重力があるんだから重いに決まってる、と覚悟しました。

つまり、立つことそれ自体が筋トレなんだ。
車から降りようとするとき、
椅子から立ち上がること自体が重力に逆らうという筋トレなんだ。
そう思うと、ちょっと自分の足腰がたくましく思えてきます。
ぐっと力を入れて、ピクピク(ふくらはぎら辺)。
いいねー、今日も一日やるか。みたいな。

もし車から降りるときゆううつを感じる方がいたら、
ぜひこう思ってみてください。
地球で立ち上がること自体が筋トレなのだ、と。
するとふくらはぎに力が入りますから。

2015年4月17日金曜日

発芽洗濯機

汚い話しで申し訳ありませんが、
二、三週間洗濯機の糸くずフィルターの掃除を忘れていました。
久しぶりに取り出してみると、
溜まった糸くずの中から何やら緑色の細いものが伸びている。
何かが発芽していました。
ぼくのポケットから種が落ちたのか?

オーシャンの理念は「農のある生活」です。
ぼくはこの理念にそって新芽を見守る義務があるような気がします。
糸くずのまま鉢に入れようかと思います。
どうしよう、金のなる木が育ったら。
わくわく。


2015年4月6日月曜日

フリーモント通りの住人

ぼくはラスベガスにいる間、
ネバダで“一番悪い通り”といわれるフリーモント通りの事情が気になっていました。
気になってはいたけど、
わざわざ自分から危険な目に合うようなことはしたくありません。

最初にフリーモント通りのことを聞いたのはゲーリーからでした。
「なんだってそんな悪い通りを選んだんだ!」
そしてフリーモント通りの二つ目の情報は、
フリーモントのアーケード街で寄付金を募るNPOのあさこさんから聞いたものです。
ラスベガスは全米屈指の人身売買が行われている地域で、
彼女は売春の阻止や、
ピンプと呼ばれる売春斡旋者を撲滅するための活動をしているそうです。

ぼくはあさこさんにフリーモント通りがどんな通りか訪ねた。
「ごめんなさいラスベガスに住んでるんですけど、東側は知らないんです。
メイン通りの西側のアーケード街は観光客も多くて賑わってるんですけど、
東側は、特に女性が一人で行くことは絶対に避けてと言われてて」
ますます興味が湧いてきます。

フリーモント通りはラスベガスの南北に伸びるメイン通りを東西に横切る一本道です。
メイン通りから西側はアーケード街になっていていつも賑わっています。
ストリートパフォーマーが何人も投げ銭を得るために楽器をやったり、
即興のスプレーアートや、
過激な衣装を着て観光客と一緒に写真を撮ったらチップをもらっている。
パフォーマーたちにとってはやりがいのある場所です。
オープンテラスでビールや赤・青・緑の毒毒しいカクテルを売る店も何件もあり、
酔っ払った観光客たちが上機嫌に騒いでいる。

それに対して、メイン通りから東側に延びる通りは、
奥に行くにつれて荒んでいく。
観光客やサービス精神溢れるパフォーマーから、
浮浪者やギャング風の青年たち、麻薬中毒者に変わっていく。

フリーモント通りでは何件もこういうモーテルを目にしました。
外壁がすべてコンパネ張りになっていて窓がない。
窓がない代わりに平らなコンパネ材の上に偽物の窓が描かれていて、
それがまた安っぽさを醸し出している。
それらのモーテルの半分以上は柵を閉めて営業を停止しています。
たぶんどんな安宿を求めている人も
窓の無いモーテルは選ばなかったのでしょう。

ぼくの入ったラスベガス・ホステルはその中でも最もマシな宿だったと思います
(フリーモント通りの一番奥でバス停から遠いということを除いては)。
特にスタッフはみんな友好的でした。
四人部屋でしたけどぼくが滞在していた間はずっと一人だったのもラッキーです。
ユースホステルの朝食システムは一件ごとにそれぞれですけど、
ここはパンケーキの液がジャーに用意されていて、
自分で好きなように焼けるというシステムでした。

このまま何事もなくラスベガスの生活も平和に終えると思っていましたが、
最終日になってついにフリーモント通りの片鱗を垣間見た気がします。

朝、ぼくはいつもと同じようにフリーモント通りとメイン通りの交差するバス停から
コンベンションセンターに向かおうとしていました。
普段よりも遅い時間で十時頃に出発すると、
キップ売場の周りにはすでに何人か並んでいる。
ぼくがキップを買おうとすると、
片杖ついた中年の黒人が「おいそっちは故障してるからこっちを使え」と、
“親切”にもアドバイスをしてくれました。

ぼくは券売機にドル札を差し入れました。
往復券で8ドルです。
ぼくは20ドル札を挿し入れた。
券売機が札を吸い取ると、
「ピー」と音がして札が戻ってきた。
その瞬間、
横からさっと手が伸びてぼくの20ドル札をその黒人の男が取った。
「ちょっと任せてみろ、この機械は癖があるんだよ!」

あ、この男はホームレスだ、とぼくはやっとこのとき気付きました。
これはめんどくさいことになったぞ、と。
その男はぼくの20ドル札を再び差込口に入れました。
だけどまた「ピー」と音が鳴り札が戻ってきた。
ホームレスの男はぼくを横にどけて正面に立っていました。
ぼくが札をあっさり取られたようにはやり返されない位置を守り、
戻ってきた札をまた自分で取り再び入れる。
だけどまた戻ってくる。

そこで男はこう言いました。
「おれのこと見てわかるよな?ホームレスなんだ。
おれには金が必要なんだ」
そしてぼくの20ドル札をポケットに入れるが早いか、
振り向くと、そのまま去って行こうとしました。

ぼくはその男の腕を掴んで、
どこに行くんだ取ったものを返せと言いました。
「何を!?」と男は目をギョロつかせました。
ポケットの中に入れたおれの20ドル札だと言うと、
「ポケットの中には何も入ってない!」と開き直りました。
ぼくはこんな簡単な手口に引っかかったことと、
強引な手口にカッと怒りがこみあげてきて、
男が手を入れているポケットにぼくは手を突っ込んで、
20ドル札を引っ張り出そうとしました。

すると男は「誰か、誰か助けてくれ!警察を呼んでくれー!」と騒ぎはじめました。
アーケード街が賑わいはじめてくる時間帯で、周囲の視線を浴びる。
逃げて行こうとする男の腕を掴み、
いますぐ渡さなきゃ捕まるのはお前だと言うと、
今度は「返したらいくらくれる?」と言いはじめました。
ぼくは一セントたりとも渡すもんかという気持ちになっていた。
「見てみろおれのことを、杖をついているんだぞ!?」
そんなこと関係ないと言う。
やっと男は諦めて20ドルを返しました。
だけど、返してもらったら返してもらったで、かわいそうな感じがして、
2ドルだけやると言って空っぽになった男の手に握らせたました。
男は2ドルをすぐポケットにしまい、
怒りながら「God bless you!」と言って去っていきました。

今思えば、こんな強引なやり方なんかに、
やっぱりあげなければよかったです。

イベントが終わり、
空港に向かうためにホステルへ迎えのシャトルバスを予約していたんですけど、
いい加減なシャトルバス会社で一時間待ちぼうけをくらわされていました。
ホステルの男性スタッフは何度も催促の電話をして、
「こういうことは前にもあった。このバス会社の人間はバカばっかりなんだ!
苦情のメールを管理会社に送ってやる」
と一泊30ドルとは思えない心強い対応をしてくれていました。

バスを待つ間ぼくはホステルの玄関の外に座って通行人を眺めていました。
ぼくのような東洋系の人間が何もせずぼーと座っているのが珍しいのか、
通行人がみんな声をかけてきます。
「何してるんだ?」とか、
「小銭をくれ」とか、
「電話を貸してくれ」とか。

その中の一人のお洒落な黒人女性に「カートピルはないか?」と聞かれた。
それは何? とぼくは聞き返した。
「カートよ、カート!
噛むとハイになるやつ。
持ってない?」
ぼくはやっと理解して、持ってないと答えた。

カートとは何か?
ぼくはちょうど、アメリカに向かってくる飛行機の中で、
このカートというものを本で読んで知ったばかりでした。
ポール・セローの『ダーク・スター・サファリ』は長編アフリカ旅行記です。
この本は旅行に持ち歩くにはかなり重く、
今メジャーで測ってみたら、厚みが五センチもありました。
だけどまさかこの本がラスベガスのダウンタウンで参考になるとは……。
セローはエチオピアでのカート体験をこう綴っています。

「それは古いインド商人の邸宅で、かつては豪奢だったようだが、
今ではがたが来ており、シーク・ハジ・ブシュマという伝統治療師が住んでいた。
その男は絨毯の上で足を組んですわり、香の煙が立ちこめるなか、
カートを噛んでいた。
口の中はその塊でいっぱいで、
唇と舌は緑色がかったカスで、てかてかしていた。

『喘息、癌、ハンセン病、なんでも治します——神のご加護と薬によって』
治療師は言った。
少し言葉を交わすと、カートの葉をくれた——それが私のカート初体験となった。
舌にぴりっときたかと思うと、噛むほどに味覚が鈍っていく。
バートンはこう記していた。
『その葉には想像力を活性化させ、思考を明晰にし、心を陽気にさせ、
眠気を減らし、食事に取って代わる、類ない効能』があると。

会話を不能にさせる効能もあった。
シーク・ハジ・ブシュマは、治療のあらましを話すあいだ、
どっしりと座して反芻動物のごとくカートを咀嚼しながら、
ときおり私に微笑みかけ、
手にしたカートの束からさらに何枚かつまんで口に押しこんでいた。

給仕係の少年のひとりが私にもカートの束をくれたので、
ひたすら噛んで飲みこみつづけた。
十分か十五分もすると、ほろ酔い機嫌になってきた。
成果を得た感覚があった——なんでも二回は試してみるのが私のモットーだ」

イスラム教では飲酒が禁止されている代わりに、
このカートを常用する人が多いそうです。
それにしても、この黒人女性はなぜぼくがカートを持ってると思ったんだ?
それも葉っぱじゃなくてピル(錠剤)。
ニット帽をかぶって、青白い顔のぼくを売人だとでも思ったのか?

次に通りがかったのは男女四人グループで、
その一人のエイミーが猫撫で声でぼくにしゃべりかけてきた。
ヘソ出しの露出の多い服を着て、一見若そうに見えましたけど、
げっそりとした頬と、四十か五十か年齢不詳のシワで、麻薬中毒者だと分かる。
エイミーは歩道で立ち止まり、
「その腕のタトゥー何て書いてあるの!?」と言いました。
「私のを見てよ」と彼女はシャツをめくりやせ細った腕を見せました。
漢字で「実」と彫ってある。
「“真ん中の部分”っていう意味でしょ?あなたお名前は?」
ぼくはイッシンだと答えるけど、
彼女が口を開くたびに舌の上に刺さった緑色のピアスが気になっていた。

グループの他の三人は歩いて先に行ってしまった。
「あなた名前の綴りは?」ぼくが答えると、
エイミーはぼくの右手をとってキスをした。
するとグループのもう一人の女が戻ってきて
「彼女大丈夫?あなたに危険なことしてない?」と言って、
エイミーを連れていきました。
エイミーは腰をくねくねとふって、途中で振り向きぼくに手を振った。

ピンク色のジャージを着たスキンヘッドの大男は、
五十メートル先からでも目立っていました。
近付いてくるとその異様さが何かわかった。
二メートルもあるその男は中年にも関わらず、
極端なほど猫背で前屈みになっていた。
その男はぼくの前を通り際に
「なんだってこんな時間にぼーとしてんだ?仕事はねえのか」と言われた。
そして少し離れると振り向いて
「おれに仕事をくれ!」と大声でいってまた歩き出しました。

一時間座っていただけでこれだけの印象が与えられるフリーモント通りは、
悪いだけじゃなく、ディープです。

朝食のパンケーキ。
強火でカリッとがぼくは好きです。

 フリーモントのアーケード街のコスプレカップル。
扇子の裏は胸丸出しです。
チップを請求されるのが嫌だったので遠目から。

ぼくの泊まっていたホステルの横の駐車場。

2015年4月1日水曜日

バジルの神様ゲイのゲーリー

バジルの神様ゲイのゲーリーは
真っ黒でフルスモークのクライスラーに乗って現れました。
そのときぼくはラスベガス到着初日で、
イベント会場にたどり着けず迷子になっていました。

ぼくが歩道を歩いていると呼び声が聞こえて、
振り向くとピカピカの高級車に乗った男がいました。
近付くと「◯◯通りがどっちか分かるかい?」と訊ねてきたので、
ぼくはさっきラスベガスに着いたばかりで今自分も迷っていると言いました。

その男は薄くなった白髪をオールバックにした二重あごの腹の出たじいさんでした。
ぼくのようなリュックを背負った背の低い半東洋人に道を訪ねるのもおかしな話しです。
何か別の目的があるのか。

どこから来たのかのと聞かれたので日本からだと答えると、
彼は「コンニチハー」と言いました。
「私は日本の会社で働いていたんだ。
うちには日本人のホームステイがたくさん来たよ。
見てくれこの写真を」
男はサンバイザーの裏から写真を何枚か取るとその一枚を見せました。
黒くて丸いものが四つ写っていて、
男は「お好み焼きだよ!」と嬉しそうに言いました。

日本の話しを一通りして男は言いました。
「ところで、どこに向かっているんだい?」
ぼくはコンベンションセンターだと言いました。
男は人の良さそうな顔でにっと笑うと、
親指で助手席に乗れよと促しました。

助かった!とぼくはもう汗まみれで歩くのが嫌になっていました。
相手が何の目的でぼくを助けてくれるのかという動機は、
そもまま人助けとして受け取り車に乗り込みました。
男は力強い握手をしてゲーリーだと名乗りました。

コンベンションセンターには十分ほどで着きました。
歩いていたらゆうに一時間はかかる距離です。
その間ゲーリーは〈三和銀行〉のアメリカ支社で二五年働いていたこと、
仕事で東京に五回行ったこと、
旅行好きでこれまでに五八国旅をしたこと、
今は週に二回銀行で働いていることを話しました。

ほとんどゲーリーがしゃべっているうちにコンベンションセンターに着きました。
ぼくはゲーリーに興味が湧いてきたこともあり、
ラスベガス在住ならバジルのありかを知っているだろう。
そこで、予定がなければ今夜ビールでも飲もうと持ちかけると、
ゲーリーは待っていたと言わんばかりに二つ返事で迎えに来ると言いました。

午後八時、ゲーリーは約束の時間ぴったりに現れました。
車に乗りぼくは今夜中にバジルを買っておきたいのだけど、
どこかに寄ってもらえないかと伝えると、
「まったく問題ないさ。私にまかしてくれ!」と頼もしく言い、
ゲーリーはまっすぐ自宅へと向かい十五分で着きました。

ラスベガスの喧騒を離れたきれいな住宅地で、
ゲーリーの家も新しく、住みはじめて一年だと言いました。
ガレージの電動シャッターを開けて車を入れるとき、
そこに頭の無い兵士の像が立っていました。
中国始皇帝の兵馬俑です。
ゲーリーにこれは本物かと聞いたら中国で買った本物だと言いました。

家の中に招かれるとあらゆる国の美術品のガイドがはじまりました。
スカンジナビアの古いティーポットのコレクション、
ギリシャのトロイ戦争が描かれた陶器、
中国製の周囲を何百個という真珠で埋めて
中に美しい絵を手描きで一年かけて制作したという壁一面の巨大な板の掛軸、
日本の刀、
ペプシのCEOからプレゼントされたというサイン入りの壺。

一通り見物が終わるとビールを持って裏庭に通されました。
玉砂利を敷き、黒竹が植わって日本庭園風のはずなんですが、
カンボジアで発掘された大きな仏像が二体置かれている。
これだけ高価なお土産物オンパレードが続くと疲れてきます

ともかく、ビールを飲みはじめました。
ゲーリーはしきりに何でも質問してくれと言うのでぼくは質問をする。
旅の鉄則は?と聞くとゲーリーは三つあると言う。

⑴Open mind 広い心
⑵Loving heart 愛する心
⑶Good beer drinker ビール飲み

「この三つは百ヶ国以上旅をした親父から教わったことさ。
このことを意識してきたおかげで私は楽しい旅ができたよ。
ところで君はビール飲みだと言った割にはぜんぜん飲んでいないじゃないか!」

ゲーリーはしきりにぼくにビールを勧めてくる。
「君の飲み方はこうだ」
と言ってジョッキに口を付けて、チビッという音を立ててすすった。
「それはビールの飲み方じゃない。見てみろ私の飲み方を」
とジョッキから三口飲み、三分の一の量が減った。
「分かるか?『ゴップゴップゴップ』だ。さあ、やってみろ」

会話に間ができるとビールを飲めと言われるので、
ぼくは家族のことや仕事のことを矢継ぎ早に聞いて会話を途切れないようにした。
それでもかなり酔っ払ってきた。
ゲーリーも酔っ払ってきたようで、彼は力強く手を広げてこう言った。
「絶対に嘘はつかない、なんでも教えてやるから、一つだけ質問をしてみろ!」

ぼくはほんとは「この美術品の中で一番高いものの値段は?」という質問がしたかった。
だけどここら辺ではっきりさせたほうが良さそうで、
きっとゲーリーもそれを聞かれたいのだと思い、
「あなたはゲイか?」と聞いた。

ゲーリーはまた手を広げて言った。
「そうだ、私はゲイだ」
ゲーリーは手を広げたままぼくの反応を伺った。
「もし失望させてしまうなら申し訳ないですけど、ぼくはストレートです」と言った。
ゲーリーはフッと笑い右手でハエを払う仕草をした。

「私はどんなことも正直に答えると言った。
だけどゲイだってことは隠す必要のあることなのか?
私は一度たりとも自分がゲイだってことを隠したことはない。
それとも、ゲイだと言ったら君は気分が悪くなるのか?」

もちろんそんなことはないです、とぼく。
「君の誕生日は六月だろ?」ゲーリーは言った。
ちがいます。
「それなら八月だろ?」
ちがいます。
「分かった、十一月だろ?」
ちがいます。
「もういい!君の誕生日が何月だろうがもう知ったこっちゃない。
君といると私はとても居心地がいい。
私が居心地が良いと感じる人間はみんな六月生まれなんだ」

ぼくは話しを変えようと思って、
ずっと気になっているバジルのことを訊ねた。
「私はだいぶ酔っ払ったよ。
今日はもう運転できない。
明日の朝買いに行こう」

ぼくはこの状況でバジルはなかば諦めていました。
ゲーリーは良ければ一緒にベッドで寝てもいいとオファーを出してくれましたけど、
ぼくはゲストルームで寝させてもらうと言いました。
ジョギングマシンと腹筋マシンが置いてある部屋で、
ぼくはそれにシャツと靴下をかけて、
ズボンだけは履いていたほうがいいような気がしたのでそのまま寝ました。

浅い眠りのまま太陽が昇るのを待ってから出かける用意をすると、
ゲーリーはすでに準備を済ませていました。
「さあ行こうか」

ゲーリーがスーパーマーケットに入るまで、
ぼくはバジルのことを一瞬忘れていました。
朝の七時半で、
まさかアメリカ人がそんなに早くから店を開けているなんて思わなかったのです。

ゲーリーは「私は車で待ってるから探して来なさい」と言いました。
ぼくはドアを開けて出るとき一瞬躊躇しました。
これは仕返しをされはしないか?
ぼくがゲイじゃなかったことに怨みを抱いていて、
スーパーに行っている間にゲーリーはぼくを置いていくんじゃないか、
と疑念が頭をよぎりました。

なのでぼくは荷物を全て持ってスーパーに入りました。
不安と興奮が交錯する中で野菜コーナーで見つけたバジルは、
ほかのどんな野菜よりも緑鮮やかに輝いていました。
こんなにバジルが恋しかったことはありません。
20ドル出してもいい、そう思いましたけど、2ドルで買えました。

ぼくはバジルを持って早歩きで駐車場に戻りました、
そこにはもう誰も待っていないという不安に駆り立てられながら。
しかしゲーリーは待っていました。
「あったかい?良かったじゃないか」と軽く言いました。

こうしてぼくは最後のアイテムを手に入れました。

もし大会の競技に
「いかにして手間をかけて材料を用意したか」という部門があったら、
きっとぼくは優勝していたと思います。