2013年2月28日木曜日

飾らない男

・昨日は韓国のテレビ局がオーシャンの取材にきました。
畑をやりながら飲食店をやるというスタイルが興味を引いたみたいです。
他人に職場を見られるのは大事だと思いました。
きれいに見せようという意識が最近欠けていたなと気付かされます。

・ヒデミツという男がいる。
僕の中高の同級生で、つまり29歳です。
これまで彼女がただ1人しかできたことがない男。
しかも2週間でフラれた。

外見は二枚目だけど中身は二枚貝のように硬い堅物ヤローです。
堅物とはどういう人物か、辞書にこう書いてある。
「生真面目で融通の利かない人のこと」
このヒデミツという男はまさに辞書通りの男です。

僕はヒデミツに女の子を紹介するたびに、
彼の母親にご飯を呼ばれて、おもてなしをされます。
昨日で三回目のおもてなしをされた。
もちろん、女の子を紹介してもうまくいかないから、
三回ももてなされてるわけです。

こうやって何度もご馳走でおもてなしを受けると、
自分はヒデミツの将来に関わっているのだという責任感が出てくる。
というのは嘘で、
むしろうまいご飯を食べさせてお酒を飲ませてもらえるので、
ヒデミツの将来のことを考えるよりは、
他所の家庭の食卓を楽しむ気持ちになってくる。

彼女ができないヒデミツにお母さんはこうアドバイスをします。
「自分を飾らなくても、ふつうにしていればいいのよ」
その通りだと僕も思う。
でも! と僕はお母さんに言う。
「こいつは飾らなさすぎですよ!」

ヒデミツのストイックさは修行のレベルにあり、
100キロマラソンをこれまでに2回、
フルマラソンはこれまでに5回以上走っている。
ヒマがあれば毎日走っている男です。

ご飯会があるとき、
彼はこれからジョギングに行ってきますという格好でやってくる。
顔も自分を克服するという長距離ランナー特有の研ぎすまされた顔で、
女の子はとりつく島もない。

恋愛は個人的なものなのであんまり横やりを入れてもダメでしょうけど、
彼のお母さんが良い人なので、
このまるで結婚のできそうにない男を(人のことを言えない)、
なんとかしなければいけないと責任感が出ないでもありません。

でも僕にどれだけ責任感が湧いたとしても、
融通の利かない堅物に対して、
僕のアドバイスがこれまで役に立った試しはない。

きれいに見せようという意識ばっかりになってもダメなんでしょうけど、
飾らなさすぎも困る。
困った男ヒデミツです。

2013年2月27日水曜日

Fun を見る

昨日はクラブ・クアトロで〈Fun〉を見てきました。
ライブ感満点のライブで、
〈Fun〉のファンが熱烈に、
みんな歌に合わせて歌えるのがすごかった。

ボーカルのネイトの歌声は手元で伸びてくる直球という感じで、
ミットにバシッと収まる聞き心地があります。
〈Fun〉を聞いていて思い浮かぶのは、
クイーン、フレディ・マーキュリーです。

曲では劇っぽいものもあって、
一曲毎にそれぞれちがう雰囲気の曲があれば、
一曲の中でガラッと雰囲気を変えてくる部分もある。
それと良いボーカルに加えて、
コーラスが重なるポリフォニックな奥行きもクイーンっぽい。

歌声で一杯になるような小さめのクラブで聞くのもよかったですけど、
今年の夏はフジロックに来るみたいなので、
その広い場所でネイトの歌声の伸びてくる感じも聞きたい。

2013年2月26日火曜日

15分昼寝メソッド

僕はたまに15分昼寝をしますけど、
「横になってから15分後」
というのを目覚ましで設定するのが難しかった。
家なら寝床で横になって目覚ましをかける。

たとえば、時計の時間が14時27分でその15分後とか、
15時49分の15分後とか、
15分後をパッと計算できないときがある。

そういうとき仰向けになって頭で計算しながら、
iPhoneの目覚ましを指でシュシュッと回してるうちに、
ディスプレイの右上の時間が1分進んでたりする。
しまった、再計算しなければ! と僕は思う。

たかが1分進んだだけで大げさなと、
こうやって書いている僕自身思います。
しかし昼寝をしたいときの頭はかなり朦朧としていて、
早く眼をつむりたいという体の欲求に逆らい、
かろうじて意識を保ってるような状態です。

15時49分の15分後は、
えええと、54分じゃなくて59分でもなくて、
16時になるからぁぁぁ09分? あ、04分だ。
合ってるよな? いいよな? いいよな?

と、かなりの混乱状態。
プラス早く設定しないとまた1分過ぎてしまうという焦り。
アンド欲求に従ってすぐ眠りに着けないストレス。
こういう状態で設定した時間がいつも正確とはかぎらない。

10分長めてしまったり、
早めて5分で目覚ましが鳴ったりする。
一度睡眠モードから呼び戻されるともう昼寝終わりという感覚になるし、
余計に寝てしまうと頭がぼーっとして意識がクリアになるのに時間がかかる。
昼寝という本来リラックスを得るための行為が台無しです。

そういうふうに僕は「ただの昼寝」を難しいものにしていたんですけど、
ついに昨日大発見をしてしまった。
これを簡単に人に教えてしまっていいのか悩みました。
「人生と睡眠」というテーマを意識しはじめて早9年。

8時間睡眠生活をして楽天的だったあの頃。
3時間睡眠生活を続けてヘトヘトになったあの頃。
6時間睡眠生活を続けて微妙に物足りなさを感じていたあの頃。
こういう◯時間睡眠を一掃する「15分昼寝」に辿り着いたのが今です。

何時間寝ようがもし眠いときは、
「15分昼寝」をすればすっきり満足できるという安心感。
これをアップグレードさせた「15分昼寝10.1」
僕はこれを自分だけのものにしようとは思いません。

「15分昼寝」のストレスフルだった目覚まし設定はもう僕たちに必要ない。
誰が起床時間を設定するのを「目覚まし時計」と決めたのか?
アプリの中で「アラーム」と書いてあるものを、
あなたは無意識に選ばされてはいませんでしょうか。

「アラーム」の右二つ隣りを見てください。
そこには「タイマー」があります。
それこそが答えです!

カップラーメンの時間を計る、
パスタの茹で時間を計る、
パンの焼き時間を計る、
しかし誰が、「タイマー」の用途を料理だけに決めたのか?
そこにこのチョイスも加えてください。
昼寝時間を計る。

いつ何時に昼寝をしようがドントマインド。
タイマーで15分を開始させるだけ。
昼寝前の暗算でリラックスを奪われることはもうありません。
どうですか。
すごいでしょ、これ。
すごいですよね?

2013年2月25日月曜日

最後まで仕事をしない洗濯機

洗濯機が壊れました。
買ってから四年です。
故障したモーターを直すと買い替えに近いだけかかるそうで、
自分の洗濯機にはイライラさせられていたので、
買い替えることにしました。

ウチの洗濯機が現役の頃、
洗うたびにいつも脱水前に警告音を出して止まった。
その度に僕は一回電源を落として、
再びコース指定で〈脱水〉をしなければ洗濯が完了しなかった。

その洗濯機が最後の仕事をしたとき、
というか最後まで〈最後まで仕事をしない洗濯機〉だったのですけど、
僕の前には脱水がされずに水がポタポタ滴る洗濯物が、
山盛りにカゴ一杯分残された。

このツインドライフムフムとかいう機能が付いとるやつの調子が悪いのは
ウチのやつだけじゃないです。
祖父の家のやつも同じように脱水を残して止まります。
僕が一回コインランドリー代をケチって祖父の家で洗わしてもらったとき、
同じ原因で止まった。

祖父は「いっつもこうだ」と言って、
僕がしたのとまったく同じように〈脱水〉指定で再スタートしていた。
「これもうすぐ壊れるで心の準備しといてね!」
僕は予言をして帰りました。

注文した洗濯機がくるまでの一週間は、
[ビジネスホテルタケソウ]の一階にあるランドリーに行ってます。
ホテルの人が使えるように他の店よりも遅くまでやっていて、
家からもっとも近いので。

そこの洗濯機の「みてくれ」は鉄です。薄い鉄板。
蓋を開けて離すと「バシャタン!!」と耳に響く。
僕はそこの洗濯機を調べた。
洗濯機をちょっと前にズラして裏側に首を突っ込む。
製品名や製造年月日にはこう書いてあった。
「平成二年」

今が平成25年ですから、
23年間現役の洗濯機です。
パオロ・マルディーニが25年間セリエAで現役でしたから、
もうすぐ記録に並びます。

洗濯料金200円。
お湯洗濯の場合250円。
僕はよく洗剤を持ってくのを忘れて、
取りに帰るのもめんどうだからだいたいお湯洗浄です。

23年前の洗濯機が現役バリバリで、
4年ちょっとのやつを買い替えるなんて。
これを消費社会と言うんですかね。

2013年2月24日日曜日

レモンの輪切り

おはようございます。
日曜日の朝で、
早く仕事に行かなければいけないし、
きっとアクセスも少ないんでしょうから、
少し前のブログをコピペしても誰にも気付かれないかもしれないですけど、
しかしこういう力の抜けた仕事は、
業務的にやれなくなります。
何でなんだろう。

忙しかったり、
ヒマな時間が少なかったりすると、
一日の中の〈どうでもいい仕事〉を削りがちになるのに。
他方〈どうでもよくない仕事〉といったら、
やらなければ人に迷惑がかかる仕事や家事とかです。

〈どうでもいい仕事〉とはやってもお金にならなければ、
やらなくても誰も困らないようなことです。
ほぼ自分のことしか書いてないし、
書かなくても誰にも迷惑かからない。
このブログは卑下でも何でもなく
〈どうでもいい仕事〉に分類されます。

でも僕がむしろ〈どうでもよくない仕事〉を放り出してでもやりたいことは
〈どうでもよくない仕事〉より〈どうでもいい仕事〉の方です。
力を入れるばしょにずっとはいられません。
〈どうでもよくない仕事〉はいい加減にやれないから力が入る。

たとえば力が入ると、
後輩のヤーマンをいびらなければいけなくなる。
いい加減にしてはおけないぞ、
と業務的な僕はそう思うようにインプットされている。
ヤーマンはレモンの輪切りがめちゃくちゃヘタです。
それを僕は何度も切り直しを命じる。

〈どうでもよくない仕事〉には力が入る。
レモンの輪切りが上手く切れるかどうかは、
カフェにとって死活問題である、
と僕はガミガミ言う。

このブログを通して僕は何を語りたいのか、
それを探すために書きはじめたら、
「レモンの輪切りが歪んだらやり直し」
になりました。

2013年2月22日金曜日

島あさりでボンゴレ

今週の日曜日は「満月BAR」です。
普段はビーガンレシピですけど、
月に一回、三河湾の魚貝を使った料理を出します。
今回は旬がやってきた島あさりを使ってパスタを出してます。

ついこないだ仕事帰りに晩ご飯で寄った
ラーメン屋兼居酒屋兼食堂のような吉良町にある「むさし」という店で、
梶島で穫れた島あさりを食べました。
味噌ラーメンと一緒に頼んだんですけど、
おみそれしました、とはこういうことだったのか。
というぐらい島あさりうまかったです。

いつか食べたいと思っていた島あさりのボンゴレ。
キャンドルナイトにバックが生演奏でボンゴレ。
それホントケ?
ゴレボントデス。

アンティモ

本日のりょうちゃん聞き間違いコーナー。
友達の結婚式で和食とフレンチが組み合わさった
豪華フルコースをサービスされて雰囲気に飲まれた一場面。
ウェイターがきれいに盛った料理を説明する。

りょうちゃん「アンティモの白ワイン蒸し!? アンティモってなんですか!?」
ウェイター「・・・あん肝にて御座います。あん肝の白ワイン蒸しで御座います」

2013年2月21日木曜日

ヌーディストアイランド

・今日の「海・mono・野菜」は予約が埋まってしまいました。
しかし当日来てくれた方にはメインはつかないですけど、
パスタランチを用意してますので、
monoのパスタ食べたい方はぜひおいでください。
ただし席が少なくなってますので、
早めのお時間をおすすめします。
神谷いずみさんの料理を楽しみに、
大勢の方が来てくださるということで、
助手手伝いの僕も気合いが入ります。

・気合いが入って昨夜は寝れずに、
というか返却期限が迫ってたので、
夜中に新藤兼人の『裸の島』を見ました。
1960年公開の白黒でセリフ無しの映画です。

毎日水汲みをして、
乾燥した大地を耕す。
日々変わらない仕事。
ただそれだけの内容なのに引きつけるものがある。

裸の島は人の心そのものなのだ。
つまり、裸のギャルが無人島にたくさんいて
自分がもてはやされる。
違う!

裸の島は人の心そのもの、そうです。
僕はこの映画についてそういうことを書きたい。
しかしこのブログを書いている時間はもう夜中で、
僕はとても眠くて裸のギャルの無人島以外想像できなくなってる。
だからすいません、
これにてドロンします!
monoデイをお楽しみに。

2013年2月20日水曜日

ダサさを見せる映画

・明日は「restaurant mono がオーシャンにきて作るモノ」の日です。
オーシャンの普段のスタイルとはちがってコース料理なので、
時間の流れもゆったりとします。
働く方は普段とやり方が変わるので戸惑ったりもして、
心の中では焦ったりもしますけど、
心の中の中ではそれが楽しいとも思ってます。
今日は下ごしらえです。

・コーエン兄弟の映画を立て続けに二つ見ました。
一つ目は『オー・ブラザー!』で、
ジョージ・クルーニーが主人公です。
音楽がよくて、
見終わってすぐアマゾンでサントラを買いました。

二つ目は『バートン・フィンク』で、
こっちは傑作『ビッグ・リボウスキ』で超濃厚だった二人が
メイン人物で登場してます。
スランプの作家が書けずに悩んでいるところに、
怪奇殺人事件に巻き込まれる話です。

コーエン兄弟の映画が好きで遡って見てますけど、
この二本の映画を見て分かりました。
コーエン兄弟は俳優をわざとダサく演出するのがすごいと。
俳優をカッコよく見せる監督はたくさんいるでしょうけど、
こんなに俳優をダサく際立たせる監督は少ないんじゃないか。

特に多用されるダサ演出の一つは、
ズボンをヘソの上まで引っ張り上げてるキャラクターが多い。
そうすることによってでかい尻とビール腹を際立たせる。
デブという身体性を全面的にダサく見せる。

それはデブにかぎらず、
カッコいい風な男もやっぱりズボンを上まで引っ張り上げて、
締まった尻を強調させるし、俳優もそういうダサい演技をする。
『ビッグ・リボウスキ』のジョン・タトゥーロはその極みだった。

ファミリー向け映画ではないです。
反感をもちそうな場面がたくさんある。
先天的な体の特徴を笑いものにしたり、
動物虐待(牛を撃ったりカエルを潰したり)だとか、
コンプレックスを逆撫でする映像も少なくない。

他の映画の中にはそういうバイオレンスさで気分が悪くなるのもある。
でもコーエンブラザーズはそういう人の神経に障りそうなことを
黒い笑いに変えたり、そこが深いと思ってしまう見せ方をする。

カッコいい人物をマネしたくなる映画がありますけど、
コーエン兄弟の映画にマネをしたくなるキャラは出てきません。

2013年2月19日火曜日

トマトソースとみそ煮込み

僕は寿がきやのインスタントの〈みそ煮込みうどん〉が好きで、
常にストックがあります。
いちばん多いのは溶き卵を半熟状態にして食べるパターンです。
でも、具なしで付いてくる七味だけかけて食べることもあれば、
余り物の野菜を何でも入れて“ごった煮”にして食べることもある。

好きだけどめんどくさいのは、
うどんをあるていど茹でてから粉末スープを入れて、
そこにたっぷり大根おろしを加えてしばらく煮込むやり方です。
汁が大根おろしでごてごてになるぐらい入れる。
大根おろしは熱が加わると甘くなって断然うまくなる。

ここにはまだ溶き卵を加えたことはない。
これ以上ごてごてになったら見栄えが悪そうだし、
食べにくそうです。
でも、出汁巻きは大根おろしをのせるとうまいから、
相性的には絶対良いです。
今度やってみます。
ただ大根おろしをおろすのがめんどくさい。

昨日は別の視点から攻めました。
イタリアンという角度で。
みそはチーズと共に発酵食品で、味わいやコクに共通するものがある。
パスタでみそは応用が利いて使える。
そこで、パスタをうどんに置き換えてみました。
冷蔵庫にはパスタを作った残り物があった。
トマトソース、モツァレラ、プチトマト、パルミジャーノ。

まずうどんをプチトマトと共に茹でる。
麺がほどけたら粉末スープを溶かして、
トマトソースをスプーンに二匙ほどすくって入れる。
蓋をして弱火でグツグツ煮る。
ビールを飲む。
待つ。
柔らかめの麺が最近僕は好きなので標準時間よりも1分余分に煮る。
蓋を開けて溶き卵を流して(卵・トマト・チーズ=ハズレなし)、
箸を土鍋に突っ込みぐるぐる周遊させて半熟に固まったところで、
準備しといたサイコロ状のモツァレラを放り込む。
その上からパルミジャーノを擦る。
小袋の七味は使わない。
以上。

これは、作っているとき絶対うまいと想像しながら作ったんですけど、
思ったほど統一感がなかったです。
どうもトマトソースとみそスープが馴染んでいない。
モツァレラも確かにうまいけど、
どうもみそが覆い被さっている。
パルミジャーノもいまいち影に隠れている。
どうも、どうーもみそが一人屹立している。
みその覇権揺るがず、
君主国家倒れず、
クーデター失敗に帰す。

2013年2月18日月曜日

古いけどパワーのあるオーブン

偶然行き当たったお店が良い店だったりすると、
情報サイトで検索したり誰かに教えてもらって行くよりも、
数倍うれしい気持ちになる。
「ここは自分が発見した店だ」と満足感に浸れる。

でも、はじめて入る店は緊張します。
それに失敗する危険もある。
間違いのない知ってる店に入ればそんな不安もない。
チェーン店なら絶対に知ってる味が食べれる。
情報サイトで好評価の店なら〈ハズレ〉もない気がする。

江弘殻の『飲み食い世界一大阪』を読むと、
そんなリスクを取ることが大事なことだと思えてくる。
口コミを読むとその店を理解したつもりになるので、
リスクを取る気分も失う。
だから読まないようにして新鮮な気持ちで店に入りたい。

京都の左京区にある[トラットリア アンティコ]には
そういう〈絶対に知ってる味〉と〈知らない味〉どっちに行くか、
という葛藤を経て入ったお店でした。
この[アンティコ]というお店は目立たずにひっそりと小さくて、
外からだと中は暗くてよく見えないという、
入りづらいまさに江弘殻の言う〈街的〉なお店です。

ホームページの写真で見ると明るい感じですけど、
生で見るともっと暗い印象があります。
通りすがったとき「やってるのか?」
と近付いてみないと分からないぐらいでした。
昔の僕ならこういう店には入れなかったです。

地元で長くやってる店には入りづらい空気があります。
高級感から入りづらい店もありますけど、
地元の店にはそれとは違う踏み込みにくさがある。
「他の席の人がみんな常連で白い目で見られたらどうしよう」とか、
「その店の作法とかがあって恥をかいたらどうしよう」とか、
そういう踏み込みにくさです。

きっとそういう店もあるんでしょうけど、
[アンティコ]はもっとざっくばらんな店でした。
右側にカウンターがあって、
左側にはテーブル席が並ぶ、奥長のお店でした。

僕が入ったときテーブルには二組いて、
カウンターには一人のお客さんがいたきりでした。
二組の人たちは話に夢中で、
カウンターの人は一人でビールを飲んでいて、
白い目どころか目も向けられませんでした。

スタッフはマスター以外に若い人が4人いる。
これも地元の店だという感じがした。
「地元の店は狭いのにスタッフが多い」
これは僕の経験の中で知った地元の店の特徴です。
オーシャンも店の割にはスタッフが多いので、
そこら辺、地元の店になっていけたらいいなと思いました。

どこら辺がざっくばらんかというと、
(僕はカウンターに通された)
カウンタの上の瓶にパスタがごそっと突っ込んであり、
その横には相当な年代物だというような古い秤がある。
パスタが数本瓶から飛び出ていてこっちに落ちてきそうだった。
これはなかなかの臨場感でした。

その他には刻んだ鷹の爪が置いてあったり、
パセリの束が瓶にぶっ刺さっていたり、
たぶんパスタのゆで汁だと思う水がボトルに入れて置いてある。
カッコいい容器とかではなくて、
普通のプラスチックのタッパとかに入って、
そういうのが酒瓶とかと並んで、
ざっくばらんにカウンターに置いてある。

料理を頼む。
「自家製サルシッチャと季節の野菜のスパゲッティ バジリコ風味」
僕はパスタでは季節に関係なくペストがいちばん好きです。
デザートとドリンク付きのセット。

料理を頼むとマスターがカウンターの上に突っ込んであるパスタを
一掴みして秤に載せる。
飛び出ていた麺がこっちに落ちてきそうだったけど落ちてこない。
そしてもう数本を量の調整で掴んで追加して、パスタ鍋に入れる。
フライパンに火を点けて、
ニンニクを炒める。
作り始めからの過程がすべて見えるのが楽しい。
料理人と対面で向き合う臨場感が楽しい。

たぶん、ざっくばらんで飾ってないところに奥行きがある。
料理でも美しさとか華麗さとかとは別物の、
(いや、きっと深いものがあるんでしょうけど)
淡々と特に素早さとかも見せずに作る。

そのマスターの横には若い男の助手がいる。
助手はパンを担当していてオーブンに入れていた。
そのオーブンが最高にカッコよかった。
今はイタリアンといったら当たり前のように、
石釜だ石釜だとどこも言っているけど、
このオーブンがとにかくカッコよかった。

助手はバゲットを二個入れると、
数秒で取り出した。
たぶんすごく火力が強いんでしょう。
すごく古いオーブンなのに、すごく火力が強い。
それがすごくカッコいい。

このオーブンを筆頭に、
お店の道具にはどれも年季が入っていそうだった。
古いけどパワーがある。
パスタ皿なんか今はどこでもUFOみたいに大きな皿で
真ん中に窪みがあるタイプが多いけど、
ここの皿は小振りで無地で白い何の飾りもない皿だった。

そういう一つ一つにいちいち感動する男の前に出されたパスタが、
うまくないわけないです。
あーまた京都行きたいなー。
古いけどパワーがあるって、かなり魅力的です。

もし僕がグルメ雑誌とかで調べていたら、
たぶんこんな感動もなくて、
自分だけの経験だと思うから一つ一つを楽しめるんですかね。
偶然を求める。
オクシモロン。

2013年2月17日日曜日

留守番電話

昨日は『ものすごくうるさくてありえないほど近い』
を見ました。
いちばん好きだった場面はここです。
ピー。

「こちらはシェルの家です。
今日は9月11日火曜日。
今日の豆知識はこちら。
極寒のヤクーチアでは凍った息の音をこう呼びます。
“星々のささやき”」

ピー。
主人公の男の子が設定している留守番電話です。
オリジナル留守番電話は、昔うちの母親が自分で、
片言の日本語で設定していたのがイヤで嫌いでしたけど、
声にその人の特徴が現れてくるような留守電は聞きたくなります。

そこに「人」はいないけど、「声」で人が想像できること。
僕もブログをそうしたいです。
文字だけで人の印象が浮かび上がるような。

そういえば、冬のオーシャンで吹雪く下ネタとダジャレをこう呼びます。
“宮本のささやき”

2013年2月16日土曜日

ファイヤーフード

トイレットペーパーを三角に折る
〈ファイヤーホールド〉はホテルやお店にかぎらず、
最近はどこか友達の家とかに遊びに行っても、
普通に折られていたりします。

元々は消防隊員がトイレにいても
すぐに出動できるようにつまみやすくしたようです。
名前はプロレスの決め技みたいで男っぽいですけど、
作業は細かくて女っぽいです。
これを発明した消防隊員はたぶんオカマだったんでしょうね。

オーシャンではりょうちゃんもそういう
〈ファイヤーホールド〉みたいな〈ファイヤーフード〉があります。
りょうちゃんはお腹が空くことにとても危機感があるそうで、
仕事中に手の伸ばせる範囲に食べ物がないと
心配になって仕事も手が付かない。

りょうちゃんは満たされているとき、
それはもうキビキビと動きまわって、
会話ものびのびしている。
楽しさが体から滲み出てくる感じがする。

ところがお腹が減ってくると
まず目がうつろになってくる。
明らかに声にも張りがなくなって呼んでも聞いてないことが多い。
動きが遅くなり若干うつむき気味になる。

だからオーシャンの厨房内には何カ所か小皿が置いてあって、
その中にはクッキーやスコーン、チョコ、団子などが入っていて、
りょうちゃんの視界に食べ物が収まるようになっている。
手を伸ばせば、すぐに食べれるようになっている。

それでりょうちゃんの能力が最大限に高められるんですから、
〈ファイヤーフード〉、
良いシステムがオーシャンでは機能してます。

2013年2月15日金曜日

肺も胸も胃

友達が夜中に突然肺と胸の痛みに襲われた。
これはヤバいと思って急患で病院に行き診察を受けたけど、
結果は原因不明だった。
先生が言うには肺の痛みは「ストレス」から、
胸の痛みは「食べ過ぎ」からくることが多いらしい。

その話を聞いた歌が得意な女子はこう解釈しました。
肺の痛みは「悲しいこと」からで、
胸の痛みは「楽しいこと」からくると。
だから彼女が言うには、
「悲しいことと楽しいことが同時に来ちゃったんだね」
ということが原因になる。
さすがに詩的で歌手っぽい解釈です。

僕はこれらの痛みはすべて胃にくるものだと思ってました。
ストレスでギュウギュウ胃が痛くなる。
食べ過ぎで胃が張ったりもたれたりで痛くなる。
悲しくて胃が縮んで痛くなる。
楽しくて胃が詰まって痛くなる。

めちゃくちゃ走ったときも肺が痛くなるというよりは、
喉が痛くなる。
胸が痛くなるのはよっぽど死ぬときだ、
というぐらいの認識です。

そこで思い出したのが、
アメリカ人は内蔵を指すときstomach一言で済ませることです。
日常で各部位を分けることはしない。
ホルモンもハツ、ミノ、レバー、センマイとは個別に言わない。

ホルモンはホルモン一言というのがアメリカ人。
だから肺も胸もその周辺すべてを「胃」一言で済ませていた自分は、
いい加減なのではなく、
アメリカの血がそうさせていた、つまり血の責任。

いつも人から「どこら辺が自分が外人だと思うか」
と質問をされてもそんなものは感じないと言ってましたけど、
これからは「上半身の大方の部分を胃一言で済ませる」
ということを自分の外国人的な部分だと言うことにします。

2013年2月14日木曜日

アボカドとケーキ

朝、時間があるときは家でチャイを作ります。
生姜は即効性があってすぐに体があったまります。
時間がないときはインスタンコーヒーです。
コーヒーは体を冷やすと言いますが寒いと思うヒマもありません。

今日はインスタントコーヒーです。
それと家族からバレンタインということでもらった、
アボカドのガトーショコラ→アボカドーショコラを食べてます。

ほぼショコラの味でアボカドの味はよく分かりませんが、
羊羹風のねっとりした感触としてアボカドが表現されてます。
羊羹とチョコレートケーキの桶狭間の合戦です。
ココナッツフレークの矢がシャキシャキ飛び交い、
ケーキの中に潜むチョコチップゲリラがパリッと出てくる。
そういう混沌たる泥沼的な舌触り状況を
アボカドという大地がまったり包み込む。

こんなことを書くヒマがあるならチャイを作れ。
そう言われるかもしれません。
分かってます。
僕も今そう思ってます。

2013年2月13日水曜日

黄金の騎士

かなりイラついているぞおれは、
という状態のとき僕はどうなっているか。
イラついている相手に打ち勝つ自分を想像して、
胸がばくばくして体が熱くなり、
ピークに達すると汗をかいている。

僕はそれにけっこう時間が取られる、というのが悩みです。
こうやってブログを書いていても、
ふと苛立ったことを思い出すと、
現実の場面を離れてシュミレーションがはじまる。

こういうふうに言われたらこう返事をして、
こういうたとえ話を持ち出してから、
自分の意見を主張しよう。
というふうに一人バトルが行われます。

勝つまですっきりできません。
でも空想の勝利なので、
それに割かれる時間が無駄で仕方がない。
ふとブログを書いてる途中にこういう想像がはじまって、
はっとしてディスプレーに意識が戻る頃には
10分、20分、30分時間が進んでいる。

いつの間にか時間が飛んで「もう夜中じゃん!」
という感じになる。
こういう勝手に誰かと戦ってしまう(空想で)ことは、
酔っ払ってるときに特に多いです。
でも何かと戦っているときの方が、
ブログも書きやすいときがあるから悪いばっかりじゃない。

そういえば一昨日のクリムト展に
《人生は戦いなり〈黄金の騎士〉》という作品がありましたけど、
その騎士は全身鎧の棒立ちで馬に跨がっている。
とても中に人が入っているように見えない。

戦おうとするとき、
人は防御を完璧にしてから挑む。
酒という馬に乗って、
言葉という鎧をまとう。
そういう意味を絵に投影してしまいます。

2013年2月12日火曜日

変な髪型

昨日今日とオーシャンは二連休になってます。
月曜日は名古屋にクリムト展に行ってきました。
最終日だけあって混んでました。

クリムトのヘアースタイルは電撃ネットワークの南部風でした。
それでクリムトは家に15人も女性を囲っていたそうです。
髪型が素敵だったわけではなかったと思いますけど、
いやもしかしたら男性ホルモンが成せる特有の髪型に魅惑されたのか?
どっちにしても、
髪型が変でも女にモテないということはないんですね。

ドン小西も変な髪型だけど8人彼女がいたそうですし。
ジェームス・ブラウンもかなり変な髪型でしたけど、
女の人からセクシーだと言われて人気だった。

男の人はもうちょっとホルモンを発散するような
髪型を考えた方がいいかもしれないですよ。
僕はイヤですけど。
南部虎弾がモテるという話は聞いたことないですから。

2013年2月11日月曜日

夜明け前のギター

何かブログのネタはありませんかと
宮本さんに聞いたら、ありました。
「今日の朝、あれはまだ夜明け前だった」
宮本さんはスティーブン・キング張りに夜の世界を語り出しました。

「そう、まだ夜明け前の暗い時間に、
不自然な音で目が覚めたんだよね。
その不自然な音というのが起きて分かったんだけど、
ギターの音だったんだ。
こんな時間にギターの音が聞こえるなんてことはないから、
もしかしたら寝ぼけてるのかなと思ったんだけどね。
でも、今度はすぐ近くでギターの弦が鳴るのが聞こえた。
いや、びっくりしたよ。
誰がいるんだ!って心の中では言ってるんだけど、
突然のことだから言葉が出てこないっていうかさ。
とにかく反射的に電気を点けてね。
するとまたギターの音が聞こえた、
と思うと部屋に置いてあるアコースティックギターの
あの穴の空いてるところから鼠が出てきたんだ。
小さい手の平に乗るほどの大きさの鼠が。
それが穴の中から出てくる拍子にギターの弦をくぐって、
「ポロローン」と鳴らすと、
押入れのちょっとだけ開いた隙間に走っていっちゃった。

その話を横で聞いていた店長の中條J子さんが言いました。
「今日は旧正月だから鼠がお達しを告げにきたのかもね。
うん、きっとそう。チュー正月だ!
今日はチュー條じゅん子のチュー正月!」

どんなミステリーの話かと思っていたら、
終わってみればミチュテリーでした。

2013年2月10日日曜日

サケじゃない

バリに行ってきた人が、
そこでマッサージを受けた話を聞きました。

だいぶ年配のおじいさんで、
笑顔で優しい印象のある人だった。
マッサージがはじまる。
さすがにおじいさんだけあって巧みなツボ押し。

マッサージがはじまってすぐ痛いツボがあった。
うーっと唸って手をばたばたした。
そこでおじいさんはこう質問した。
「サケ?」

その人は酒を飲まない。
足の裏の土踏まずだかどっかのツボは確か、
肝臓かどこか内蔵が疲れてると痛みを感じる場所だと
聞いたことがある。

だから「ノーノ、酒じゃない」と返事をしたので、
おじいさんはそのままマッサージを続けた。
さらに痛い所があったので激しくばたばたすると、
おじいさんはまた聞いた。
「サケ?」

妹は酒を飲まない。
だから「ノーノーノ。ノットサケー!」と返事をした。
「サケ?」
「サケじゃない!」
マッサージは以下同文で進行。

結局痛みをがまんし続けて、
マッサージ時間は終わった。
くたくたになって店を出てを友人に聞いたら、
「サケ?」とはインドネシア語で「痛いか?」という意味だった。

「サケ?」と聞かれて頑なに否定したので、
ますます力を入れられる羽目になった、という話です。
僕はこの話を大笑いして聞いてました。
そして昨日の夜酒で酔っ払いながら
このブログを書いてるときもやっぱり面白かった。

ところが朝見直すと、なんかあんまり面白くない。
でも今更書き直す時間なんてない!
思わずサケびそうです。
しかしこれもサケて通れない道、
サケの川上りという試練だ。

2013年2月9日土曜日

職人はみんな頑固か

料理人といえば〈頑固者〉と相場が決まってます。
柔軟でオープンな性格なそば屋のお兄さんのそばよりも、
文句があるならうちの暖簾をくぐるなといわんばかりの
頑固なおやじのそばの方を食べてみたいと思う。

どっちが良いとかそういう話ではなく、
その〈頑固〉さについて僕は考えている。
料理人にかぎらず、
職人といわれる者は〈頑固〉でなんぼという世界なのか。

僕はペンキ屋で五年近く働いていたので、
現場の職人の頑固さはイヤというほど味わった。
現場の人たちの頑固さ加減にはほんとに腹が立った。
口悪いわ、挨拶を無視するわ、足臭いわ、屁ーこくわ、
手がでるわ、昼飯でビール飲むわで(それはたまに楽しかった)。
それらが頑固さと関係あるのか知りませんけど、
職人は人間界を隔てた冥界に住む人種なのだと思った。

でも昨日、僕は自分にも職人症状が出ていることにハッとしました。
ついこないだです。
料理の仕方で業界では割と一般的なことを僕は知らずに、
材料を切ったりしていた。
それがある画期的な方法で解決するとmonoさんに教わった。
僕にとっては目から鱗の大発見で、
自分の周りに言いふらした。
みんなの返事は僕が予想もしていないことでした。

僕「みんな知ってる? こういう方法があるんだよ!」
周囲一同「え、イッシン知らなかったの?
なんかこだわりがあってそうしてるのかと思った」

詳しい内容は恥ずかしいので言いたくないです。
一つ言えることは、僕が〈こだわり〉というものを
もっているように見えたということです。
青二才の僕に〈こだわり〉があったのか?

いつのまにか〈こだわり〉という名の、
誰にも口を出させないオーラーを出していたようです。
僕は現場の職人たちを見ていてイヤだなーと思っていた者に、
自分がなっていました。

で、話を戻すと、何で職人は頑固なのか?
たとえば料理人は性格的に頑固だから料理人になれたのか。
それとも料理をやりはじめたから頑固になったのか。
この問いかけは料理人にかぎらず職人すべてに置き換えれる。

僕はこうだと思う。
〈文句があるならうちの暖簾をくぐるなといわんばかりの
頑固なおやじのそばの方を食べてみたいと思う〉
という思いが僕の中にあるように、
職人の仕事をしている当人たちが自覚しているかどうかはともかく、
そういう〈頑固〉さを演出しているのだ。

・・・キマッた。
珍しく決め台詞をキメれた気がする。
今日はもうここら辺で墓穴を掘る前に終わっとこう。
さようなら。

2013年2月8日金曜日

冬だけどクールビ

オーシャンの生パスタは高知県の
[マンジャーテ・プレーゴ]という製麺所から仕入れてます。
最近は「クールビ」というマカロニっぽい麺を入れました。
だいたいいつもヌードル系とショートパスタを半々で頼みます。

クールビはマカロニやペンネよりももうちょっと穴が広く、
弓なりというかU字型にカーブしています。
なぜカーブしているのか、
その理由はよく知りません。

マカロニやペンネはしなって若干歪曲しているものの、
ほぼ真っ直ぐと言っていいでしょう。
しかしク−ルビは腹にパンチを受けたように、
「ウッ」と腰をかがめた体勢で歪曲している。

しかしそんな表現では、
あまりおいしそうな印象を与えることができない。
僕は一応スタッフの義務として、
オーシャンに好印象をもたれることを画策している。
ファック!

では、クールビを何と説明すればいいのか。
ググってみても何もヒットしない。
というか、クールビズのことしかヒットしない。
しかもこの時期にクールビズのウェブ情報を呼び出しても、
去年の夏の情報しか出てこない。

しかし確かにクールビという名称を知らないお客さんからしたら、
この麺をクールビズ関係のアイテムと間違えてもおかしくない。
僕だって思わずクールビズの情報のサイトを開いてしまったのだから。
「冬なのにクールビズですか?」と聞かれるかもしれない。

こうなったらマンジャーテの元うどん職人の大将に聞いてみるか。
「これはオリジナル麺ですか?」と。
でも僕は何かそういうふうに聞くことは、
こだわりの麺を作ってる人を相手に失礼な気もする。

それはたとえば料理屋でおいしかったときに
「このレシピはあなたが考えたんですか?」と聞くことと同じで、
「自分で考えたレシピじゃなかったら何なんだ?
うまいもんを作ることとなんぞ関係あるのか?」
と怒られそうな気がするタイプの質問です。

「なんだと?クールビとクールビズは関係があるのか?
んなもん知るか、うちの麺はうちの麺だ(ガチャン!)」
というように、質問の仕方にしどろもどろして誤解を生みそうです。

結局自分でクールビのことを説明するしかない。
クールビは「ウッ」と腰をかがめた体勢で歪曲している。
あ、それはさっきと一緒だ。
そうだ、クールビはタピオカミルクのストローぐらい太さがある。
穴も若干広めでソースや豆なんかも転がりこみやすい。
だからおいしい。まだお店では出してないですけどお楽しみに。

クールビが一般的に出回っている形状かどうかはいまだ掴めずです。
誰か知ってる人がいたら教えてください。
大将には聞けないので。

2013年2月7日木曜日

昨日はモノ今日は白黒

・昨日は無事に第一回目の「海・mono・野菜」を終えました。
オーシャンではたまに料理人にきてもらって、
一緒に料理をすることがありますけど、
働き手もお客さんも同時に楽しめて満足できるのが、
いちばんの理想だなと思いました。
個人的な反省と勉強もありまして、
昨日はモノさんと仕事がよかったです。
また次回の21日が楽しみです。

・しばらく前に宮本農園で販売した商品がありました。
黒豆を使って作った白味噌、
その名も「白黒はっきりさせて味噌」です。
僕はぜひこれをリバイバルしてほしいと宮本さんに頼みました。
乞うご期待!です。

2013年2月6日水曜日

土地に根付く

今日はいつもより早く出勤です。
いつもとちがうことをする日は
何かと何かが起きたりします。
だからちょっと早く行って準備です。
楽しみと緊張、「海・mono・野菜」デイ。

昨日ブログに書いた二つの本には
「その土地の食」を楽しむ生活が語られてましたけど、
それは食材を楽しむに限ったことではなく、
場所ならではの特性を楽しんでいる。

「商店街にあるからこそ街の顔になったお好み焼き屋」とか、
「近所の喫茶店のモーニングが特別な材料を使ってるわけじゃないけど
そのマスターがいるから行ってる」とか、
そういう土地と生活に根付いた店が、
店を越えて街のコミュニティーとなるというふうに。

食材に関する地産地消というのはよく聞きますけど、
それはそれで大事なものだとして。
でも他にも店が街に根付くには色んな要素があると思いました。
オーシャンはどういうふうに土地と関わるのか、
ということを考えなくても関わりの流れが決まるのが、
「その土地ならでは」ともいえるのか?

なによりそういう「土地性」のある店は、
流行り廃りから自由なところがいいです。

2013年2月5日火曜日

土地と食

・明日は「海・mono・野菜」の日です。
6日の予約は一杯となりました。
21日の方も残り数名になっていますので、
検討されてる方は早めの連絡をおすすめします。

・昨日から『地上の飯——皿巡り航海記』を読んでいる。
こないだまで読んでた『飲み食い世界一の大阪』で僕の食欲は
完全にお好み焼き、寿司、餃子モードになっていたんですけど、
『地上の飯』ではそういう〈みんなが好きなもの〉とは別の、
聞いたことのない食べ物について書かれている。

「塩魚ケーキって、どんなものですか?」

「小麦粉の種(ドウ)を丸めて平らにして揚げた、
ちいさいパンケーキ形の揚げパンみたいなものに、
甘辛く煮つけたお魚のフレークが添えてある。
魚はコッドフィッシュ。鱈である。
貯蔵用に塩漬けして干した鱈を、水を漬けて戻して塩抜きし、
煮て、たたいて繊維状にして、スパイスなどで味つけをする」

これは塩魚ケーキについて書く冒頭あたりのところですけど、
グルメ本と違うのは料理の説明がなんだか詩っぽいです。
『飲み食い世界一の大阪』も『地上の飯』も、
ともに食べ物だけじゃなく土地と人についても書かれてる。

本を読んで「これを食べに行きたい!」
と思うことは思うんですけど、
土地と人と食べ物の結びつきは強いと思った。
どこでも同じ物が食べられる街になっている中で、
そこの土地でしか食べれないもの、
そういうものを見つけれる食生活は楽しいと思います。

2013年2月4日月曜日

ウォッカのパスタ

昨日は晩ご飯会がありまして、
僕はパスタを7種か8種、
食べたいけど食べたことのないものを選んで、
作りながらみんなで検証して食べるということをしました。

途中から酔っ払ってきたせいで、
ちゃんとしたレシピがあるのにいつの間にか
目分量になってきてしまい、
酒飲みに適した濃い口の味付けになってしまった。

飲酒運転と変わりませんね。
調味料を入れるときも、
フライパンでニンニクを利かすときも、
「行ってやれ!」と無闇に力が入る。

食べてなるほどと思ったのは
「ウォッカ風味のペンネリガーテ」でした。
というのも、
りょうちゃんが適した解説をしてくれたからです。
(5品目あたりで、自分は酔っ払っており、
ちゃんとした味の批評ができなくなっていたので、
人の意見を伺っていた)

「ウォッカ風味のペンネリガーテ」のレシピは、
ペンネ・アラビアータにウォッカを加えたものという感じで、
特にひねった調理をするわけではなく、
トマトソースにウォッカを入れてアルコールを飛ばしたものです。

普通のトマトソースのパスタと何が違う?
僕はそうりょうちゃんに訪ねました。
「何かウォッカの方は、キリッとしてる」
とりょうちゃんは言いました。

「普通のトマトソースの方は
トマト、トマト、トマト・・・、
とエコーがかかるんだけど、
ウォッカの方はトマト、キリッ。になる」

つまり、ウォッカ自体に味はないので、
味的な違いはそうは生まれない。
むしろ後味を変える、
という言い方が正しいかもしれない。

トマト、トマト、トマト・・・。
ではなくて、
トマト、キリッ。
ストップがかかる。

うーんなるほど。
後味とは盲点でした。
口に入れた瞬間の味とか旨味的なものばかり気にしてたので、
そこら辺のところ「まだまだ自分甘いぜ」でした。

ということで、
勉強になる「舌を肥やす会」でした。

2013年2月3日日曜日

耳塞ぎでパスタ

・今日はガラス細工のワークショップ二日目です。
昨日僕は休みだったんですけど、
Facebookでアップされてた写真を見ると
原宿のオリジナルアクセサリーよりも断然良さそうです。

・昨日は学校の単位習得試験が名古屋であり、
その昼休憩にバンビーナという店でパスタを食べました。
ジャガイモのジェノベーゼの大盛りに、
スープとコーヒーが付いて980円でした。
それに280円追加してベリータルトを頼む。

僕は一人だったのでカウンターに座っていて、
隣には僕よりも若い男が一人でパスタを食べていましたが、
イヤホンで音楽を聞きながらパスタを食べている。
右手でフォークを動かしながら、
さらに左手で『地球の歩き方』を開いている。
物を食うときに耳を塞ぐのは邪魔じゃないのか。

それに現在という時間に目を向けていなければ、
どこの国に行っても同じなんだ、おれは同じだった、
おととい旅をしやがれ!
とイヤホンを耳から引っこ抜いて言ってやりたかったが、
僕もテストの予習で本を開いていて、
それが『福音書』で「隣人を愛せ」のコーナーだったので、
なんともいえなかった。

ともかく食べるときに耳が塞がれるのは、
味覚ゾーンが狭くなる感じがしてイヤです。
ただよくやってしまうのは、
ヘッドホンを付けながらポテトチップスを食べることです。
大音量で音楽も聞きたい、ビールを飲みながらチップスも食べたい。
ということなので、単純なスナック系なら耳を塞がれても許せます。

加藤鷹の指南書に女の人の営み中に耳を塞ぐと反響して・・・、
というテクニックのことが書いてありましたけど、
それは耳を塞ぐと良しとする別の話です。

2013年2月2日土曜日

三谷の寿司八

昨日の夜は蒲郡にある〔寿司八〕に行ってきました。
西尾市で気兼ねなく入れる
カウンターの寿司屋を知らないので、
回らない寿司を食べれるチャンスがあるときはいつもここです。

三谷駅の向かいにあるこの店のたたずまいはといえば、
ぱっと見特に派手なところはなく、
気にしてなければ車で通り過ぎてしまいます。
ただ玄関の暖簾をくぐるときに気づくのは玄関が低いことです。
ちょっとかがんで入る。

右手にはご主人と若旦那がスタンばるカウンターがあって、
左手にはテーブル席が一つある。
左手の奥と二階には個室があるらしいが、
僕は入ったことがない。

席に着くと黒い漆塗りの、
あの何と言うんですか寿司専用カウンター、
そこを拭いてくれて金の折り紙みたいな紙を敷いてくれる。
黒い台の上に金が栄えて、
そこにあの、大根の細切りのやつ何でしたっけ、
用語をすぐに忘れてしまうんですけど、
ともかく白い大根の細切りを盛ってくれて、
脇に緑のワサビが置かれる。
そこんところに注文した色艶の良い寿司がのっかると、
やたらと豪華に見える。
カウンターの寿司屋っていいなーと気分が上がる。

僕はここで〈カウンターの寿司屋〉を覚えて、
築地とか銀座とか梅田とかの、
街の寿司屋にも行くようになったんですけど、
一人で知らない寿司屋に入るのはドキドキするから、
入るたびにいつも後悔します。

ビール二杯飲んで寿司8貫と赤出しで8000円の店もあれば、
同じ量のものを食べて3000円ていどの店もあります。
ふっかけられるわけではなく、
豪華にやってる店からこじんまりやってる店で値段がちがう。

なので、一人で寿司を食いたいだけで行くわけだから、
豪華さはほんとにどうでもいい。
こじんまりしてて緊張しない店がいい。
でも、何度も行かないとそれは分からないでしょうけど。

今『飲み食い世界一の大阪』という本を読んでますけど、
こう書いてありました。

「だからそういうことのないように、
値段が書いていない街場の鮨屋へは一見では行かない。
というより本来、飲食店は『誰かに連れて行ってもらう』こと、
あるいは『紹介してもらう』ことが一歩目なのだ。
誰かに連れて行ってもらって『いいな』と思えば、
また再度その人に連れて行ってもらうことになったり、
いつの間にかひとりであるいは今度は誰かを連れて行くことにもなる」

寿司八には僕も連れて行ってもらったのがはじめでした。
というより、カウンターの寿司屋に憧れていた僕は、
以前の職場の社長にしつこいぐらい頼んで
やっと連れて行ってもらいました。


2013年2月1日金曜日

言葉からの避難

自分の思いを喋ることの恥ずかしさ。
伝わらないことのもどかしさ。
間違って伝わってしまうことの歯痒さ。
考えてることと言葉にしたことが違ったズレ。

文学を好きになる人は、
言葉を使うときにこれらのどれかに当てはまる人だと思う。
より正確な言葉を使うことができれば
自分の思いは説明できるという考えから。

ということを考えていたら、
ブログを書いているとき自分は、
正確な言葉よりも、
曖昧な言葉を無意識に選んでることに気づきました。

と、そういうことを考えていたら、
言葉を使うことの恥ずかしさから逃げるために、
どんどん〈自分〉と言葉の間の距離を離していってるんだ、
ということにふと気づきました。

ふと、そんなことを考えていたら・・・。
というふうに、
えんえんとくり返していったら、
〈自分〉は言葉から遠ざかって恥ずかしさが減ります。

言葉を使うことからのストレスから逃れるために、
余計な言葉は使わないというのも一つの手ですけど、
そうすると言葉を使うことの楽しさがなくなるから、
それもイヤです。

あれもイヤだ、
これもイヤだという、
ガラスのイヤリングが展示会に並んでるかもしれません。
今日から「光のダンス」です。