2013年5月31日金曜日

第三の眼

昨日はサッカーの日本代表戦を見てきました。
バックスタンド一階の前から十七列目で、
選手の表情や細かいタッチが見えるぐらいです。

ピクシーが監督に就任した頃、
グランパスの試合を見にトヨタスタジアムに行きましたけど、
そのときは最上階でした。
かなりの急斜面なので、
高い所が苦手な人は恐怖感に襲われそうなぐらいです。
でもそんなことよりサッカーのことばかり気になる人にとっては、
とにかくフィールドが遠い。
いくら生だからといっても、
豆粒サイズの選手がプレーする試合よりは、
まだテレビ観戦のほうがリアリティーがあります。

どんなに見にくくても生観戦を選ぶ人は
臨場感が欲しいからで、
ちゃんと内容を楽しみたいならテレビ優勢である、
というふうに僕は思ってました。

テレビが見やすさを計算して映す全体像は、
コート全体の30%ぐらいな感じがします。
それよりも離れると豆粒サイズで何をやってるか分からなくなり、
それよりも近いとボールの周囲が何をやってるか分からなくなる。

でも、良い席が取れて近寄れれば、
たとえ視界で捉えれるサイズが同じ30%だとしても、
テレビよりも見やすい。
「テレビ慣れしてる僕は肉眼をあまり意識してなかったのか?」
と思うぐらい、肉眼で見る映像は多面的でした。
たとえカメラでどれだけ良いレンズを使っても、
魚眼の限界がありますけど、
肉眼は魚眼を併せ持ちつつ何か別の機能もある気がしてならない。
肉眼はレンズを上回るという、
自分のカラダを再発見した気分です。

その機能はもしかしたら、
オーシャンで働いていると野菜ばかり食べることになるので、
第三の眼みたいなものが開いちゃったのかもしれません。
肉眼、魚眼、ヴィーガン。
なんちゃって、ふ、ふふ、ふふふ。

※ヴィーガン=菜食主義

2013年5月30日木曜日

一割コメディー

コーエン兄弟の『ミラーズ・クロッシング』は
マフィア映画だけあって、暴力シーンが多々あります。
でもこの映画はそれだけじゃなく、
ちょっとコメディーを挟んでくる。
「あれ? これは笑わそうとしているのか?」
と思ってしまうぐらいの微妙なコメディー加減です。
配分でいうと、
バイオレンス七割、恋愛二割、コメディー一割という感じで、
その背景にサスペンスが漂っている。

サスペンスといっても、
アガサ・クリスティーが書くような、
〈大きな謎〉を劇的に解明する感じではない。
むしろ〈小さな謎〉が段々積み重なっていって、
いつのまにか「この主人公は何がしたいんだ?」という
謎に包まれる。

主人公のトムは頭が切れる上に超クールであんまり喋らない。
かと思いきや計算が外れてボコボコにされる。
でも、最後はトムの計算通りだった。
もしかしたら、ただ運がよかっただけなのか。
変なサスペンスです。

コーエン映画のバイオレンスはただ残酷なだけではなく、
唐突感がある。
そしてオーバーリアクションで動きが緩慢です。
このスピード感のなさがいい。

2013年5月29日水曜日

糞化石が物語る

ジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』は、
マヤ、イースター島、グリーンランドといった、
一時は人口が増えて栄えた場所を取りあげて、
何かの拍子でぱったり消息を消してしまった謎を探るという内容です。

文明が崩壊するには複雑な要素が絡まりあうと言っている。
ダイアモンドは「社会機能の崩壊の枠組み」として、
五つの視点を取っている。

①森林破壊と浸食
②気候変動
③土地内部の争い
④政治・文化的要因
⑤友好的な交易の中止

こういう要因があったのかどうかは、
地面から掘り出したものから想像して探る。
そこから仮想される物語が面白い。

「峡谷の住人たちの栄養摂取の問題が深刻化していたことは、
遺跡から出た廃棄物に含まれる食料に占めるシカの割合が減って、
代わりにもっと小型の獲物、
特にうさぎやネズミが増えているのだ。
ヒトの糞化石(便が乾燥状態で保存されたもの)から、
頭部以外は完全な形のネズミが出ていることからして、
住民たちは、野原でネズミを捕まえると、
次々に頭をもぎ取っては丸ごと食べていたと考えられる」

どうしてグリーンランドに住んでいたヴァイキングが、
十四世紀に全滅してしまったのか。
農産物が不作で食料を蓄えれずに冬を迎えてしまったことが
こういう糞化石を残した要因だという。
糞化石のすごさ。
気候変動まで特定してしまう。

「秋のシンリントナカイ狩りに必要な犬を殺し、
育てるべき家畜の新生児を殺すことで、最後の住人たちは、
先のことなど気にする余裕もないほど空腹だと訴えているようなものだ。
遺跡のもっと下の層では、
人間の排泄物にたかるハエの中に温暖さを好む種が多く含まれるが、
最上層では寒さに耐性のある種だけに限られており、
この事実は、住民たちが食糧だけではなく
燃料も使い果たしてしまったことを示している」

糞二つでこんな違いが分かってしまうとは、
すごい仕事ですね、ウン考古学。

2013年5月28日火曜日

主食は何ですか?

最近のぼくの主食はパンと野菜だ。
米よりもパンが多くて、魚や肉よりも野菜が多いです。
仕事で毎日パンを焼いていて、
野菜料理を出しているうちにそうなりました。

一般的な日本人の主食はなんだろう。
地域によってバランスはちがうんでしょうけど、
パンよりは米、
魚よりは肉、
という組み合わせが一般的か。
いちばん安いということもあるし。
数十円単位で経費削減を狙うとすると、
肉になるでしょう。

それじゃ他の人たちはどうか。
アイヌ人の主食は熊と鮭で、
イヌイットはアザラシとクジラだった。
マヤの人たちはトウモロコシとラモンの木の実だ。

四の五の言わせない、
というか二しかない。
かなりのリアリティーさです。

それに比べて現代人はどうか。
米か麦か、
それと、肉・魚・野菜をルーティーンさせる。
さらにそこから日々ちがう食材を選ぶ。

毎日食べるものが違うからピンポイントで、
「自分の主食はカンパーニュとイチジクです」
というふうには言えない。
ハンバーガーとチキンナゲットの日もあれば、
セブンイレブンのツナおにぎりと『どん兵衛』という日もある。

一年同じものを食べないのは難しいかもしれないけど、
一ヶ月同じものを食べないことなら不可能ではない。
一日三食で一ヶ月で約九〇食ちがうものを食べたら、
自分の主食は何と言えばいいんだ?

その疑問に簡単に答えるために、
米か麦か、
肉か魚か野菜か、
という五パターンからだいたい選ぶことになる。

でも一ヶ月のうちでこの五パターンを食べてても、
主食は? という疑問に対して、
そんな四の五も言えない。
僕なら朝ごはんを基準に答える。
最初に言いましたけど、
「最近のぼくの主食はパンと野菜だ」。

米も魚も肉も食べてるけど、
ただ、若干パンが優位な日が続いているだけです。
そこで僕は「主食は?」と聞かれたとき、
もうちょっとリアリティーをもって答えたい。

映像的には「僕の主食は熊と鮭です」
というのがいちばん好きですけど、
好きとかそういう問題でもないですからねー。

2013年5月27日月曜日

あを

あ。
あー、いうえの最初のあ。
あではじまるのはあー、赤と青と、あと朝顔と。
今日の朝足にくっついたゴミは、
あんこの潰れた粒だった、あ。
頭の奥が空っぽなのはアホのあだ。
まっ白なシーツをあ、洗う。
白いシーツは洗っても変化が認められない。
けどいちおうあ、洗っとく。
あ、アイデンティティを満足させるために。
意思通り動けれればあ、安心だ。

休みごもり、どもり転び。
それでも日々にあを。
目の前のものに立ち止まる、あを。
あをくない空に立ち止まる。
あー涼しく気持ちよし。

2013年5月26日日曜日

野次と掛け声

僕は野次が好きです。
「僕は野茂が好きです」ではありません。
それではホモになってしまいます。
野球観戦とか芝居とかにある、
「よっ」とかいう掛け声が合わさった
失敗を笑いにかえるような野次が好きです。
国会とか記者会見にあるような、
修辞のない野次はただうるさいだけです。

昨日は結婚式でした。
今まで行った結婚式の中で
いちばん野次の多い結婚式でした。
結婚式で野次が多いなんていうと、
なんだかひどかったような言いようですけど、
ぜんぜんひどくはなかったです
(親族がどう思ったかは分からないですけど)。
小学生ぐらいから三十路を過ぎてまで一緒にいる友人
ばかりの場所ということもあるのでしょう。

たとえばこういう場面がありました。
新郎友人のN村が余興で酔っ払った勢いで飛び出した。
みんなを笑わそうと飛び出したけど、
何も思いつかず止まってしまう。
そこで友人席から野次が飛ぶ。
「分かる!分かるよその頭がまっ白になる気持ち。
おれもさっきなったから、早く引っ込め!」
と、スピーチを失敗した友人が言う。
「身ーの為、身ーの為、身ーの為」と周りから合唱が起きる。

N村が変な声で変な歌を歌う。
「祝いの場でとんでもねえことをするな」
そこでまた止まってしまったところに一声。
「よっ、ポテンシャル!」
今度はN村はマイクを下半身に当てて踊り、
「これは子孫繁栄の儀式です!」と言う。
会場は静まりかえりましたけど、
N村は仕事をやり終えた感じの満足な顔で帰ってきました。

それで思ったのがこの、
「よっ、ポテンシャル」
というニュアンスがどの野次にも含まれている。
その場に立った人を想像以上の場所まで引っ張るような野次。
もしこういう野次や掛け声がなかったら、
そそくさと席に引き返してしまってたんじゃないか。

やめてもらいたい野次というか掛け声もあります。
スピーチとかで涙を流す人に向かって
「がんばれ!」というのです。
「がんばれ、もうちょっとだ!」とか、
何をがんばれって言うのか。
そういう掛け声は恥ずかしいし、寒気ものです。

2013年5月25日土曜日

二人の黒人の笑い

コーエン兄弟の映画を見ていると、
夢を見てるのと似た感覚になることがあります。
又聞きですけど、
宮崎駿はこう言っているそうです。
〈良い映像作品〉は一つのシーンから
三つの意味が読みとれる。
夢もまた、
一つの場面の解釈が人によって変わるように、
複数の意味がある(というか読みとれる)。

コーエン兄弟の映画もそんなふうに、
色んなサインが映像に潜んでいる。
他の作品と同じように『レディ・キラーズ』にも暗示性がある。
けどそれ以上に、
一人でアハアハ笑いながら見れる映画です。

この映画の笑いの要素は二人の黒人です。
二人の黒人が、映画全体の笑いポイントを独占している。

その一人はマンソン夫人という役のお婆さんです。
この人の面白さは一言で「面白い」というには物足りない。
かといって文字で書いてみたけど、
ぜんぜん面白く書けなかった。
それは僕のせいじゃないです。
お婆さんの仕種、声、顔、言葉、
そういうのがひっくるまって面白い。

「いいかい?
“メニ メニ タンカロー パルジン”」
神の裁きの言葉さ」
冒頭のマンソン夫人のこの場面は傑作です。

もう一人は、ガウェインという若い黒人の男。
強盗のスパイ役の彼は、
危機が迫ったとき太った警備員を笑いで誤摩化す。

「ブクブク太りやがって。
もしその脂肪が金ならお前は大金持ちだよ!」

警備員が笑っている間に自分の仕事をする。
でもこのガウェインも仕種、声、顔、言葉、
そういうのがひっくるまって面白い。

今日は非常に不満な一日です。
自分の予定管理の甘さから、
ブログをアップするのが夕方になってしまったし、
面白い映画のことも面白く書けないし。
不満!
不満不満!

まあ不安になるよりは、
不満になるほうがまだマシか。

2013年5月24日金曜日

唐辛子事件

唐辛子にまつわる事件。

①「唐辛子を触った手で目をこする」

たぶん唐辛子にまつわる事件の中で、
最も多いであろう事件です。
特にコンタクトレンズをはめている場合、
事態は深刻さを増す。
りょうちゃんは目をこすった瞬間ヤバいと気付いた。
目を劈くような痛みを与える唐辛子は、
コンタクトレンズを取ろうと思っても、
目を開くことができなくなる。
コンタクトレンズwithカプサイシン効果で、
延々と続く痛みをもたらす。
涙がレンズを洗い流してくれるのを待つしかない。

②「唐辛子の種をほじくり出した竹串でジャガイモを味見する」

この事件は痛みよりも、
ビックリ度が高い。
パスタで使う唐辛子を半分に切って、
竹串でぐりぐりと中の種をほじる。
その竹串を台の上に置いて他の仕事、
たとえば蒸し野菜を作る仕事に取りかかる。
その味見をしようと思って手近にある道具を掴んで、
蒸し加減を確認し、食べてみる。
そこで味のおかしさにビックリする。
辛い。
唐辛子の種をほじり出した竹串を使っていた。

③「唐辛子を畑で収穫してそのあとトイレに行った事件」

シンジさんの人生観は「今を生きる」という感じです。
「今を大事にすれば前後の脈絡なんて考えなくても、
正しい道に沿っていけるだろう」
シンジさんはそんなこと一言も言っていないけれど、
その生きる姿を見ていればそういうことが伝わってくる。
今を生きる。
それは過去にとらわれず、
未来の心配でがんじらめにされず、
今を最高の気分で過ごすということです。
しかしその人生哲学には弊害がある。
物忘れが多い、ということです。
そして無くしたものはほぼ確実に見つからない。
過去にとらわれていないので、
どこで無くしたのか記憶に残らない。
無くしたことに気付くのに一週間かかることもある。
サングラスの年間消費量はおよそ六個だそうです。
ともかく、
シンジさんは畑で唐辛子を収穫して、
その後小用を済ませて帰りの車に乗り込んだ。
走り出してすぐに股間が痛みはじめた。
過去にとらわれていないので原因が分からず、
股間の病気かと思ってすぐ病院に道を切り替えた。
痛みをガマンして向かっている途中、
痛みがやわらいで唐辛子が原因だと分かった。

唐辛子の扱いには気を付けましょう。

2013年5月23日木曜日

破れない札②

昨日のブログで僕は、
「洗っても破れない札」と
「好きな映画監督も駄作が続けばイヤになる」
ということが似ていると書きました。
洗っても破れない紙幣といっても、
2、3度濡れれば強度は下がってくる。

この例えが的を射ているかどうか、
高学歴のヤーリーに聞いてみました。
彼は家庭教師をやっているだけあって、
アドバイスには定評があります。
例えるなら、とヤーリーは言いました。

「洗濯したお札を人に例えるなら、
大切だと思いつつもないがしろに扱ってしまうのだが、
それでも気を悪くしない友人ではないか。
ついついポケットに入っているのも忘れてしまうけれど、
価値あるものだから乾かして大切にする。
そして強く、破れないでいてくれる」

なるほど、紙幣の〈見えない信頼〉という共通点を
炙り出しています。
でも、お札がすぐどこかへ消えてしまうのと同じように、
いくら友達だからといって失踪することはありますから。

それに、だいたいヤーリーの友達は主婦ばっかりです。
ヤーリーは趣味がランチみたいなところがありますから、
彼にとっての「洗っても破れない札」は
僕から言わしてもらうとこうです。

「洗っても破れない札は、
学歴とユーモアみたいなものだ。
信用と笑いはいつの時代も廃れない。
そしてそれさえあれば、
ランチを奢ってもらえる」

もっと言えば、
このままでは彼の学歴とユーモアも破れたお札のように
紛失してしまうでしょう。

2013年5月22日水曜日

破れない札

・千円札を七千円分洗濯してしまいました。
札は洗われてる途中にポケットから出てきたらしく、
洗濯カゴから生で出てきました。
ビリビリに破れているかと思いきや無傷です。
七枚の札を机の上に伸ばしてみたら、
きれいになっていたぐらいです。
夏目漱石の時代、
洗った札がビリビリになっていたことと比べたら、
札の強度もかなり増してるようです。
でもさすがに柔軟剤は効かないみたいで、
パリパリになっています。

・昨日は『ウォッチメン』を途中まで見ました。
この映画の監督であるザック・スナイダーは『300』の監督です。
僕は『300』を映画館に二回見に行きました。
その後ロードショーで一回見ました。
『300』の何が僕をあんなに引きつけたのか。
ウディ・アレンの映画にあるようなジョークと哲学的考察もなければ、
コーエン兄弟が作り出す深層意識の物語性もない。
そうだ、
いちばん近い作品は『暴れん坊将軍』かもしれない。
僕は小さい頃『暴れん坊将軍』が好きでした。
『水戸黄門』は印籠という象徴的効果が勝ちすぎてるのに比べて、
あのストレートな暴れん坊感が『300』にもあります。

でも『ウォッチメン』は半分ぐらいで寝ました。
その前の『エンジェル ウォーズ』はさらにつまらなかったけど。

「好きになった監督は洗っても破れない札みたいだ。
乾燥させればまた使えるように、
時間が経てばまた見たくなる。
でも、そのうち破れそうだ」

警句になりますか?

2013年5月21日火曜日

物足りないタマネギ農家と柔軟なポルノ女優

恋人に選ぶとするならどっちが理想か?
物足りない人か、
キャパシティーオーバーの人か。

その二択は間違いかもしれない。
相手のことを自分に物足りない人だと思うか、
想像を超える人で自分はついていけないと思うかは、
主観的な問題だから。
もし物足りない人だと思うなら自分の自惚れだし、
もし想像を越える人だと思うなら
自分の頑固さにしがみついている証拠じゃないか。

主観的にポジティブに受け止めることができれば、
どんな相手でも自分には知らない部分が隠されている、
それを発見できれば喜びになる。
もし自分とは違う価値観を持っている人でも、
自分のゆずれないものから解放されていれば、
相手をそんなに選ぶことはない。
羽毛布団の中身がダウンでもフェザーでも、
そんなことは関係なく、
軽い布団にくるまれば快適に眠れるみたいに。

と、そういうふうに考えてました。
でも、
相手がいてはじめて生まれる恋心だから、
主観的な問題だけじゃ解決できないかもしれない。
ウディ・アレンの『誘惑のアフロディーテ』見て、
そうも思いました。

元ポルノ女優のリンダと、
野心のないボクサーのケヴィンが出会うエピソードがあります。
二人は出会ってすぐお互いの外見に好印象を持って
付き合いはじめる。

リンダは実家のタマネギ農家のことばかり考えてる彼のことを
野暮ったい男だと思ってました。
でもリンダはそういうケヴィンの野暮ったさもかわいく見えてくる。
女優になりたいと思って街に出てきたリンダは、
ポルノ女優にスカウトされてそれもスターへの回り道だと捉える
かなりオープンな性格の持ち主です。

リンダと出会ったとき、
ケヴィンは付き合っていた女にフラれて傷心中でした。
「もう都会の女は嫌だ、
大地を愛せる嫁と一緒に実家のたまねぎ畑を耕すのが理想だ」
というのが口癖です。

物足りなさとキャパシティーオーバーさが絡み合って、
絶対にうまくいかなさそうな関係です。
案の定、うまくいきませんでした。
リンダがポルノ女優をやっていたことが発覚して、
ケヴィンがキレました。

リンダにはタマネギ農家は物足りなかった。
ケヴィンには元ポルノ女優という過去が受け入れられなかった。

話をまとめるとこういうことになります。
「価値観はあるていど似てる方が付き合いやすくて、
布団は羽毛布団がいい」

2013年5月20日月曜日

Q日

今日はQ日です。
定Q日といっても、
僕は何かをQに思い立って行動に移すタイプではないので、
普段通りのQ日を過ごすだけです。

「そうだ、Qバに行こう」とか、
「スQーバダイビングに行こう」とか、
そういう飛躍した行動パターンが僕の中にあれば、
ブログを書くことも、
もう少し楽になるかなと思ったりします。

でも今日は普段通りの一日に、
新しい習慣が付け加えられました。

今日は朝、
引っ越してからはじめて家の周りを歩きました。
なぜかというと、
一ヶ月も経ってるのにいまだに町内のゴミ捨て場が
分からずにいたからです。

「ゴミ捨て場はどこだ?」

200メートルぐらい歩いて発見しました。
一歩未知なる世界に足を踏み出せば、
新しい道を切り開くことができるのだ。
自分の世界の新大陸です。

ゴミ袋一杯になったビールの空缶を
やっと捨てることができました。
引っ越したばかりの家をゴミだらけにしてしまう不安、
そんなQ状を脱することができました。

日々にQを持て。
されば神は汝をQ出させ給わん。

2013年5月19日日曜日

前衛的な料理

『エル・ブリの秘密
世界一予約の取れないレストラン』を見ました。
聞いたこともない調理器具がたくさん出てきました。

冷凍粉砕器、
真空蒸気加熱器、
ディハイドレーター、
サーモミキサー。

こういう調理器具を使いながら、
次々と前衛的な料理が作り出される。
どんな味がするのか想像するだけでも楽しめます。
ナレーションは無しで、
淡々と仕事のやり取りだけを撮っている。

「創作と調理は別物と考えろ」
料理長のフェラン・アドリアが言いました。

レストランもその言葉通りの営業スタイルで、
半年間はメニューの実験に費やして、
残りの半年間で営業をするというもの。
一回のディナーで35品ぐらいの料理が出てくるそうです。

こういう前衛的なグルメの映像を見ながら、
僕の晩ご飯はバターを塗っただけのトーストという、
かなり退廃的なものでした。

2013年5月18日土曜日

砂肝洞察

昨日は焼き鳥屋に行ってきました。
蒲郡市にある〔源三郎]という店で、
真ん中にラーメン屋を挟んで、
もう一軒焼き鳥屋があるという並びの店です。

ケンカにならないのかと思うんですけど、
間のラーメン屋さんが仲裁役を果たしてるのか、
共存共栄してます。

フランチャイズでは成り立たないような立地です。
焼き鳥屋の梯子をしようと思っていたら、
一緒に行ったスタッフのT郎が寝はじめたので、
一軒で締めました。

昨日から砂肝のうまいものとまずいものの
判断基準はどこかを考えていましたけどはっきりしませんでした。
弾力がありつつ、
シャキリとした歯切れがあるのはうまい。

じゃ歯ごたえだけなのか?
特徴的な匂いも味もそんなにない。
味は塩こしょうの味だし。
でもチェーン店で食べる砂肝よりも断然うまい。

だいたい串ものの記憶は「うまかった」とか、
「うまくなかった」という記憶ぐらいしか残らない。
たぶん串ものを食べるときはビールを飲んだり、
喋るのに忙しいから毎回洞察不足になるのかもしれない。

土曜日です。
今日もオーシャンよろしくお願いします。

2013年5月17日金曜日

タカシ食べるならメヒカリ

昨日の晩ご飯は『きら亭むさし』で、
メヒカリの唐揚げ350円を、
プラス350円の定食にしました。

この『きら亭むさし』という店は
旅館とつながっているんですけど、
宿泊客のような客は見当たらず、
ローカルな人たちが仕事帰りに飲んでいくような店です。
すでに自分がローカルの仕事帰りです。

正式名は「青目鱠」で、
目が青く光ってるからメヒカリだそうです。
僕は揚がった姿か、
切身となってシャリと共に握られた姿しか見たことない。

唐揚げは太めの万年筆みたいにまっ直ぐで、
筆箱とかにも4、5本入れとけそうなサイズです。
身はふっくら、
味の深さがまた口の中でふっくらんで、
メヒカリなのにこっちのお先はまっ暗です。
きっとこれ以上うまい魚はもうないから死ぬしかない。

そして寿司のメヒカリ。
これはけっこう前に回転寿司で食べたと思う。
「本日のオススメコーナー」に載ってたこのネタが、
他と比べて断然うまかったので記憶に刻まれました。
小ぶりだけど甘くて、
白身とは思えない柔らかな歯ごたえ。
もしかしたら記憶を理想化してるかもしれないけど、
確かにうまかったです。

最近女子学生の間では、
「確かに」を「タカシ」というのが流行ってるそうです。
あのメヒカリ、タカシうまかったしー。

2013年5月16日木曜日

ニンニクの芽の食べ方

昨日の晩ご飯は日清の『カップヌードル』でした。
オーガニックカフェの厨房スタッフが
家ではインスタントものを食べてるなんて話は、
東京とかじゃ当たり前です。

あごヒゲに長い髪の毛を団子にして、
白いシャツのボタンをいちばん上まで止めたメンズが、
「やっぱオーガニックのオリーブオイルは香りがちがうよ。
あ、ペリエはライム搾る?」
何て言いながら、
家に帰ればマルちゃんのワンタンとか食べてるんですから。

でもオーシャンは東京のそういうカフェよりも
ソフィスティケイトされてるので、
カップヌードルなんかもかなりお洒落に食べます。

僕の食べ方を教えましょう。
まずお湯を沸かす。
紙ぶたを開けてお湯をそそぐ、
そこをちょっと待ってください。

紙ぶたを開けたらそこに僕は
無農薬で育ったニンニクの芽を入れる。
オーシャンにはものすごい数のニンニクが植わっている。
(およそ3000玉)
だからニンニクの芽も同じ本数ある。

必然と家に持ち帰ることになるので、
冷蔵庫の野菜室で束になっている。
それを数本掴む。
カップヌードルを食べるぐらいですから、
根本的にもはやめんどくさいという精神状態にあります。

ニンニクの芽をまな板に出して切るという、
正統的な調理はそぐわない。
ニンニクの芽とキッチンバサミを掴んだら、
紙ぶたの上から直にちょきちょき切る。

それからお湯をそそぐ。
野菜を入れたからといって三分以上待たないこと。
それ以上待ったら、
インスタント食品を食べるという行為自体が本末転倒です。
できるだけ楽に、早く食べるということを目指してください。

三分経つ。
カップの目印があるところまで入れた汁を麺が吸って、
表面に浮かべたはずのニンニクの芽の集団が
海岸に打ち上げられた遭難者ように転がっている。
それを食べる。
硬い。
お湯に浸かってないから当然といえば当然です。

このインスタントオーガニックの試みは失敗か?
ビールとラーメンをすすって数分後、
もう一度ニンニクの芽を食べた。
するとどうでしょう、
昔勘当された父親と仲直りしたようにシコりが取れている。
汁に浸かったニンニクの芽が、
ほどよいシャキシャキ感を残して食べ頃になっている。

ということは、
お湯を注ぐ前に麺を一度取り出して、
ニンニクの芽をその下に入れていたら
最初からおいしく食べれるかもしれない。
ただ今度問題になりそうなのは
麺の笠が上がって今度は麺が浸からないかもしれない。

あるいは、
一分半ほど経ったところで、
タブーを破るようですけど紙ぶたをめくり全体をかき混ぜる。
そうすれば三分で丁度良い食感になるかもしれない。

以上、オーガニックカフェ便りでした。

2013年5月15日水曜日

ベストを尽くす

昨日はフットサルの火だった。
走り過ぎてふくらはぎから火が出た。

世の中には「おれは毎日ベストを尽くしていきたい」
というタイプの人間がいる。
僕のことだ。

そのベストを自負している当人は何を基準に、
自分がベストを尽くしているといえるんだろうか。
僕の場合、
走り過ぎてふくらはぎに火が点き、
肺からヒューヒュー変な空気が出てきて、
休憩して立ち上がるときに立ちくらみをしたら、
ここら辺でやめとこう、と思う。
足をツル前に後は流してやろう、と思う。

しかし足をツルまで走る男がいる。
オーシャンズの黒豹ことシバタだ。
50メートルを6秒切るスピードでシバタは走り過ぎて、
いつもゴールラインを飛び越して走り出てしまう。
もしコートの周りを囲むネットに受けてもらえなければ、
彼はそのまま夕暮れの彼方まで行ってしまうかもしれない。
案の定、体育館でやったとき、
シバタは壁に激突していった。
痛そうなのは壁のほうだった。
そして案の定、シバタは足をツル。
ベストを尽くすという言葉を体現したような男だ。

こういう男を見ていると、
自分のベストが何だか恥ずかしいものに思えてくる。
ふくらはぎにちょっと熱を持ってきはじめたら、
自分は足を気にしてセーブしてはいないか?
セーブしている。
ちょっと肺が苦しくなったら交替を望んでいないか?
交替を望む。

「ということはもしかしたら自分のベストは、
他の人からしたらそんなに大したベストじゃないかもしれん」
と僕は懸念する。
でも、しょうがないか。
シバタはシバタで僕は僕のベストがあれば、
自分のスケールを飛び出す場所を他でどっかに持ってれば、
わざわざ体育館の壁に体当たりすることを競う必要もないか。

僕は休憩する理由を探すことに、
ベストを尽くせるタイプかもしれない。

2013年5月14日火曜日

風車を立てる

昨日は休みだったんですけど、
夕方たまたまお店に行ったらハーブガーデンで
イサムシくんがスコップを持って土を掘ってました。
「風車を立ててるんだけど、竹が折れちゃってさ」
と言いました。

見上げると、折れた竹の先端が頭上で揺れてます。
昼間熱かったのに、
夕方風が強くなって寒くなったところで、
イサムシくんは折れた竹を抜いてました。

僕がお店で用事を済ませて外に出ると、
もう一度林に行って切ってきた竹を埋め替えてました。
5メートルほどの竹です。
その先端を見上げると、
加工されたペットボトルが勢いよく回ってました。

休日に風車を立てる男は、
その前日の日曜日には店にニンニクの飾りを立ててました。
花茎が40センチぐらいに伸びたニンニクを、
球根は水の入ったガラス瓶に浸けて、
水耕栽培型オブジェという感じにしてました。

さらにその前には、
ズッキーニの花が付いている先端と、
尻の茎の方の切り落とした部分を皿に立ててました。
それは〈今朝の畑〉というタイトルで店先に飾られました。

よく物を立てる男です。
でも自分の身を立てることにはあんまり興味がないみたいで、
出世欲とかはまるで見せません。
トーエネックの電柱を立てる作業員以上に無欲です。

2013年5月13日月曜日

ベリーズを調べる

今日の休みは、
今年の年末に行く予定をしているベリーズの
下調べをしようと思います。

ベリーズはマヤの遺跡があるカリブの国で、
他のことはまだよく知りません。
行く予定が先に立ちました。

はじめベリーズという単語を聞いたとき
(国だと思わなかった)、
Tシャツをイメージしました。
しかしよく考えたらそれはヘインズだった。

というのも、
ベリーズでヘインズが思い浮かんだのは、
もう一つのTシャツを作ってるメーカーが合体したからだ。
もう一つのメーカーが作るTシャツの首のタグには、
フルーツの盛り合わせが刺繍してある。
ぶどうとかバナナとかが何種類か。
そのメーカーの名前は忘れましたけど、
そこもアメリカのビッグネームだと思われる。

それで「ベリーズ」というフルーツっぽい響きと、
ヘインズというTシャツメーカーが合体して、
Tシャツが僕の中にイメージされた。
だからベリーズに行ったあかつきには、
Tシャツを買ってこようと思います。

久しぶりの旅の計画に、
半年以上も先のことなのにもうそわそわしてます。

とりあえず図書館で
『世界の小さな国——
スリナム共和国、ドミニカ国、バハマ国、ベリーズ』
というDVDを借りました。

2013年5月12日日曜日

スマイルはただじゃない

「スマイルはただじゃない」
宮本さんは言いました。

「職場内で一日のうちに
必ず一人を三回以上笑わしている。
それを現金換算すると日当三万円に相当する」
と宮本さんは自分で言う。

日本人はそこにお金を払いたくないと考える。
「当然スマイルは〇円だ」という認識が
日本にはびこっている。
形の残らないサービスにお金を払うのは損である、
という考えが一般的なのだ。

それに対して、スマイルサービスの失敗、
というのもある。
笑わそうと思って何かしたけど、
ぜんぜん面白くなかった場合だ。
僕はそういう場合がいちばん多い。
それはタダだ。
だからマックのスマイル〇円は正確でもある。
注文するこっちはそれで笑えないから。

もしこっちが笑ってしまったら、
お金を払わないといけない。

2013年5月11日土曜日

ペーパーフィルター入れ

松本寛司さんの「おいしい器」展も明日で最後です。
僕はコーヒーのペーパーフィルター入れを買いました。
今までペーパーフィルターは買ったときに入ってた
ビニール袋のまま引き出しに入れてました。

でも、フィルター君には毎日働いてもらっているので、
もうちょっとまともな居住空間を与えてやりたかった。
このフィルター入れはケヤキの木で、
扇形にカットされた二枚の板が紐で張り合わされてる。

ただ木に穴を開けた容器ではなく、
紐を使って重ねているところが〈変わってる〉。
最初ペーパーフィルターをたくさん入れるときは、
紐が伸びて張り合わせた板が広がる。
次に、紙を抜いて少なくなっていくときは、
伸びた紐が縮んでいく仕掛けになっている。

……なんと言えばいいのか、説明しづらい。
中身が減っていくのと同時に、
張り合わさった板が重なっていくから、
ダランとしない。

言葉でこの原理は伝えることは難しい。
写真でアップすればもう少し分かりやすいかもしれない。
でも写真に頼りたくない。

人間関係で言うとこうなる。
出会いはじめの恋人同士の間にはペーパーフィルターがある。
でも、それは隔たりじゃない。
恋人になるには、
お互いの間にあるフィルターを通して、
コーヒー豆の出汁を取るように、
相手のことを理解し合わないといけない。

それで、お互いの間にあるフィルターを一枚一枚抜いていくと、
ついに恋人同士はフィルターいらずで重なり合う。
淹れたコーヒーを二人で仲良く飲める。
だいたいそういう仕組みなりそうです。
どうですか、分かりましたか?

2013年5月10日金曜日

つばきの雫

東幡豆町には椿の油を搾ってる大嶽さんという人がいます。
「つばきの雫」という名前で、
三河地方で集めた椿実を低温圧縮によって絞り出したものです。

オリーブオイルも良い品質のものは、
コールドプレスによって抽出されたものです。
油は熱が加わるとすぐに劣化してしまうので、
この、低温で抽出するという方法が大事だそうです。

「つばきの雫」は幡豆で開催される友引市で知りました。
僕は心は繊細なほうではないですけど、
肌に関してはわりと繊細で、
乾燥気味の天気のときはすぐに影響を受けてました。

化粧水やティーツリーオイルを使ったりしても、
あんまり効き目がなかったんですけど、
椿の油を使いはじめてからはだいぶ調子がいいです。

油だからしっとりしすぎてしまいそうだと思いきや、
サラッとしている。
けど化粧水の水っぽいサラサラ感ではなく、
肌がちゃんと椿の油を受け取っている感がある。
「肌よ、お前はこれを欲していたんだな」感がある。

「つばきの雫」を買える場所で僕が知っているのは
二カ所だけです。
友引市と大嶽さんちです。

大嶽さんちはチャイムを押して、
いれば入ることができます。
玄関のところに靴を抜かずに座って
「つばきの雫」が容器に入った箱を出してくれる。

大嶽さんは定年したぐらいの年齢のおじさんです。
元々、地元の油脂会社に勤めていたそうです。
油搾りに関しては一から十まで
知ってる雰囲気があります。

自分の絞った椿油をどれだけ嬉しそうに語るか。
十五分か二〇分、油にまつわる話をしてくれます。
もしあなたが急いでなかったら、
どれだけ自分がこの「つばきの雫」を求めていたか、
話してあげましょう。

「わー嬉しいなー」
と大嶽さんはほんとに嬉しそうな顔で言います。

でももし大嶽さんちを知らなければ、
年に二回ほど開催される友引市で買ってみてください。
買いだめはダメですよ。
大嶽さんは「搾り立ての油」にこだわってるので。

2013年5月9日木曜日

味の引っ越し

コリアンダーの花がたくさん穫れる。
可愛らしい花だけど、
飾りにするだけじゃもったいないです。
これは食べたい。

花が咲くとその植物はもう使命を果たしたように、
香りや味が落ちたり、硬くなったりする。
オーシャンでは花が付く以前のコリアンダーは、
トマトココナッツカレーに添える薬味として使っている。
葉っぱを使うときはパクチーと呼ばれることの方が多い。

花が咲いて種が付いたら
それはコリアンダーシードとして、
ドレッシングに入れたり、
カレーのスパイスでもたくさん使う。

その間の時期に咲く花。
花にはあんまり注意を向けていませんでした。
一円玉サイズの白と紫の花です。
でも、この小さな花を噛むとすごい。

はじめに甘さ、
それからほんのりした苦味がやってくる。
その後にピリピリ感と共に、
香りが花びらからプチプチ弾ける。

南国に引っ越すために押し込んだトランクみたいに、
小さな花一枚にコリアンダーが詰まってる。
あんまり実用的じゃないけど、
遊び心が詰め込まれた荷物。

花が咲いた時期の葉っぱには
もう風味があんまり残っていません。
その代わり、風味は上に移っていくらしい。
風味が種に移る直前、
花にコリアンダーが丸ごと宿る。

葉っぱから花へ、それから種に、
味の引っ越し。

2013年5月8日水曜日

スカイプ英会話

今日はヤーリーという男がうちに来て、
スカイプで英会話の授業を受けている。
自宅のネット接続が遅いらしい。

先生から与えられた質問に
四十五秒で答えるということをしている。
ヤーリーは三個ぐらいのやり取りを
焦りながらした後に、

「早く質問に答えるというのは僕じゃない。
生まれたときからそうだ」

と言い訳していた。

2013年5月7日火曜日

二日酔いうどん

昨日の朝は二日酔いだと書きました。
いつもだと朝ごはんには甘い物を食べないと
目が覚めた気がしないんです。
でも、胃がむかむかして気持ち悪いときは、
甘い物よりも塩辛いものが食べたくなります。

そこで、寿がきやの[みそ煮込みうどん]を、
二日酔いバージョンにして食べることにしました。
二日酔いバージョンとは、
冷凍ストックしてあるしじみを
うどんと共に煮る食べ方です。

しじみが二日酔いに効くという話はよく聞きます。
それが本当かどうかはともかく、
しじみみそ煮込みうどんうまいです。
しじみみそ汁とかありますけど、
それにうどんが追加されてしまう。

飲んだあとにラーメンとかうどんとか、
麺類を〆に食べる人は多いです。
飲屋街とかでしじみみそ煮込みうどんをやったら
ブレイクしそうですけどどうですか。

さらに、うどんを食べ終わったら、
残りの汁の中に冷飯を入れて、
もう一回煮込んでご飯をふやけさせて食べる。
胃が気持ち悪かったことも忘れて、
汁ごとぜんぶ食えてしまう。

気を付けないといけないのは、
ご飯を入れる前にしじみを取り出すことです。
僕はしじみが入ってる中にご飯を入れてしまって
(食い意地が勝って後のことを考えれなかった)、
米と貝が入り乱れて非常に食いにくかったです。

2013年5月6日月曜日

夜はリビングに

好きな人と別れてそれまで二人で暮らしていた家に
一人でいて寂しくなるときがある。
あるいは、好きな人が遠出して、
一人で家で留守番をしないといけないときがある。

MくんとMちゃんという30歳も過ぎた二人は、
そういう寂しい夜を過ごすときどうするかというと、
普段寝ている寝室からリビングに
蒲団を引っ張っていって寝るそうです。

「二人でいることに慣れた寝室」
響きもかなり切ないです。
Mくんは洋間にベッド、
Mちゃんは和室に蒲団、
二人とも寝室には物があまりないそうです。

そんな物の無い部屋からいつもいた〈あの人〉、
幅四〇センチ弱、高さ一六〇センチ前後、
その空間がぽっかり空いてしまったことで、
不在を感じる。

そのぽっかり空いた空間は、
はじめは寂しさで埋められる。
その後、思い出に変わるにしても、
はじめは等身大の寂しさが横たわってる。

MくんもMちゃんも、
寂しさと一緒に寝たくはない。
だから、リビングに蒲団を引っ張っていく。

リビングは物でごたごたしてる。
テレビとかペン立てとか、座椅子とかで。
それがいいと言う。
ぽっかり突然空いた空間は、
人は手で触れる実物で埋められない代わりに、
つい触れない寂しい気持ちで埋めてしまうから。

触ることができないから寂しい。
触れるものがごたごたしてるリビングに行けば、
そこは寂しさも入る余地がないようです。
定員で埋まった夜行バスみたいに。

朝起きたら楽しい場所に着いてるんだ、
という気持ちで寝れたら、
悪い夢も見そうにないですもんね。

今日は休みです。
僕は二日酔いです。
今日見た夢が悪い夢だったか良い夢だったか、
まったく覚えがない。

2013年5月5日日曜日

枕元のスイーツ

どうしたら早起きできるのか。

夏目漱石みたいに目が覚めたらすぐに、
蒲団を足で蹴り上げてその勢いで飛び起きる、とか。
目覚ましを離れた場所に置いたり、
横に転がってベッドからわざと落ちるとか。

そういう無理やりカラダを起こす方法なんかせずに、
「早く寝ればいい」
でも、それができなくてみんな困っている。

たとえば、
何かドキドキするようなことがあると、
早起きできます。

好きな人から返ってこないメールを待ってるとき、
怖い先輩からの電話に怯えてるとき、
取引先から頻繁に来るクレームの電話に悩んでるとき。
そういうとき、電話が鳴るたびに、
むしろちょっとした物音だけでも、
胸がドキッとして目覚めてしまう。
早起きというより、夜中に目が覚めることも多い。

こういう場合は、自分の意志によるものではないから、
早起きしてもドキドキして疲れます。
冷や汗が出て、
健康に良い早起きにはなってないと思う。

そのドキドキ感を意識的に作る人がいました。
オーシャンのスタッフりょうちゃんは、
夜蒲団につくとき、枕元にお菓子を置くそうです。

ケーキや饅頭、クッキー、
自分が食べたいスイーツを枕元に置くそうです。
そうすると、朝それを食べるのが楽しみで、
ドキドキして起きずにはいられない。

ただその枕元に置くスイーツ類は
自分で買った物ではダメだそうです。
貰い物でないとドキドキしないそうです。
なんだか、分かるような分からない理由ですけど。

一体スイーツの貰い物なんて年に何回あるのか。
月に一、二回あれば良い方です。
まったく実用的ではありません。

でもこの、ドキドキ感をわざと作るというアイデアは、
個人の主観的な趣味で発展させれそうです。

僕ならピザを枕元に置いておけば早起きできそうです。
僕は冷めたピザを朝に食べるのが好きなので。
それじゃ結局りょうちゃんと同じで、
食べ物に釣られるというのが悔しいですけど。

2013年5月4日土曜日

いらしってください

オーシャンの〈海の家〉も残すところ二日です。
今日は野菜を売る人たちが野菜を持って集まります。
野菜を買いにだけオーシャンまで来るのは大変ですけど、
今日と明日はモーニングからやってますので、
野菜買うついでに朝ごはんにどうぞいらしってください。

それに、今日と明日は松本寛司による、
「木工ワークショップ」が行われます。
木べら作りをします。
二時間ほどでマイ木ベラができます。

木べらは調理道具の中でも用途の多い存在だと思います。
ヘラといったら最近はシリコンベラに勢いがありますけど、
シリコンにはないガシガシ混ぜれる強さ、
裏漉しをするときにも使える押し潰しやすさ。
それに、鉄のフライパンを傷つけることなく、
こそげ落とせるのも木ベラのいいところです。

午後の二時からワークショップがはじまります。
それだけでオーシャンに来るのは大変だという人は、
ランチのついでにどうぞいらしってください。

今日のそのころいらしってください。
そして今日の顔にお逢いください。
わたくしはいつも今日の中にゐますから。
今日のそのころなら、あなたは何でもお出来になる筈です。
(byうろ覚え犀星)

2013年5月3日金曜日

緑色のヌードル

家に来たお客さんに、
バリのお土産にもらったインスタントラーメンを
食べてみてもらいました。
見た目は緑色です。

おもてなしの心をもつとするなら、
「お客さんに出す前に、テイスティングしてみろ」
ということを肝に銘じるべし。
あなたが根拠の無い自信をもって出すそのヌードルは、
微妙かもしれない!

2013年5月2日木曜日

堅物の受け手には柔らかに

昨日から松本寛司さんの作品を展示する
「おいしい器」をオーシャンで開催しています。
お皿、まな板、木べら、フォーク&ナイフなどなど。
金属や陶器にはない木ならではのソフトさがあります。

スチールナイフのほうがバターも切りやすいのに、
わざわざ木のナイフを使う。
陶器の皿のほうが料理の熱を保ちそうなのに、
あえて木の皿を使う。
まな板もへらも、シリコンや樹脂系のものがあるけど、
やっぱり木製を使う。

どうして人は木製アイテムを使いたくなるのか。
それがカッコよかったり、
かわいかったりする、
見栄えの問題なのか?
それともその質感か?

木はカビる、割れる、変色する。
抗菌シールの樹脂系や金属類にすれば
そういう心配もない。
それなのに木製でいきたいという気持ち。
無機物に対するナチュラリストの反抗心からか?

もしかしたら、もう何年かしたら、
ヤシの実でご飯を食べて、
石のナイフで沢庵を切る日がくるかもしれない。

「やっぱあのギザギザの断面は石のナイフにしか出せないよね。
あんまりスパッと切っちゃうよりも、
舌触りに変化球が欲しいよ」
みたいなことを言ったりして。

僕はバターナイフを狙ってます。
ガラスのバターケースにスチールのナイフが
「カチン!」となるのが癪に触るからです。
受け皿が硬いものには、
柔らかく下手に出よう、
というナンパな作戦です。

今日はオーシャンにピザ屋さんがきます。
車に積んだ石窯でピザを焼いてくれます。
なぜ馬車に電子レンジではないのか?
それは電子レンジじゃピザがカリッとならないし、
馬車で国道23号線は走れないからです。

でも、どうしても馬車がいいっていう人は、
下道を走れば、
電子レンジのへたったピザが懐かしいと言う人が
追いかけてくるかもしれない。

僕はGWも後半に入ったところで
代わりばんこの休みをもらいました。
でもオーシャンに行きます。
なぜなら、沼津の地ビールが樽出しで飲めるからです!
沼津の地ビールって、
ハウズザテイスト!?

2013年5月1日水曜日

ダイコンハート

昨日の卓球大会は「リオールカップ」という名称で、
服屋さんの[REALL]バックアップの下行われました。

僕は卓球は一回戦で完敗しました。
卓球については書くべきこともありません。

昨日の思いでといったら、
リオールのワッペンを買ったことぐらいです。
四角い形で、枠は濃い茶色、地は薄い茶色。
そこに白と緑のダイコンと赤いハートが刺繍されていて、
こういうメッセージが書いてある。
「Back to farming」

イギリスではライオンハートは〈勇気〉を示す言葉で使われる。
ユウキはユウキでも、
このダイコンハートが示すのは〈有機〉だ。