2013年12月30日月曜日

暗い朝のダウンタウン

ベリーズからアメリカにきてもうすぐ一週間が経ちます。
だいたいアメリカに来てもほとんど動くことがない僕は、
家族が住むサンタクルーズ周辺で過ごしています。

それが今回はじめてロサンゼルスまで行くことにしました。
友達に会いに一泊二日のロス旅行です。

ベリーズ内を移動するときと同じように、
飛行機とバスの選択肢がありました。
飛行機なら往復400ドル、
バスなら往復で80ドルです。
七時間かけてバスで行くことにしました。
ベリーズシティーからプンタゴルダも七時間でした。

この旅行期間中『平家物語』を読み続けています。
この本はたくさんヒマがないと読み終えれないです。
Kindleに読み切れないほどダウンロードしてきたので安心できます。

20:30出発で3:30到着の便は予約するときには
目的地に辿りつくことだけを考えてます。
だけど二手三手先を読めない僕はいざロスに到着してみると、
こんな早朝というより夜中の大都市に放り出されて、
日が登るまでどこでどう時間を過ごしていいのか困りました。

同じ都市は都市でもロスと東京ではまったく雰囲気が違います。
東京にはどこかでいつでも店が開いている。
マンガ喫茶、カフェ、居酒屋、レストランなどなど。

だけどロスでそういう店を探そうと思ってもなかなか見つかりません。
僕はロスの図書館やディズニーミュージックホール、シティバンクといった、
ダウンタウンの大きな建物群の間を歩き回っていました。

明かりのある方へ向かい、
その北側のビル群を南に抜けると、
すぐに雰囲気が変わるのに気づきます。
そこはダウンタウンの旧市街で、
小さな商店、問屋、飲食店が並んでいます。

新市街を表だとすると、
この裏の旧市街に入ったところから人をちらほら見かけるようになります。
会話中の黒人グループ、
毛布にくるまったホームレス、
勤務を終えて疲れきった顔をしている警備員。

ユニオンステーションからダウンタウンまでバスで行きました。
午前三時を過ぎて店はどこも閉まってますけど、
バスは走っています。
そのバスに乗っている人たちは旧市街にいる人たちと同じグループです。

荷物をたくさん抱えた黒人、
毛布にくるまったまま移動しているホームレス、
今にも目が閉じそうな夜勤帰りの人をバスが運んでいます。
こんな時間にリュックを背負った観光客は見当たりません。

その旧市街を歩いていて人とすれ違うと
「チャイニーズ?」
と声をかけられます。
僕は軽いうなずき、
ボソボソとしたつぶやき、
後ろを振り返らず忙しい雰囲気を後ろに残して去り、
ダウンタウンをさまよいました。

この時間ロスで開いていて最も見つかる店は[サブウェイ]です。
だけどロスまできて[サブウェイ]に入りたくないです。

やっと[IHOP]という日本でいえばガストの位置付けのファミレスを見つけて、
これならまだアメリカに来た感じがあると思って入りました。

コーヒーと〈ストロベリーチーズケーキ〉というタイトルのパンケーキを頼む。
コーヒーは空のマグカップと魔法瓶で出てきます。

パンケーキは十分ほどで出てくる。
大きな厚いパンケーキが四枚です。
胃袋のサイズに対しては巨大です。
マヤ遺跡の土台が四段積み重なったような印象を持ちます。
半分しか食べれませんでした。

ここでノートにベリーズ旅行の出来事を書いて、
外が薄明るくなってきて時間を見ると三時間経ってました。

魔法瓶に入っていたコーヒーは三杯と半分でした。
飲み尽くしたので分かります。
コーヒーが4ドルに、
パンケーキが8ドル、
それにチップを2ドル置いて、
陽の昇りはじめるロスをまた歩きました。

2013年12月29日日曜日

ベリーズ旅行番外編

『ベリーズの乳製品』

ベリーズは多くの物資を輸入に頼っている。
たとえば乳製品が少ないです。
チーズも牛乳も少ない。
チーズはナチュラルチーズではなくプロセスチーズが、
牛乳は生乳ではなく加工乳が多いです。

その加工乳の中でも特にポピュラーななのが「LALA」です。
これには二種類、普通のと薄いのがある。
二つの違いはパッケージのプリントで、
普通のほうは男、薄いほうは女のモデルが使われています。

鈴木くんはどうしてもこの男が好きになれないということで、
薄いのは好きじゃないのにいつも薄いほうを買っている。
鈴木くんが買えないなら僕が買ってあげるということで、
この二種類を並べてみました。

……だからどうだっていう意味もないですけど。


『ベリーズ式二人乗り』

プンタゴルダには子供がたくさんいる。
鈴木くんが勤めるTCCという中高を兼ねた学校には九百人の生徒がいる。
六千人の街に九百人です。
六人に一人が生徒で、
街を歩いているとだいたい子供が鈴木 くんに挨拶をしていきます。

子供が多いですから必然的に、
交通手段は車より自転車が多くなり、
街にはよく自転車が走っています。
そこでよく見かけるのが二人乗りですけど、
この乗り方が変わっています。

一人は普通に座って、もう一人がハンドルの上に腰掛けます。
観察の結果、
この乗り方は子供の体が大きくなると運転が難しくなる乗り方です。

ハンドルに腰掛ける者があまり大きいと、
ハンドルを切るのに苦労をする。
そして視界が遮られて危なくなります。


『マヤ族の人形』

JICAのシニア部に所属する千葉さんという方は
マヤの伝統工芸品を扱うお土産物屋さんをマネージしてます。
どんな仕組みか時間が少なく詳しく聞けなかったんですけど、
組合という形みたいです。

十人ほどのマヤ族の工芸家が組合員になっていて、
彼らが持ってくるものを千葉さんが管理する店で販売する。

工芸品の定番はバスケットですけど、
日本に帰ったら店で使えそうなコースターをたくさん買いました。
その中の商品を見ていたら人形を発見しました。

不気味だなと思って手に持って眺めていると千葉さんが
「それ、作った人の本人の毛だよ」と言いました。
どうりでちょっと毛がちりちりしていて、
白髪が混じっているわけです。
それにしても、
お土産物にしてはかなりヘビーな商品です。


下の写真、後方右が千葉さん。
手前の方は工芸品を持ってくるマヤ族のおばさん。

2013年12月27日金曜日

マヤ遺跡にピクニック

ベリーズでは日本で普通に考える結婚システムとは異なり、
「Visiting couple」といって、
彼氏彼女の関柄でも子供がいることが少なくない。

ただマヤ族は例外で、
彼らは十二、三歳で結婚することが多い。
そして、マヤ遺跡がほとんど山側に点在するのと同じように、
彼らも山や森にコミュニティを作っています。

僕らはプンタゴルダでレンタサイクルをして(二時間4USドル)、
この山側にサイクリングに行きました。
道は悪路ですから日本の自転車と違って、
ビーチクルーザーのようにタイヤが太い自転車です。

プンタゴルダはそれほど広くもないのです。
十五分も走ると街の外れまで行きます。
中心から西の山側に向かっていくと、
マヤ族の住む家がコロニアル様式の住宅群に混ざってきます。
マヤ族の家は家の標札を見なくても一目で分かります。

彼らは伝統的な藁葺きの住宅に住んでいます。
街に住む金持ちのマヤ族は新しい洋風の家に住んでますけど、
田舎のほうでは藁葺きが一般的です。
プンタゴルダのマヤコミュニティでは、
カトリックの教会まで藁葺きです。



最初この国に来た頃はベリーズ人を一括りにしていて、
何族かなんて見分けがつかなかったです。
それでも注意して見ていると数日で、
ガリフナ、メスティソ、クレオール、マヤの違いが分かってきました。

マヤ族は背が低い代わりに、
鼻が高く槍みたいに尖っています。
肌はくるみ色で、
女性はだいたい艶の良い黒髮を後ろで束ねています。

ベリーズに来て観光らしいことはしていませんけど、
マヤ遺跡の一つには行ってきました。
十四ヶ所のうちの一つで、
プンタゴルダからバスで一時間のところにあります。


確か「ニムリプント」と発音していました。
この看板の後ろに見えるのは実際に住んでいる住宅です。
ここから山を十分ほど登ったところが遺跡の入口です。

途中の山道の脇にはマヤ族の家が所々にあり、
バナナの木があり、ニワトリが走り回ってます。
歩いていると長い剣を持ったマヤの青年が山から降りてきました。
僕はその時巨大な南国の葉っぱを日傘にしていたので、
領土を荒らした侵入者として切られたらどうしようと思ってましたけど、
切られなかったのでよかったです。
彼は背中に薪を背負っていました。


遺跡の手前にはきれいな建物があり、
そこで入場料(5USドル)を払います。
建物の中には発掘された巨大な岩が展示されています。
無理してサイズの大きい岩を入れたので、
天井の一部に穴が空いてました。

マヤ遺跡というと大きな岩の建物を想像すると思いますけど、
ニムリプントはスペイン軍の攻撃を受けて破壊されたほうの遺跡です。
発掘された遺跡はほとんど土台部分しか残っておらず、
周りにバラバラになった岩が飛び散っています。

その岩々は苔むしていて、
芝生はきれいな緑色で、
周りは赤い肌のマホガニーが囲み、
ちらちら木漏れ日が落ちています。
神社のように落ち着く空間です。

観光客は僕ら以外に二組(どっちも白人)見ただけです。
サンドイッチを作ってきた僕らはランチにするために、
芝生に紙を敷いて腰を降ろしました。

食べはじめて辺りを伺うと、
周りには等間隔に巨大な墓石のような岩が並び、
祭壇のような場所があるのを見つけました。
僕らはその中央の広い芝生の上にいました。

たぶん人生の中でこれほど、
サンドイッチを食べて厳かな気持ちになることは今後ないだろうな、
という経験でした。


2013年12月26日木曜日

ミスター・オーランドのコレクション

鈴木くんの家の近所に[ガバチスナック]という店があります。
ガバチがどういう意味か店主に聞くと、
娘の名前だと言っていました。

ここはピザ屋であり駄菓子屋であり、
卓球台にモノポリー、チェス、バックギャモン、トランプを置いて、
地元のゲームセンター的役割も果たしています。

経歴を聞くと話しが止まらないほど話してくれました。
要約すると彼はベネズエラ、コロンビア、アメリカ、ベリーズ、
四つの国籍を持ち、
各国を渡り歩いて料理をしてきたそうです。

シェラトンホテルのレストランで腕を振るい、
ワールドトレードセンターが崩壊する三時間前まで
そこで料理をしていたと言っていました。

店主のミスター・オーランドは
色んな武勇伝を語ってくれましたけど、
面白くない大人の自慢話とは違って、
少年が特別な秘密を人に教えるときのように輝いてました

ミスター・オーランドの少年っぽさは、
まず身長が150センチほどしかないところが少年のようです。
そしていつも被っているベースボールキャップと、
口を開けて歯をのぞかせて笑う顔が少年のようです。

それに加えて、
毎回お店に行くたびに卓球の勝負を申し込まれるところもそうです。
僕は二度お店に行っただけですけど、
どっちのときも疲れていて断ってしまいました。
断ったのに悲しそうな顔をせず、
開いた口から歯を見せて笑顔でうなずくだけなのがまた、
とても申し訳ない気持ちにさせられました。
三度目は必ず申込みを受けようと思ってましたけど、
残念ながら叶いませんでした。


ミスター・オーランドの少年っぽさはそれだけじゃありません。
僕らが厚い生地のアメリカ風ピザを食べていると、
彼はリスが大きなドングリを抱えるような感じで、
分厚いファイルを抱えて持ってきました。
それは自慢コレクションでした。

僕らには食べてていいよと言って、
自分でファイルをめくって解説をはじめてくれました。
それは「紙幣」のコレクションです。

大きいお札、小さいお札、
地味なお札、派手なお札、
どこの国か分からないお札がびっしり詰まってます。
その途中で「ジャパニーズ」と言ってファイルをめくるのを止めて言いました。
見ると確かに「THE JAPANESE GOVERNMENT」と書いてあります。
これは「ペソ」でした。
日本がフィリピンを占領したときに発行したお金でした。


またページをめくると、
日本円で「軍用手票」と印刷されたものもあります。
これも僕ははじめて見ました。


さらにめくっていくとフセインを見つけました。
南極のお金もありました。
これはもう紙幣というより、
水族館の入場券みたいです。




これだけ集めるのにいくらかかったのかと聞くと、
ミスター・オーランドは子供のようにへへへと笑って
「75,000USダラー」
と言いました。

僕はもう一回聞き返してから、
手帳に数字を書いて確認してもらいました。
やっぱり「75,000USダラー」と言ってます。
約七百五十万円だそうです。

実はもう一つファイルがあって、
そっちに高額紙幣を入れて、
母国ベネズエラの銀行のプライベートボックスに預けているそうです。

このとき見せてもらった中で一番高額だったのは
1000USドルでした。
これよりも高額だったり、
希少価値があればそれぐらいになるんですかね。

大人が子供の求めるものを大量に買うことを大人買いと言いますけど、
この人は大人が求めるものを子供のような純真な気持ちで
買っているんだなと思いました。

2013年12月25日水曜日

プンタゴルダの市場

ベリーズの道は穴ぼこで、
水たまりだらけです。
ポイ捨てが多くて
街にはゴミが散らかっています。

だけど人はみんなきれい好きで清潔です。
みんなシャツが白くて、
僕が使ったトイレの便器はどこも白かったです。

雨が降ればベリーズ全体は沼地になり、
家はカビる。
だけど外には真っ白な洗濯物が風になびいていて、
顔を出した太陽が洗濯物を一気に乾かす。
ぬかるんでいた道も気付けば元通りになり、
汗ばんていた服はさらに汗ばむ。
そこで日陰に逃げこむと涼しい風が体を冷やしてくれる。

家の庭には犬と猫と鶏が共存していて、
異なる民族が紛争を起こすこともなく共存する国を
ミニチュアで再現しています。

[ベリーズに住む民族]
メスティソ(ラテン×白人):49%
クレオール(アフリカ×カリビアン)25%
華人・白人:10%
ガリフナ:6.1%
マヤ:11%
その他:イーストインディアン、メノナイト、日本人

鈴木くんはこれらの民族の違いを判別できるそうです。
僕も教えてもらいました。
一週間いてなんとなく区別できるようになりました。

誰が見ても分かるのはメノナイト族です。
僕がバスに乗っていてメノナイト族が一人乗ってきたとき、
異質な雰囲気を放っていて驚いた。

彼らはドイツ系の移民で、
文明社会から逃れるために
このベリーズの地でコミュニティを作った。
電気など文明の利器に頼らず、
十九世紀西欧の伝統的な生活を守って暮らしているそうです。
移動手段は馬車で、
ハイウェイには「鹿注意」などと同じように
「馬車注意」の看板が出ています。

男性はみんな山高帽を被り、
白シャツに農作業用のオーバーオールで、
生地も決まっているみたいです。
デニムは着ていません。
女性はみんな頭巾を被っているそうですけど僕は見ませんでした。
この人たちの写真を撮りたいと思ってたんですけど、
最初のチャンスを逃してから出会うことがありませんでした。

下の写真は鈴木くんの家の近所に住む
イーストインディアンの旦那とガリフナ族の妻という夫婦です。
白髪のドレッドというのは始めて見ました。
背が高く威厳があって、
まさにビックマザーです。
車のトランクから何が飛び出ていたのかはよくわかりません。


プンタゴルタに着いてすぐマーケットに買い物に行きました。
店を出しているのはみんなマヤ族です。
山側に住むマヤ族が農業を担っているのです。
日曜日を除いて毎日朝から正午まで市場が開かれます。



僕らはここで野菜とフルーツをたくさんと、
それから港から上がったばかりのスナッパーという魚を買った。
メロンは一玉4USドル。
バナナは七本1USドル。
ニンニクは三玉1.3USドル。
ジャガイモ大が四玉で1USドル。
魚中サイズは三匹で5USドル。

ベリーズで最もポピュラーな魚がスナッパーです。
鯛のような味のする肉付きのいい白身です。
下の魚は名前の分からない魚です。


さばいてもらいたければすぐ裏に出たとこでさばいてもらえます。
僕がこのさばき場(?)で写真を撮っていると、
一人の男が怒り出したしました。
勝手に写真を撮るんじゃねえ、
ということを英語で言いました。
魚をさばいていた人はその男に、
「お前には関係ないだろ、
もういいからほっとけよ」
ということを言ってたしなめてました。
空気が悪くなってきたので魚をさばくのを見たかったんですけど、
早めに去りました。


プンタゴルダではほとんど自炊をして過ごしました。
ベリーズ中の人が毎日食べる「ライス&ビーンズ」も作りました。
米を豆とココナッツミルクと共に炊いたものです。
焦げ付いたり芯まで火が通らなかったりと、
コツを掴むまで何度かチャレンジが必要です。



2013年12月24日火曜日

プンタゴルダにバストリップ

プンタゴルダのハイスクールで美術教員についている鈴木くんは、
独立行政法人の「JICA(ジャイカ)」という
発展途上国の支援を行う組織に属している。

情操教育、環境教育、医療、村落開発
といった項目が主な活動内容です。
このJICAは世界中に派遣をしていて、
ベリーズには十九人の日本人が派遣されている。

JICA以外でベリーズに住む日本人は約十人ほどだそうです。
つまりベリーズ国内の人口は三十三万人で、
日本人は三十人前後だということです。
たった三十人!
ほぼみんな顔見知りだと言ってました。

鈴木くんの住むトレド州プンタゴルダには
そのうちの七人の日本人が住んでいる。
六千人の街に七人ですけど、
ベリーズ内では最も日本人が多く住む街です。

美術教員の鈴木くんの他には、
音楽の先生、
パソコンの先生が二人、
環境教育の先生、
マヤ族の伝統工芸品を売るお土産物屋さんを経営する方、
マヤ遺跡の採掘をしている研究者、
これで計七人です。

僕らはこのプンタゴルダまでローカルバスを使って行きました。
七時間近くかかりましたけど、
ベリーズシティーから11USドルと安いです。
早く行きたい人は100USドル払えば飛行機で一時間です。


プンタゴルダでは鈴木くんの家に泊めてもらうことになってます。
上の写真にあるような場所で降ります。
東に延びる道の先には海が見えます。

芝生はどこも丁寧に芝刈りがされていてきれいです。
ベリーズ人は道にゴミをよく捨てるので散らかってますけど、
きれい好きな人たちでもあります。

身なりは清潔で、
通りを歩いているとどこの家も洗濯物をぴっしりと干してます。
子供の数が多く、
十人兄妹というのもザラで洗濯物の量がすごいです。



鈴木くんの家は二部屋にダイニングキッチンという広さで、
ゆとりを持って絵を描くスペースもあるので、
創作活動を行うには適していそうです。

2013年12月21日土曜日

鞘付きモリンガ

しばらく前に「無理矢理モリンガ」というタイトルで、
モリンガの種を食べたことをブログに書きました。
それがまさか、
キーカーカーの地で実を結ぶとは思いませんでした。

今僕はうまいことを言ってますよ。
何ヶ月か前に食べたモリンガの種が今、
体内で実を結んだ。
比喩ではなく文字通りの意味で。
言葉と世界のフィジカルプレーです。

僕らはキーカーカー島で昼食をとるために、
オープンテラスのメキシカン料理屋に入った。
オープンテラスというより「屋根のない店」に見える。
もっといえば屋根もドアも壁もない店です。

僕らはそこでブリトー(US8ドル)を頼んだ。
豆、野菜、チーズが巻かれたベジタリアンブリトー。
ブリトーを持ってきてくれた時、
一緒に瓶に入った自家製の緑色のソースを出してくれました。

ウェイトレスは「ミラクルプランツのソースよ」と言った。
ワッツミラクルプランツ?と僕が聞くと、
「モリンガという植物の葉っぱと、
玉ねぎにハバネロをミックスしたものよ」と言った。

モリンガ!?
ウェイトレスがベンチのすぐ横の植物を指した。
それがモリンガの木でした。
水道管みたいに変な形に曲がっています。


(モリンガの木みんながみんな曲がっているわけではなく、
たぶんこの店のだけ)
モリンガの後ろに大きなパラボラアンテナがある。
一体何を受信(発信?)しているのか。

そしてこの横にはグリルマシンが置いてあります。
グリルをするだけなのに、
まるでタイムカプセルのように大掛かりです。
このネイチャーの中で機械がSF的な光景を醸し出してます。


モリンガに僕が喰いついていると、
ウェイトレスは親切にも裏に連れて行ってくれて、
もっと大きいモリンガを見せてくれた。
そしてモリンガの種をくれた!

日本の友達はネットで高いお金を出して買ってるものを、
僕はタダでもらったのでラッキーな気分になりました。
しかも鞘付きだ。
帰ったら友達に自慢したいと思います。


ウェイトレスはマイリンというコスタリカ人で、
サングラスを取るとモリンガのように
きれいな緑色の眼をしていました。





2013年12月19日木曜日

道端の丸焼き

キーカーカー島には犬がたくさんいる。
放し飼いなのか野犬なのか見分けがつかない。
南国にいる人はそうじゃない人に比べて自殺率も低く、
楽天的であり大らかだといいますけど、
たぶんそれは犬にも当てはまります。

どの犬もちょっと間の抜けた顔をしてる。
反応も遅い。
歩いていても前を見てない犬が多い。
何度かぶつかりました。

キーカーカーのメインストリートを歩いているときのことです。
この通りにほとんどの店が集中している。
通りに犬が二匹寝転がっていたように見えました。
昼の暑い時間だったので犬もシエスタなのか、と。

その場を横切るとBBQの匂いが漂ってきて、
ふと道路脇を見て足が止まりました。
おばさんが一人で、
炭火の上に金具をセットして肉を丸焼きにしていました。

同じ形をしている、
道端で気持ちよさそうに寝ているものと同じ形だ、
つまりこれは犬の丸焼きだ、
さっきの犬は順番待ちか?
見てはいけないものを見てしまった、
と僕は思って道で棒立ちになりました。

するとおばさんに声をかけられた。
「Do you want lunch?」
僕はノーと首を振って、
それから指をさして「Dog?」と聞きました。

おばさんさんは口だけ笑って「Pork」と言いました。
よく見たら足が豚だ。
それにしても、
豚にしては痩せすぎじゃないか?

キーカーカーのゴルフカート

キーカーカー島へはベリーズ・シティーから高速船で三十分。
値段は往復で22.5ドル(アメリカドル)。
船乗場の向かいにインド料理屋があって、
そこでチキンカレーとトルティーヤを5ドルで買って船に持ち込む。

揺れる船でスープ状のカレーを食べるのは難しいです。
それに船の中をカレーの臭いで充満させてしまって迷惑だったと思う。

船が出発して半分ぐらいまで進んだ時、
海の真ん中にヤシの木が一本見えました。
砂漠の真ん中でヤシの木が見えたらオアシスだと思えるけど、
海の真ん中でヤシの木が見えてもオアシスには見えない。

船が近付くとトタンの家が見えてきた。
桟橋もあって、ベンチやイスも見える。
一体こんなところに誰が住んでいるのか、民家です。
こんな場所で嵐の夜に寝ることができるのか。
ベリーズにはよく嵐がきます。

キーカーカーの港に着くとゴルフカートが何台も待っている。
すべてタクシーです。
この島ではみんな車の代わりにゴルフカートに乗っている。
道も、小さな空港を除けば舗装のされていない砂利道です。

僕らもゴルフカートを借りた(一時間12ドル)。
前進かバック、アクセルとブレーキしかない。
運転よりも水溜りを避けるほうが難しいです。
島は一時間でほぼ一周できました。

[海の真ん中にある家]

2013年12月18日水曜日

麻薬経由地点

ベリーズはコロンビアやボリビアなど南米からの
麻薬経由地点になっていて、
そのせいか空港の税関の眼も光っている。

南米から飛行機がレーダーに映らないように、
低空飛行でやってきてベリーズでトラックに載せ替える。
それからコロザル州というメキシコとの国境を越えていく。

中米のベリーズは治安が悪いと言われていて、
33万人の国で殺人件数は年間150人。
そのほとんどが麻薬に関わるギャングの仕業で、
ベリーズ・シティーでの犯罪だそうです。

僕の持物でいちばん怪しまれたものは「のし餅」でした。
白くて硬く平ぺったいZiplockに入ったのし餅。
三十代前半の筋肉たくましい検査員に
「これは何だ?」
と聞かれてライスケーキだと答えた。
だけど臭いを嗅がれたり突っつかれたりして、
なかなか返してくれない。
上司に相談してやっと返してくれて通ることができた。

今日はベリーズ・シティーからキーカーカーに船で移動します。

2013年12月16日月曜日

ベリーズに出発

「ベリーズ」という単語をはじめて聞いたのは一年ぐらい前でした。
僕が通信制の大学生だったときの同期生が、
ベリーズで美術の教員につくことになったと言っていた時です。

その時に僕は反射的に
「遊びに行くからガイドしてよ」
と言いました。
それから数ヶ月経って今年の三月に学校を卒業した後、
クリスマスはアメリカで家族と過ごすという予定が立ちました。

この機会を逃したらもう僕の人生で
ベリーズに行くことは絶対ないだろうなと思い、
アメリカに行く前に経由することにしました。
一週間ベリーズに滞在する予定です。

僕の同期生である鈴木くんは一つ年上で、
プラハの大学で美術を勉強した後、
文学に興味が湧いてきたそうです。
それで自分が過去に卒業した大学に
に「文芸科」が開設されたことを知り入学した。

僕は僕で当時全国の文学部を探していました。
今から四年前ですけど、
京都の造形大だけが「文学」ではなくて、
「文芸」という呼び名を使っていました。
研究よりも創作がしたかった僕に合ってると思って通うことにしました。

四年後、将来を見越すことのできる彼は美術の教員免許を取り、
将来をまったく考えていなかった僕は今ピザを焼いています。

とはいっても違いといったら、
鈴木くんのキャンバスは四角くて、
僕のは丸い、ということぐらいだと思う。

それに彼の仕事は
人の記憶に焼き付ける絵が売り物だし、
僕の場合は生地にチーズを焼き付けたものが売り物です。

うん、鈴木くんも僕も、
似たような道を歩んでますね。
ベリーズのWi-Fi環境はよく分からないですけど、
アップできるときはします。
よかったらまたベリーズ紀行読んでください。

2013年12月15日日曜日

銀杏ゴルゴンゾーラソースとニョッキ

カボチャのニョッキを無事に
前菜として送りだすことができました。

しかし成形時に、
水分の多いカボチャは水分を飛ばすことを
肝に銘じてたんですけど、
飛ばしたつもりがまだ水分が多くて成形が難しかった。
途中でニョッキを丸めて棄てたくなったけど、
ベタベタし過ぎて手から離れず、
闘っているうちに怒りの絶頂が通り過ぎたからよかったです。

味つけは塩とガーリックオイルにパセリで、
その上に刻んだチャイブを散らしたシンプルなものです。

試食で銀杏ゴルゴンゾーラソースを作りました。
銀杏がたくさんあったのですり鉢ですり潰して、
バターとゴルゴンゾーラを溶かして、
そこに銀杏ペーストを混ぜてニョッキとからめる。

濃厚です。
カビラ三兄弟並に濃いです。
見た目は控えめだけど食べると主張の強い銀杏のジョン。
派手にいつも前に出てくるゴルゴンゾーラのジェイ。
堅実に外さないコクの代名詞であるバターはケンジ。
(ケンジさんのことはぜんぜん知らないけど、
きっとビジネスマンの彼は三兄弟の中では堅実そう)

このニョッキをご希望の方はピッツェリアのほうに、
と言いたいところですけど、
今日が僕の今年最後の仕事日です。
季節のニョッキはまた年明けに食べに来てください。

2013年12月14日土曜日

スペイシーであること

「Spacey」という英単語がありますけど、
これは「ボーっとしている」という意味です。
オーシャン内で特にスペイシーなのは
スイーツ担当のりょうちゃんです。

今日はある飲食店の場所をりょうちゃんに説明しようとして、
ケンタッキーの交差点を左に曲がってと言うと、
「はい。洗濯機ぃーの交差点を左に……、
そこにコインランドリーがあるってこと?」
と言っていました。

自分の発音のおかしさにも気付かずに、
一人で話しを先に進めてしまうスペイシーっぷりを
今日も発揮していました。

2013年12月13日金曜日

二回目のカボチャのニョッキ

石窯で調理をするために、
こないだ「STAUB」というフランスの鍋を買いました。
それまでは無印で買ったホーロー鍋を使っていたんですけど、
高温になる石窯の中で使うと焦げ付きが大変でした。
ストウブは僕の買ったのは23800円で、
無印は2480円だったので、
十倍の効果を期待しています。

最近は毎朝火を焚く前の余熱で、
野菜をローストしています。
昨日はカボチャを半分に割って種だけ取ったら鍋に入れて、
窯に放り込んだらしばし待つ。

薪を割ったり準備をしながら三〇分もすると完全に火が通る。
スプーンで簡単にほじくり出せるようになっている。
実だけボウルに取り出す。
ニョッキを作ろうと思いまして。

オーシャンには畑で取れるカボチャが四種類も五種類もあって、
一般的なえびすカボチャと違って水分が多かったり少なかったり、
それぞれに特徴がある。
畑のカボチャでニョッキを作るのは二回目です。
前回はカボチャの水分量が多くて、
小麦粉を入れても入れても成形できる硬さにならず、
結局いびつな形のすいとんができました。

今回も実をすくってみると水分量の多いタイプのカボチャです。
同じ失敗をしないように、
あらかじめ僕の料理の先生にアドバイスをもらっておきました。

ボウルの実をマッシュして裏漉しした感じで水分が多いのが分かる。
そうしたら、それをまた鍋に移して火にかける(今度はガスコンロ)。
「水分が多ければ飛ばせ」
それがアドバイスです。

かき混ぜながらグツグツさせる。
この飛ばし加減がまだよく分からないけど五分ほど火にかけた。
それから小麦粉を入れてだまが残らないように混ぜて、
ラップにくるんで冷蔵庫に入れた。

小麦粉を使う料理はパンでもピザでも水で解いたら一日置いたほうが
水和によって小麦粉のうま味が出るので、
これはニョッキも同じようにして一晩寝かせる。

今日はたしてうまく作れるのか。
うまく作れれば前菜の一品になるし、
ならなければ、すいとんのまかないになります。

2013年12月12日木曜日

オーシャン収穫祭の餅つき

今週15日の日曜日は
「オーシャン収穫祭」が行われます。
新米で餅つきをして、
つき立ての餅を食べます。

砂糖醤油、
きな粉、
黒小豆、
ダイコンおろしは赤ダイコンと組み合わせて紅白に、
あとは納豆などなど、
楽しく美味しく食べれるお餅の友が並びます。

去年は餅切り機というものをスタッフが買ってきて使いました。
石臼でついた餅を丸ごと餅切り機に入れて、
ハンドルを回すと下からブニュッと丸いのが出てくる。
見た目がいいもんじゃないですけど、
風流よりも実用を取る人なら持っていてもいいのかもしれません。

餅つきをして、あの手についたカピカピの餅を取るのは大変です。
水で洗おうと思っても餅はますます硬くなって、
皮膚と餅が一体化してしまいます。
爪と皮膚の間にくい込んだらそれはもう取るのは諦めて、
家に持って帰るしかありません。

とにかくその餅切り機、
去年僕はその現代的な機械の導入に保守的な気持ちが働いて
いささか訝かしむ次第でございましたが、
餅が手から離れないのもイヤなので、
今年はぜひ誰かに使いこなしてもらいたいと思ってます。

僕はピザを焼いてますので、
お餅トッピングを希望する方は言ってください。
テリヤキピッツァを焼きます。

2013年12月11日水曜日

東京と海

「東京にいるとふわふわしてくる。
しばらく東京から離れて戻ったときにそう感じる」
と昨日、
東京生まれのお友達がピザを食べながら言ってました。

ずっと街にいる間はそんなふわつく感じも麻痺するけど、
郊外や地方に出るとそう感じるそうです。

「へえー、そうなんだ」とそのとき僕は何気なく聞いてたんですけど、
じゃ逆に、地方の、更に端っこの海っぺたにいる僕は、
たまに都会に行くとどう感じてるんだ?
ということを帰りの電車の中で考えはじめた。
僕の場合はたまに都会に行くと、
「自分も社会の一部だったんだ」という感覚になって、
むしろシャキッとする。

オーシャンで働いているとよくお客さんから
「海が目の前で、最高の場所で働けて羨ましい」
みたいなことを言われます。
そう言われるたびに僕は目の前の景色を見てなかったことに、
それどころか「人が少ないし淋しいところだなー」
と思ってたことに気付きます。
「毎日海を見てみてくださいよ、
最果ての島に置き去りにされた気分になってきますから」
と答えたことも何回かある。

友達には東京から離れることが必要で、
僕もたまに海から離れることが必要なんだな、
と思った一日でした。

東京ピッツエリア巡り

今日は日帰りで東京に行ってきました。
そして三件のお店を回って
ナポリピッツァを食べてきました。

南青山の[ナプレ]
中目黒の[ピッツェリア エ トラットリア ダ イーサ]
永福町の[マッシモッタヴィオ]

昼に二枚食べて、
夜に一枚ですけど、
これを書いている深夜いまだに胃がずっしりしてます。
ただ食事をしに行くだけじゃ
ただの食いしん坊みたいなので、
本屋にも行こうと思って代官山の[蔦屋書店]寄ってきました。
これはしばらく外に出れなくなります。

軽い気持ちで旅行に出かける内田百閒を真似て、
ふと思い立って東京に行って帰ってきた日でした。

2013年12月9日月曜日

ビューティフルゆずの香

「ビューティフルゆずの香」という
リキュールを飲みました。
宮本さんが大分県の中津江村に旅行で立ち寄って、
ジャケ買いしてきた一品です。

中津江村といったら、
サッカーファンには思い当たる人もいると思いますけど、
2002年のW杯のときに
カメルーンのキャンプ地になったところです。
宮本さんはつい数週間前に行ったところでしたけど、
いまだに街にカメルーン色が漂っていたそうです。

ともかく、
この「ビューティフルゆずの香」を
ジャケ買いした理由も頷けます。
ともかく、
謎が多い。

まず商品名が何なのかパッと見分からない。
左には「秘めたるロマン、甦る感動 黄金伝説」
と書いてある(↓)。


そして右側には「ビューティフルゆずの香」
と書いてある(↓)。


どっちも名前っぽいし、
かといってどっちかと断定できるほど名前っぽくもない。
どっちもキャッチフレーズに読める。

そしてもう一つの謎が、
この女の人は誰だ?ということです。
白い鉢巻きを巻いているけど、それは何?と、
僕は思わず宮本さんに聞いた。
宮本さんは「分からない」と言った。
「この街は鉱山で有名だから、女作業員かも」
鉢巻きは謎ですけど、
よく見ると美人顔です。

へー、と思いながら飲んでみると、
味は非常にライト。軽やかで、浅い感じが飲みやすい。
ジュースのようにぐびぐびいけてしまう。
度数は12度。
高いのか低いのかも微妙なところです。

微妙さと謎の多いリキュール、
「ビューティフルゆずの香」でした。

2013年12月8日日曜日

おれとリズム

近藤等則の『いのちは即興だ』という本に
こう書いてありました。

「それにジャズなんて音楽は、
本当にグルーヴといったりノリといったりするように、
ノリがいいかどうかが大事じゃないですか。
そうしたら、そういう人生もノリのある人生を送らなくて、
何か平たんな人生を送りながら
ラッパだけノリがあるのをふけるかといったら、
たぶん吹けないと僕は思うんですね」

「あの人ノリ悪いよね」と言ったりすることがあります。
僕はそう言われる方の部類の人間です。
ノリの悪さ以外にも、
よく人から「リズム感がないよね」と指摘されます。
なるほど、確かに会話にしても動きにしてもリズム感が無い。
あんまり言われるから
「おれとリズム」というテーマで考えに耽るときがある。

人生テーマはあったほうが、
毎日を面白楽しく過ごせると思うから意識します。

最近「今の関心事は体幹」だという人が二人いました。
共に女性です。
二人共「体幹を鍛えたい」ということを言ってました。
二人以上からあまり聞かない単語を聞くと
僕は流行っていると見なします。
「体幹」は今巷では流行ってるんだと思う。

トランぺッターである近藤等則という人は「ノリのある人生」を送り、
明るい前向きな彼女たちは「重心のブレない人生」を考えている。
そういうテーマを通ることで、
自己表現のようなことが花開いたり、
より解放感をもたらして気持ちの良さを感じたりしそうです。

「おれとリズム」はまだ解決していません。
毎日に「解決していないテーマ」があることも、
僕にとっては毎日を活性化させてくれるものの一つです。

「わざとリズムをずらす」
なんて高いレベルのものだったら楽しいんですけどね。

2013年12月7日土曜日

ピッツァ弁当

今日は幡豆の子供の国で運動会があって、
そこにピッツァ弁当を届けるために
夜も明けないうちから、
というか夜中から焼きはじめます。

休まないといけないところですけど、
また今日新しい本を読みはじめて
止まらなくなりました。
近藤等則というジャズトランぺッターですけど、
YouTubeでこの人の音楽を聴きながら本を読みました。

まず、他では聞けないのがエレクトロニックトランペットで、
掴んで離さない音を出す。
この本を読む前からタイトルに引かれました。
『いのちは即興だ』
ジャズ奏者らしいネーミングでもあります。

内容は、
また明日書くことにします。
今から石窯に火を入れて、
薪割りなどをします。
毎日の瞬間瞬間を即興で楽しみたいと思わされる
良い本です。

2013年12月6日金曜日

たっぷりみかんのスムージー

僕は毎朝「自分のことは忘れよう」と思って、
ブログを書きはじめる。
自分は透明だ、いない人と考えて書こう、と。
外を見つめろ、自分の周りで何が起きたんだ、
どんなことが感覚に触れたっけ、
と意識しながら書く。
それでも、すぐに自分はやってくる。
「オレの苦しみ」とか「オレの傷」とか、
オレアピールがはじまる。

書きはじめてしばらく経ってから気付き、
消して、
またやり直す。

僕はうつむいてキーボードを見たり、
何を書いたかディスプレイを見たりする。
そうしていると後ろから
何か迫ってくるものを感じる。

ほんとに後ろから何か迫ってくるわけじゃない。
そしたら怖い。僕の家は一人なので。
イメージでいえば、
後ろの正面だあれと振り返ったらそこには鬼がいる。

鬼を見つけたらこっちが勝ったようなものです。
今日でいうと、
僕の後ろの正面にいた鬼は、みかんでした。

僕の周りでは「みかん」という話題。
「みかん」という実物。
「何かスイーツをください」といえば「みかん」。
そういう感じでいつの間にか
僕の周りにはみかんがはびこっている。

オーシャンの季節のメニューにも登場しました。
「みかんスムージー」
幡豆の無農薬みかんをたんまり使った
フレッシュで甘くて濃厚なスムージー。
美味しいので、ぜひ試してみてください。

2013年12月5日木曜日

ガンジーの頑固さを見習う

『ガンジー自伝』を読みました。
解説を読んで知りましたけど、
アジアには自伝を書く歴史が無いそうです。
思えば僕が読んだことのある日本人の自伝だと、
福沢諭吉も勝海舟も高橋是清も
100から150年前です。

この自伝もそれと同時期です。
ガンジーはロンドンの大学に行って、
ヨーロッパの文化に触れていたこともあって、
人から勧められて自伝を書きはじめた。

ガンジーは有名ですけど、
僕は彼が何をやった人なのか知らなかったので、
それで読んでみようと思った。
分かったことはガンジーはとても頑固な人でした。

ガンジーは長い間南アフリカにいた。
当時そこは白人が偉ぶっていて人種差別がひどかった。
たとえば黒人がお金を持っていて電車で一等のキップを買っても、
席に座らせてもらえなかった。
車掌に「出てけ」と言われる。

だけどガンジーは頑固だから席を立たない。
そしてガンジーは非暴力を貫く人であったので、
抵抗もしない。
席もどかない。
何を言われても、じっと座っている。
そこで車掌はガンジーを席から引きずり出し、
荷物共々外にほかって、
電車は出発する。
外にほかられたガンジーは次の日の朝までベンチで座って待つ。

こういうエピソードが次々に出てきて、
読んでいてハラハラする。
白人にターバンを取れと言われて取らない。
医者に食べなければ死ぬから肉を食えと言われても食わない。
死んだほうがマシだと言う。

僕は昔チンピラの怖い先輩に
「そのジャージいいな、ちょっと貸してくれ」
と言われて、
買ったばかりのジャージのセットアップを脱いで、
そして先輩の古い穴の開いたジャージと無理やり交換しました。
僕がガンジーだったら、
「いえ、お断りします」とか言えたんでしょうけど、
僕は僕でした。

2013年12月4日水曜日

クリスマスリースのワークショップ

昨日はお花屋さんの[葉楽]をやっているあやちゃんが
オーシャンに来てくれてプチワークショップを開いてくれました。
プチといっても半日がかりなので、
フルワークショップでしたけど、
急遽決まったことで参加できる人だけ参加という、
気軽な意味でプチです。
(僕はピザを焼いていた)

「リースを作る」というワークショップですけど、
半日もかかるのは材料集めからはじめたからでした。
みんなはまず三ケ根山にハイキングに行って、
茂みをかき分けて蔦を引っこ抜き、
枝を切ったり花を手折ったりしてきたそうです。
(僕はお店番をしていた)

集まった材料は、
フユイチゴ、黄楊、紫式部、秋色アジサイなどなど。
僕にはどれもはじめて聞く名前です。
そうして収穫物をカフェにもって帰ってくると、
テーブルに植物を広げて製作に取りかかりました。
(僕は皿を洗っていた)

そうして作りはじめて一時間ほどで完成!
それぞれの個性が出て、
みんな違うリースができました。
みんな「キャー!かわいすぎるー!」と叫んでいました。
(僕はフユイチゴを食べていた。もぐもぐ。甘酸っぱい)

最後に記念撮影。
スタッフで参加したヨシエに「リースの意味は?」と聞くと、
「え?個人リースとか言ったりするよね」と言ってました。
お花のリースは車ではありません。
お花はwreath、車はleaseです。

[葉楽]のクリスマスリース・ワークショップは、
12月21日にオーシャンで開催されます。
玄関に飾ったりすると、
かわいい感じになりそうですよ!





2013年12月3日火曜日

きくや飯店の安定感

蒲郡の[きくや飯店]はすごいお店です。
ここの支那そばのスープは真っ黒なんですけど、
一口一口の味は軽くて、だけど懐も深い。
ボクサーでいうとノニート・ドネアです。
ズルズルッっとすすると、
麺と汁のワンツーパンチが口の中でしなる。
打撃を放つととサッと目の前から消えるように、
喉ゴシをぱしぱし打っては消えてしまう。
このお店は昭和の初めから続くそうで、
さすがにコンビネーションに安定感を感じます。

でも僕がもっとすごいと思うのは、
土日祝日休みで、
11時から3時までという営業時間です。
トヨタ系の仕事をしている人は
有給を取るか辞表を出すかしないと行けません。

でもさらにもっとすごいと思うのが、
このお店の人員構成です。
おばさん五人とおじさん一人。
はじめて来たとき「店員多いな!」と思った。
しかし僕の考えは浅かった。
これは完璧な人員配置だった。

支那そばを作る店主。
餃子と焼売を焼くおばさん。
注文を聞いたりお盆を運ぶおばさん。
他におばさん、おばさん、おばさん、と三人いたが、
みんなテキパキ動いていて、
とにかくおばさんがたくさんいたという印象を残す。
それぞれ手ぬぐいを頭に巻いていて、
似たようなエプロンを揃えていて、
なんだかおばさんにカッコよさを感じてしまう。

客も客で、
「この店に10年通ってるよ、
20年通ってるよ」
というような年配客が占めている。
おばあちゃんが一人で来ていたり、
作業員のおっさんがいたり、
その中に僕のような新参者がたまにいたりする。

オーシャンが今後どういう店になるか、
僕自身は見当がつかないですけど、
こういう仕事をする[きくや飯店]を僕は尊敬します。
僕自身も「変わらない仕事」をしたい。

だけど「変わらない仕事」に行きつくにはきっと、
それなりに変わっていかないといけないなと思うから、
どこら辺まで変わって、
どこら辺で変わらなくなるのか、
それがまだよく分からないです。


2013年12月2日月曜日

ストーブにくしゃみをする

僕は部屋の暖房に石油ストーブを使ってるんですけど、
くしゃみが出そうになるとストーブの方を向きます。
へっくしと僕がいうと、
ストーブがジュッといいます。
「ただいま」というと、
「おかえり」という人がいてくれるように。
なーんて、
ただのきったねー話しなんですけど。

2013年12月1日日曜日

第二NAOKI

オーシャンスタッフのT郎はよく女の子から、
EXILEのNAOKIに似てますね!と言われている。
昨日もお客さんの若い女の子に言われて、
こんな会話をしてました。

女の子「お兄さんNAOKIに似てますね!」
T郎「たまに言われるんですよー」
女の子「もしかして目指してるんですか?」
T郎「何を、EXILEをですか?
いや特に目指してないですけど」
女の子「えー!じゃ偶然ってことなんですかー!?」
T郎「偶然ってことなんですかね……」

この〈目指す〉と〈偶然〉という対置が秀逸です。
T郎は好むと好まざるとにかかわらず
第二NAOKIになってしまうという上級レトリックです。