2013年3月5日火曜日

移動をしない人

「種を撒けば、後は大地が何とかしてくれる。
今はじめて土地に感謝してる」
ちょっとちがう言い回しだったかもしれないですけど、
こういうことを瓦礫が散らばる空地で
蕎麦の種を撒きながら77歳の佐藤直志さんは言っていました。

僕はこの『先祖になる』というドキュメンタリー映画を見る前に運よく、
池谷薫監督と会って話を聞くことができました。
こんな贅沢な見方はそうそうできないと思いながら映画を見に行きました。
どんなアドバイスをもらったかは
こないだのブログにちょっと書きました。

せっかく監督と会ったのに、
その経験を活かせなかったらもったいない気がする。
もったいない根性。
人間を突き動かす原動力の大部分が〈欲望〉でしょうけど、
僕の場合貧乏性なので〈もったいない根性〉が原動力になることが
けっこう多い。

直志さんが77歳なのに力に満ちた存在でいられる理由は何?
その原動力は何?
と考えると〈土地に対する気持ち〉が
僕には想像できないくらい強いのだと感じた。
直志さんは妻と離れてまでその震災にあった家を離れなかった。
直志さんはこう言った。

「仮設住宅には行かない。
そこに2年も3年もいたら、
勤労意欲も失くしてしまう。
もらい癖が付いたら人間ダメになる」

これもちょっとちがう東北弁の言い回しでしたけど、
自分が働ける場所からは遠ざりたくはないということ。
土地に根ざした生活をしている人間にとっては、
その土地で生きること自体が体にとって力になっている。

そういう土地から得られる力があるんだということは、
薄々自分でもあるんだと意識はする。
でも自分自身にとってはまだ希薄で、
今いる場所から力を得るまでに至っているようには思えない。

僕は自分がグローバル社会に生きる一国民だと思っていた。
気軽に思い立てばどこにでも行けるし、
インターネットで世界とつながれるとも思える。

だから、と言うとおかしいかもしれないですけど、
どこかに行きたいという気持ちがなくなる。
今いる場所でとりあえず何でもできるし、
情報によって世界のことを掴める、という頭になってしまうから。

どこか外国に行こうと思わなかったり、
アメリカ人の母親の言葉を覚えようという気持ちも湧いてこない。
直志さんが自分の土地を離れないのとはまた別の理由で離れられない。
それは僕が〈日本で事足りる〉という感覚に浸っているからだと思う。

この『先祖になる』という作品を見て僕がいちばん思ったのは、
僕が移動しないのと、
直志さんが移動しないことは全く別物だった、ということでした。
僕の〈日本で事足りる〉感は、
直志さんの〈土地に対する気持ち〉は入っていない。

僕の〈日本で事足りる〉感の中には、
外国の土地も日本の土地も、
自分が住んでいる西尾市の土地ですら入っていないじゃないかと思う。
それじゃ何で事足りると思ってしまうのか。
何でも知れる、と勘違いでも思ってしまうからだと思う。
ほんとは知らないと分かっていても。

結論は、
グローバル社会の一国民は、
土地から得られる力を取り損なっていてもったいない、
ということ。
・・・もったいない根性にまた戻ってきてしまった。

0 件のコメント:

コメントを投稿