2014年11月11日火曜日

日本おたくのコロンビア人

日本おたくのコロンビア人であるピラールは、
この八年間でなんと十二回めの日本です。
彼女は四〇歳にしては笑顔が若く、声も元気で、
エネルギーで満ち溢れています。
大学時代にはコロンビアで建築を学び、
現在はバルセロナで空間演出デザインの仕事をしている。

美術館や博物館、ホール、デパートといった色んな場所で行われる
芸術関係のイベントの会場作りをするのが主な仕事です。
ピラールは現場で作業員に指示を出しながら、
何も無い広い空間に道と壁と扉を付ける。
そして展示物がカッコよく見えるように並べて、
来場者の劇的体験を自由に誘導する。

仕事はバルセロナにかぎらずEU圏内はどこにでも出掛ける。
基本は週休二日制だけど、
仕事が忙しすぎてひと月ふた月は休日返上で働くこともざらだそうです。
月収は3000ユーロ以上になるけど、
仕事だけの人生で終わってしまう!
ピラールはそんなの絶対に嫌だと元気な声で叫んで言いました。

ピラールはこれまでの日本旅行は休暇を取って来ていましたが、
今回の旅行では仕事を辞めてきました。
彼女の友達はみんな口を揃えて、
「辞めるのはもったいないから考え直した方がいい」と言いました。
失業大国スペインで良い仕事にありつくのは簡単ではないのです。

だけどそんな制止も積極性の塊みたいなピラールを止めることはできず、
彼女は日本で“大工修業”をはじめました。
今は週に一回、春日井市にある大工教室に通っています。
生徒数はピラールが会った人だけでも六〇人いる本格的な教室だそうです。
ここの先生は昔ヨーロッパで仕事をしていたことがあり英語が使えたので、
ピラールも安心してメールのやり取りだけで
教室に通うことを決めることができたと言いました。

ピラールはMy鉋、My鑿、My鋸といった、
My大工道具コレクションを専用のバッグに入れて
スペインから持ってきています。
彼女に頼まれてぼくは鉋の替刃と研石をAmazonで注文してあげました。
バルセロナで買うよりも半値以下だと喜びました。

彼女は自分のことを“日本おたく”だと言います。
八年で十二回日本に来たらそりゃ日本おたくだなと思いますけど、
一緒に生活をしていると日本おたくにもほどがある、
と思いはじめるぐらい日本おたくです。

まず彼女は日本酒が大好きで、
ピラールがうちに来てから冷蔵庫に
紙パックの“鬼ころし”が入っているようになりました。
しかしそれは非常用で、
だいたい毎日四合瓶を一本空けるペースで飲む酒豪です。

次に、彼女は梅干しが大好きです。
彼女が口をもぐもぐさせているな、と思うと、
それはだいたい梅干しを食べているからです。
ピラールはいつも寝る前に、
急須に玄米茶とほぐした梅干しに水を注いだものを用意して、
翌朝その水出し茶を飲んでいます。

それから、ピラールは大の村上春樹ファンで、
スペイン語と英語に訳された本はほぼ全て読んだと言いました。
彼女は持ってきていたiPadに入っている本を順番に見せてくれましたけど、
スペイン語が多くて表紙も違うので何の本か分かりませんでした。

『1Q84』がスペインで版行されたとき、
バルセロナの大きな書店でサイン会が行われたそうです。
「私は雨の中の行列に並んだ。
ハルキムラカミは人前に出なくて根くらな人だと思ってた。
だけど違ったの!
私の番が来たとき彼は『雨の中並んで大変だったね』と
英語で声をかけてくれたわ。
それから、実はその日私の誕生日で、
自分へのお祝いとだと思って仕事を休んでサイン会に行ったの。
それを伝えたら、
ムラカミはサインと一緒に“おめでとう”って書いてくれた!」

——村上春樹のどこが好き?
ぼくはガルシア=マルケスを生んだ国の人の意見を聞きたかった。

「ムラカミは生活にとても意識的。それが文章から伝わる。
たとえば『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で
ヘルシンキの空港のことが書かれてるけど、
彼はその場所に何度も出掛けたわけではないと思う。
なのにも関わらず読んでいると、
まるで私がその場に行ったかのような情景を持たせてくれる。
そういう体験を与える作家は少ないと思うわ」

そんなピラールは一度愛知を離れて、
四国へお遍路巡りに出かけて行きました。
彼女は出かけて行くとき
「何で私こんな過酷なことをしなきゃいけないのかしら!」
と自分で立てた計画を呪っていました。

二週間後に戻ってきて、
またオーシャンの畑を手伝ってくれる予定です。


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