2015年5月12日火曜日

ハタチからの瞑想

ここ数ヶ月瞑想ができなくなってしまいました。
ぼくの瞑想歴はかれこれ十年近くになると思います。

瞑想にのめり込んだのは二十歳ぐらいのとき、
たしか七田眞の右脳開発の本を読んだことがきっかけでした。
“潜在能力”というテーマにぼくは超敏感だったのです。
で、このとき読んだ本に「イメージ能力を養う」訓練として、
暗闇のなかで目の前に巨大な滝を作り出すというものがありました。

その訓練をぼくは電気を消した真っ暗な風呂に浸かりながら行いました。
背筋を伸ばして、
腹式呼吸をする。
その腹式呼吸は八秒間鼻から空気を吸い込み、
腹に八秒間ためて、
八秒間かけて吐き出すのを1セットとして繰り返す呼吸法でした。

七田眞いわくこの間隔になれたら今度は倍の十六秒に、
次は三十二秒にと、
倍々で増やしていくと超人の境地にいたるというようなことを言っており、
ぼくは十六秒まで試しましたけど苦しくなってやめました。

一ヶ月ほど続けましたが、滝は現れませんでした。
だけどこのときから瞑想を続けて、
ジョーゼフ・キャンベルの『生きるよすがとしての神話』ではチャクラの考えを、
ユングの『黄金の華の秘密』ではチベット密教の呼吸を知り、
瞑想とは呼吸のことだと考えるように至りました。
今では薄暗がりの温かい風呂に浸かりながら深呼吸をするだけになっています。

この十年、風呂で三十分だろうが一時間だろうが、
目をつむって眠ってしまうなんてことはほとんどありませんでした。
いや二、三度は寝たかもしれません。
だけど十年間ほぼ毎日続けてるようなことですから、
それはもう、皆無という感じです。

それがここ数ヶ月は必ず、絶対に、毎日欠かさず寝てしまうようになりました。
二、三回深呼吸すると、
バタンと底が抜ける落とし穴のような睡魔です。
その度に途中でハッと目覚めるんですけど、
やっぱり逆らうことはできずにがくっと意識が落ち、
しかたないから瞑想は諦めてカラダを洗って出るというふうになっています。

これを人に話すと
「仕事で疲れてるんだよ」とか、
「寝不足なんじゃないの?」とか言われますけど、
そんなはずはないと思います。
現場の肉体作業でへとへとになっていたときは過去にいくらでもあるし、
睡眠時間も平均して六時間半から七時間でそこまで大きな変化もありません。

この現象は何を意味しているのだ?
ぼくのカラダは何を訴えているのだ?
そこであらためてぼくは自分に、
なぜ瞑想が必要だったかを考え直してみました。

まず最初に書いた「(瞑想で)潜在能力を引き出したい」ということ。
これはもういつからかどうでもよくなりました。
ありもしない埋蔵金を掘り続けているようで、ただの徒労です。
自分の能力は、自分が好きなもの以外からは引き出せません。

他には
「自分と向き合う」
「リフレッシュする」
「嫌な気分を整理する」
というようなことを瞑想頼りにしていました。

だけど今、三十一歳のぼくには
これらのことも以前と比べるとあまり重要ごとではなくなっています。
よく人は歳を取るにつれて頑固になると言いますよね。
エゴが強くなっていくというのか、
自分の考えを曲げれなくなるというふうに。

こういうネガティブな要素の反面、
相手の顔色を伺わずにズケズケものが言えるようになるという、
図々しさが身につきます。
そして人から批判されても論理的に反論もできるようになる。
生存本能からなのか、
歳を経るにつれて自分を有利に、傷付きにくい思考に変わっていくようです。

そう考えると、
もしかしたら反省しない人間に瞑想はできないのかもしれません。
ぼくは最近反省してないか?と自問すると、
反省よりも、自己正当化のほうが多い気がしてきます。

おれはおれのままでいいのだ。
ゴールデンウイーク中は忙しかったから、
ブログを書けなくてもしょうがないのだ、
とたしかに自己正当化しています。

二〇代は「自分のこんなところが悪かった」と毎夜が反省でしたが、
三〇代は「悪いのはあいつだ」とよく他人のせいにしている。
さらに四〇代を過ぎてくると「悪いのは国だ」と言う人も多くなってくると思う。
人間はだんだんと責任をなすりつけるのが上手くなるようです。

つまり瞑想は内側に向かっていく精神でなければうまくいかない。
内省的であることが瞑想の条件かもしれません。

ぼくはこの文章を結婚した相手に点検してもらおうと読んでもらいました。
ぼくのこの瞑想に対する考察はなかなか鋭いんじゃないかと、
ちょっと得意げな気持ちで。

まず彼女はぼくを睨み、そしてこう言いました。
「これって、結婚が理由で瞑想ができなくなったって遠回しに言ってるよね。
私が原因だってこと?」

突然の指摘にぼくは慌てました。
「ち、ちがう。そんなことはないよ。
きみのせいなんてことは間違いなくない、ほんとに……」
「ふーん」彼女は言いました。
「なんか瞑想の話しも矛盾してるし、意味が通ってない」
「そ、そうかな?」とぼく。

「だってこの話しだと結局瞑想で寝ちゃうってことも、
瞑想がただの深呼吸に変わったから寝ちゃうってことになるんじゃないの?
ていうか、
何で結婚して満たされてるから瞑想が必要無くなったって言えないの?」
「……」
それとこれとは別の話しでもごもご
と意味の分からないことをつぶやきぼくは絶句しました。

結局、瞑想が出来なくなるということは、
不幸なことではなく、
むしろいいことなのです。
もごもご。

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