2014年12月17日水曜日

ラストオブ夢希望

こないだの日曜日久しぶりに〈夢希望〉に行ってきました。
安城市にあるライブハウスで、
三河に住む三十代前後の人たちにとって
“〈夢希望〉は思い出を秘めた場所”
という人は多いと思います。

ぼく自身は十七から十九歳までの間がそうでした。
その頃はパラパラとhip-hopのイベントが多かったです。
週に一度通って朝方まで遊んでいることも少なくなかった。
それが二十歳を過ぎて行く機会が少なくなり、
十年経ちこないだ店を畳むことを聞きました。

『フュージョン・スラング』というのが今回のイベント名です。
〈夢希望〉の最後を記念する意味も含まれた企画です。
出演者は三十から四十近くでぼくと同年代です。
きっと彼らも自分たちの思い出があるんだろうな、と見ていました。

音楽の演者は八組で、
それぞれが別ジャンルの音楽をやっている人たちです。
たとえば一般的な音楽イベントは同じジャンルの人たちが集まります。
ベリーダンスの発表会ではベリーダンスのみ、
hip-hopのイベントに来る客はみんなアメ車で来る、
というように同じ趣味を持った人たちが集まるのがいわゆる普通のイベントです。
しかし、今回のイベントは「焦点化しない」ということを目指している。
ハードコア、スカ、エレクトロニック、ベリーダンス、テクノという感じで、
多ジャンルの演者が集まりました。

今は音楽のジャンルが細かく枝分かれして、
聞く人は自分の個性にあった音楽を選びます。
もちろん、聞く人にとって選択肢は多いほうが良いに決まっています。
だけど選択肢が多いために自分好みのジャンルに束縛されて、
未知な領域に手が出しづらくなることもあります。
「下手に手を出して失敗してもイヤだし」
というような気持ちはぼく自身思ったりしますので。

『フュージョン・スラング』の企画者は熱い言葉でぼくにこう言いました。
選択肢が多い半面“驚きの出会い”が無くなっている気がする、
ごちゃ混ぜなところに力が生まれる、と。

イベントの最後の演者は『Self Control System』というテクノ音楽の二人組でした。
DJセットのようなデジタル機器をたくさん前に並べて、
二人がそこで機会をいじって音楽を流すという手法です。


ぼくはこういうエレクトロニックな音楽が好きですけど、
生で見ていつも思うのは、
「この人たち何してんだ?」
ということです。

だってギターやピアノやトロンボーンのように
動きを通して楽器を奏でるわけではないし、
ボーカルのように何か喋ったり歌ったりするわけでもない。
していることといったら機械の台の前に立って、
“つまみ”をひねったりたまにイヤホンを耳にあてたりしてるだけです。

これが一人ならまだいいです、そんなに疑問に思ったりしない。
その人が何をしていようがその人がいなきゃ音楽が鳴らないのだから。
だけど『Self Control System』は二人組です。
二人で何をしてるんだ?

ぼくは音楽に耳を傾けながらじっと彼らのことを観察する。
つまみをひねる。たまにイヤホンを耳にあてる。何かスイッチを押す。
足を踏んでリズムを取る。ちょっとだけギターを鳴らす。
スイッチを押す。またイヤホンを耳にあてる。

こういうことが続き今度は、
一人がもう一人の陣地に入っていて機械をひねったりしはじめた。
そしてその陣地の一人のほうは何も気にせず、
パソコンを見てリズムを取っている。

「おい、お前の仕事はどうした?取られているぞ!?」
とぼくは思った。

横槍を入れた一人はちょっとつまみをひねったりして、
パソコンを見て何かを確認したら、
再び自分の陣地に戻って行って、また足を踏んでリズムを取り始める。
陣地に入られた男のほうは何事もなかったかのように仕事に戻る。
つまり、自分でつまみをひねったりしはじめる。

バンドは楽器があって分かりやすい。
ギターが超絶だ、ドラムがパワフルだ、とか見た目でなんとなく感じる。
だけどこのデジタルな人たちは
機械を使ってつまみをひねったりするだけで聴衆者を盛り上げてしまうんです。

ついさっきまでハードコアの人たちが汗を振りまきながら、
拳を突き出して叫びまくっていました。
それがこの後、つまみをひねるだけで会場を盛り上げてしまう人たちもいるんです。

ぼくは隣にいたバンドマンの友達に聞きました。
「彼らは機械をいじってるけど、何してるの?」
「まあ、知らなくていいんじゃない?」
と笑われました。

まあいいです、知らなくても。
どうせ教わっても分からないから。
つまみで十分です。

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