2014年12月9日火曜日

高級カッターシャツとあられ茶

最近“演出”ということをよく考えます。
店の演出とか、自分の演出、料理の演出などなど。

ぼくはこれまで演出を軽く見てきた、
というかあんまり考えてきませんでした。
飾りは後回しで、本質を磨くこと本物であること、
飾り気を剥いでごくシンプルであることが大事だと、
こう思ってきました。

だけどこの“飾らない”というのも演出の一つになりますよね。
「ありのまま」を演出するということ。
じゃあどこからどこまでが飾りで、
どこからどこまでが素のままなのか?
そもそも境界線があるのか?
と分からなくなってきます。

こういう場面を想像してください。
あなたは名古屋の長者町繊維街を歩いている。
老舗の呉服屋もあれば潰れかけの問屋や洋服屋もある。
その中の一件が店先にカゴを出して、
プラスチック袋に入ったワイシャツを置いていた。
ダンボールの切端しに漫画で使うトゲトゲの吹き出しがあり、
マジックでこう書いてある。

「高級カッターシャツ 540円!」

高級ワイシャツにしては破格の値段です。
だけどまず気付くのはプラスチック袋が若干黄ばんでいることです。
シャツ自体も日焼けてしまってるんじゃないか? と。
このワイシャツが高級物であるのか偽物であるのかどうかよりも、
「高級」と「路上のカゴ」という組み合わせに違和感があります。
それなら「B級商品 大特価540円!」のほうが情景に合います。

ともかく、場面が進む。
繊維街を通り抜けると、歴史を感じさせる塀に囲まれた建物が現れる。
丸の内の老舗料亭〈河文〉だ。
門をくぐると打ち水をした石畳に紅葉が落ちている。
玄関の前に着くと音もなく引き戸がスーと開く。
自動ドアではない。
中で待っていた着物のお姉さんが開けてくれたのだ。
あなたは頭上を見上げて監視カメラがどこにあったのか探す。
だけどそんなものは見つからない。
着物のきれいなお姉さんは妖力かなにかを持っているのか?
そのままお香が漂う廊下を抜け、
個室へ案内されるときにはぼんやりした気分になってくる。

座椅子に座り少し経つとお茶が出てきた。
その着物のお姉さんは「あられ茶でございます」と言う。
見ると湯呑みの中には白湯にあられが浮かんでいる。
一口すすると湯気に移ったあられのなんとも言えない香ばしさ。
「なんと雅なお茶なんだろう」
と風流な気持ちになる。なりますよね?

このあられ茶がもし、
家の汚い台所でおばあちゃんが沸かしたヤカンから出てきたらどうですか?
「ちょっとおばあちゃん変なクズ入ってる!」
「何言ってんの、良いとこのあられ茶なんだから」
「え? そんなのうそだ、残ったお菓子のクズだ!」
とあなたはきっと怒るでしょう。

飾りに重心がかかりすぎると“チャラい”と言われるけど、
本物だからといって雰囲気が伴っていないと
その価値も分かってもらえず損をします。
調和が大切なんですかね。

今このブログを書きながら
温かい緑茶でみかんを食べています。
この組み合わせは冬のイメージで調和していると思う。
(よくありますよねコタツのある部屋の場面なんかで)
だけどお腹的にはこれは水分と水分で合いません。

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