2015年3月20日金曜日

便利グッズ収集

アメリカに到着して四日目になります。
〈Pizza Expo〉の準備はまだはじめていません。
何からはじめているかというと、
新居のキッチンツールの買い物からはじめています。

ぼくは厨房の便利グッズを買うのが趣味なのですけど、
アメリカはその手の厨房便利グッズの宝庫です。
ホームセンターや雑貨屋巡りは
毎回ぼくの旅行中の楽しみです。

日本では見たことのない道具に遭遇すると、
昆虫好きが珍しい虫を捕まえるように、
ぼくも珍しい便利グッズ類をつい収集してしまいます。

今回見つけたものはまずステンレス製の薄い網状の蓋です。
“Splatter Screen”という名前で訳すと、
跳ね散らかり防御網です。

ぼくは前々から餃子を焼いたりトマトや肉を炒めたりするときに
油がコンロの周りに飛び散るのが嫌でたまりませんでした。
対処法としてはアルコールを吹いてキッチンペーパーで拭き取るといった、「掃除」が唯一のぼくの手段でした。

ところがこの薄い網状の蓋は、
このわずらわしい「掃除」からぼくたちを解き放つ
抜本的解決をもたらしました。
この網状の蓋は団扇のように取手が付いていて、
丸いテニスラケットのような形をしています。

さあ、熱したフライパンに水分たっぷりのトマトを炒めます。
油を敷いて、スライスしたトマトを入れると、
バチバチバチバチバチバチーー!と、
かなり激しい音を立てます。

まくったシャツの腕は跳ね返り油で火傷しそうになり、
きれいなシャツには油の跳ね返りで斑点がつき、
コンロはまたたく間に油ギトギトまみれになる。

しかし、このみずみずしいトマトを投入した瞬間、
網状の蓋をフライパンにかぶせたらどうなるでしょう?
バチバチ激しい油のこの跳ね散らかり度合いに変化はありません。

が、跳ね散らかる油は網状のところで引っかかり、
水蒸気だけが逃げるようになっているのです。
ちなみに、もし普通のガラス蓋なんかで密閉させたら
どうなるか知らない人のために申し上げますと、
噴火かと思うような膨張が起きます。
蓋を押し上げ、油が鍋から溢れ出ます。
非常に危険です。

しかしこの5ドルのセール価格で買った薄い網状の蓋、
これさえあればもうそんな心配はないのです。
どんな水っ気の多い炒め物ももう怖くはありません。

便利グッズの買い物もひと段落して、
今週中にコンテストの準備をします。
競技で使う粉、チーズ、トマトなどの食材はすべて現地調達します。
普段とはまったくちがうピザができると思いますけど、
それも楽しみに材料探しに取りかかろうと思います。

2015年3月13日金曜日

タケノコ成長理論

来週から二週間アメリカに行ってきます。
その間〈石窯ピッツェリア・オーシャン〉はお休み、しません!
なんとぼくの師匠である長尾晃久ことアッキーが、
スペシャルメニューを用意して特別営業を行います。
詳しくはホームページのほうにアップしますのでご覧ください。

アメリカに行く目的の一つは家族に会いに行くことです。
カリフォルニアのサンタクルーズという海っぺたの小さな街です。
海っぺたの小さな街というところは寺部も同じです。
海の街から海の街へ行ってきます。
いつ行っても丁度良い気候で、
こんな過ごしやすい土地はなかなか無いと思います。

もう一つはラスベガスで行われる「Pizza Expo 2015」というイベントの
国際ピッツァ大会に出場してくることです。
ぼくにとっては去年日本で行われたナポリピッツァ職人選手権についで、
二度目の大会出場です。

このアメリカの「Pizza Expo」という大会には、
ピッツァ業界では有名な大須〈チェザリ〉の牧島さんも出場予定です。
牧島さんという人はナポリの大会で優勝して、
今では審査員もされていますし、
DVD付きの教本も出版しています。
ぼく自身もこの本からはかなり学ばせていただきました。

そんな横綱級の人ですから、
“同じ土俵で戦う”というイメージは捨てております。
それよりは落語みたいにトリと前座というイメージがいいかなと思ったんですけど、
これもやっぱりやめます。
落語の前座が面白かったという記憶はありませんからね。

それならフィギュアスケートというイメージはどうか。
若ければ華があるし、
ベテランであれば味がある。
うん、こういう、どっちにも点数が付くイメージがいいです、これですね。

オーシャンは幡豆という小さな港街にありますので、
世間の荒波に晒されることより、
強風による現実の波しぶきに店は晒されます。
鉄骨もすぐに錆びるし、ウッドデッキの劣化も早いです。

都市は景気次第で人の流れが変わりますけど、
港町は天気次第で人の流れが変わります。
オーシャンは雨だとヒマだし、天気が良ければ忙しいです。
こういう自然の影響をダイレクトに受けていると、
自然への感度は街にいるよりも敏感になる気がします。

だからこそ、
たまに世間の荒波に晒されたい気持ちになります。
料理は一人作業が多いので、
自己満足にも陥りやすいと思うのです。
そこでたまに大会のような大勢の前に出ると身の程が知れます。

こういう大会は年に一回ぐらいが丁度良いです。
じっと一人で一年ぐらい考えながらピザと取り組むと、
それなりに自分が作りたい理想形が見えてきます。
世間と孤独、ぼくはこれをタケノコ理論と名付けています。

平地で育つタケノコは斜面で育つタケノコよりも、
地上に早く出て太陽を浴びます。
それに対し斜面のタケノコはより長い時間地中に埋もれています。
平地のタケノコが陽の目を浴びすくすく伸びてスリム体型になる。
斜面のタケノコは背が伸びるよりも実が太くズングリ体型になる。

ぼくは、姿見た目はスリム体型になりたいですけど、
精神的にはズングリ体型でいきたいと思っております。
簡単にポキリと折れない仕事への揺るぎなさが欲しい。
そういう点において、
寺部という小さな街で人知れず仕事をしながら、
たまに人がたくさん集まる大会に参加することで
良いバランスが取れるんじゃないかという作戦です。

今日タケノコの初物を食べながらそんなタケノコ理論に思いを巡らしました。
美味しいですねータケノコ。
だけどちょっとタケノコの旬は短すぎです。

2015年3月7日土曜日

スマートで引越し

引越しをしました。
新居で三泊目ですけど荷物がまだ半分ほどしか運べていません。
幡豆から平坂町への引越しです。
時間的には三十分弱でしょうか。
引越し業者に頼むほどでもないと自分で運んでいるんですけど、
smartで引越しはするもんじゃないです。

「Micro Car Corporation」社のsmartはコンパクトカーだけあって
ほんとうに小さいです。
そこらの軽自動車よりもさらに小さい。
二人乗りで、荷台のトランクもスーツケースが一つ乗るていどです。

すでに四往復していますけど、
きっとハイエースみたいなワゴン車なら一回で済むと思います。
しかし始めたからには、
最後までsmartで貫徹したい、そんな意地みたいなものも出てきます。
smartでスマートとは言えない引越しをする。
ここにぼくはやりがいを感じてます。

ところで、素早い引越しがスマートかというとそうでもありません。
ぼくは今回で七回目の引越しですけど、
東京から西尾に戻ってくるとき引越し積荷時間は四時間で全て終えました。

ぼくが夜な夜な引越し作業を決行した前日のことです。
営業の仕事をしていたぼくは会社に仕事に行って、
通常通り午後七時に業務を終えて帰ろうとしました。
そこで上司であるマダラメ課長に呼び止められました。

「この会社はもう潰れる。
もしお前がこのまま残るなら、
部長はお前にサラ金で金を借りてきてほしい趣旨のことを言う。
なぜなら、お前以外にこの会社のほかの人間はみんな(七人)
もうすでにサラ金で目一杯借りていてこれ以上は無理だからだ。
どのみち、お前が借金をしてきたところで、
この会社は持ったとしても一、二ヶ月だ。
おれの言うことを信じろ。
明日、通常通り出勤しろ。挙動不審な態度はぜったいに見せるな。
そしていつも通り仕事を終えたらアパートに戻って、
その夜のうちに実家に帰れ」

ぼくはその通り実行しました。
基本的にぼくは、マダラメ課長の言うこと全てに従うことにしていました。
サラ金に行ってこいと言われたら限度額まで借りていたと思います。
だけどぼくはその代わりにジャパンレンタカーでワゴンを借りて、
北区王子のアパートの前に駐車し、夜の九時から積荷をはじめました。
掃き掃除までして深夜の一時に終わりました。
首都高から東名高速に乗って夜明け前に岡崎インターを下りました。
このときぼくの全財産は残り500円ほどになりました。
お金が足りなくなるのが怖くて、
晩ご飯を食べるためのサービスエリアにも寄れませんでした。
西尾の実家に着いたのが早朝五時頃です。
ぼくは休む間もなく荷物を全部降ろし、
また岡崎まで戻りジャパンレンタカーの支店で車を返しました。
ガソリンを満タンにするお金は母親に借りました。
何もかも終わって風呂から出たのが朝の八時です。
ぼくは明るい日差しが差し込んでいるはずの寝床に崩れ落ちると、
長い暗闇の中に沈みました。

今回のsmartによる引越しも一回きりでいいですけど、
この東京から実家へ戻ったときの引越しも二度と経験したくありません。

2015年2月24日火曜日

墜落する父と、翼を得た娘

「私が小さい時はパチンコとか競艇とか釣りばっかり出掛けてたのに、
今頃遅いっていう感じなんですよね。
だって今はもう友達もいるし、免許だって持ってるんですから。
誘われたって『予定あるし』って断りますよ」

僕はパパになったことはありません。
だけど、ピッツェリアのアルバイトで来てくれるサヨちゃんの話しを聞いていたら、
パパという存在にはこのような“取り返しのつかないな時期”があるのかと、
思わずピザ生地を伸ばす手も止まりました。
僕は「これは記憶しというたほうが良さそうだぞ」と直感したのです。
いつかパパになるときがあれば 必ず気を付けよう、そう胸に刻んでおきました。

パパと娘の関係性は、
娘に友達ができたり車の免許を取る以前に築かれるモノのようです。
まだ自由行動ができない娘は、むしろパパに頼らざるを得ない状況なのです。
「イオンに乗せて行って♡」
「迎えに来て♡」

この取り返しのつかない時期はパパにとっては落とし穴ですけど、
娘にとって免許を取ることや友達ができることは翼を得るのと同じことです。
ギリシャ神話では父であるダイダロスの警告を無視して、
翼を得た息子イカロスは墜落して死んでしまいます。
しかし話しが父と娘になると異なる物語が生まれるようです。
墜落するのは父で、
娘は自由に空へ飛び立ちます。

もしそこでパパがろくでもないハゼ釣りに出かけていたり、
ギャンブルにうつつを抜かしていたらどうなるでしょうか。
そこのパパであるあなた、
もう終わりです。
あなたはもう娘の彼氏のことで文句も言えず、
腕を組んでもらえることもなく、
父の日に手編みのマフラーをもらえるかもなんて期待は捨てた方がよいでしょう。

「お母さんとはよく一緒にご飯とか出かけるんですけどね。
だけどお父さんは何か買ってくれるっていうときだけ
釣られることにしてるんです」
アハハ、彼女は悪戯げに笑いました。
アハハ、僕も笑うしかありません。
サヨちゃんのパパはもう、財布としてしか機能していないのです。
お父さん、今、ツケが回っているようですよ。

一体いつまで娘のこの反撃が続くのか、見当も付きませんが、ご愁傷様です。
そして後世の、これから娘を持つかもしれない男性諸氏、教訓にしませう。

2015年2月17日火曜日

ラジオヘッド

ラジオのある生活が豊かです。
ラジオのない生活を思うと寂しくなります。
ラジオを聞き始めてから、そう思い始めました。

ぼくとラジオの生活はまだ長くありません。
ぼくの母親はラジオファンだったけど、ぼくはずっと興味ありませんでした。
母親は、Zipはジェイムス・ヘイブンスがうるさいからと言って、
FM愛知を聞くことが多かった。

ぼくがラジオを聞き始めたのは、ハタチを過ぎてからです。
聞き始めたと言っても音楽に聞き飽きたとき流していただけですが。
そんなときジェイムスが喋っていたりすると、
「すごいなー、よくこんないい加減なことを口走れるもんだ」と思った。
ジェイムスの軽薄な口調はすごい才能だなと思います。

だけど母親は好みじゃないらしく、音楽の最中にジェイムスの声が割って入ると
「邪魔をしないで!」と家事をしながら一人で文句を言っていた。
それに、彼がよく鳴らすパンチの効果音も暴力的だと言って、
クレームのFAXを送ったこともあった。

「DO NOT PUSH THE PUNCH BUTTON!!」

と、マジックで大きく殴り書きした紙で。
どっちが暴力的なんだと思いますけど、
ぼくの母親は平和主義者でクレーマーという、
メディア側からすると最もタチの悪いリスナーです。

ぼくが意識的にラジオを聞きはじめたのはPodcastです。
最初は三谷幸喜と清水ミチコの『MAKING SENSE』でした。
どこでこの番組を知ったのか記憶にありませんけど、
二人のやり取りがただの世間話しなのにセンス溢れる感じに感銘を受けて、
でも数ヶ月聞いているうちに番組が終わってしまった。

これでしばらくPodcastからも遠ざかったんですけど、
『バイリンガル・ニュース』という番組が面白いと
何人からか教えてもらって聞きはじめた。
英語や日本語を勉強したいリスナーが多いのかもしれないですけど、
ぼくは取り上げるニュースの題材が好きなのと、
マイケルとマミの裏表無いストレートな言葉が違和感なく聞けるのが良いです。
この番組は聞きはじめて一年以上経ちます。

その番組で知った『火曜JUNK 爆笑問題カーボーイ』も聞きはじめた。
(そもそも『バイリンガル・ニュース』は太田光が番組で話題にして
火が点いたこともあるみたいですけど、ぼくは逆だった)
それまで爆笑問題が特別好きだという感じもありませんでしたけど、
聞いてるうちに「爆笑問題面白い」に変わってきました。
ラジオって親近感が湧きやすいんですかね?

そしてここ最近聞きはじめたのは『ラジオ版 学問ノススメ』です。
パーソナリティを務める蒲田健という人の声がとんでもなく渋い。
あんまり声が低いので「ガマノケンです」としか聞こえない。
学問ノススメのおすすめどころは、
色んな分野の人にインタビューをするところで、
今まで知りもしなかったような人物のことを知れる。
養老孟司や内田樹のような大御所から、
川村元気や羽生善治のような若くしてその道を極めて活躍してるような人や、
酒を飲むことが仕事のような酒場詩人・吉田類まで。

その中の一つのエピソードでジャズサックス奏者でミジンコ研究者の坂田明が
どうしてミジンコ研究者になったのかというくだりで、
金魚の餌として育てはじめたら逆にミジンコに愛着が湧いて観察をはじめたなど、
どう転んでその人物がその仕事に行き着いたという話しは面白かった。

そんな番組を、ここ最近聞いてます。
朝食を用意するとき、
一人でピザ生地の仕込みをするとき、
車に乗っているとき、
ラジオを流しているぼくは、すっかりラジオヘッドです。

2015年2月11日水曜日

竹とワカメ

先日店に漁師の木下さんがワカメを持ってきてくれました。
バケツからワカメがドレッドヘアのようにはみ出るほどの量です。
夫婦で、共に六十代中盤ぐらいだと思います。
奥さんの方は旦那より背が高くて、これが本物の三河のおばあさんかと、
三河育ちのぼくは三河弁にはそれなりの理解があると思ってましたが、
自分は自惚れていました。
幡豆のおばあさんと言葉を交わすと分かりますが、
方言というものは確実に廃れているんですね。

そして、おばあさんはよく喋る。
よく喋るを通り越して、
同じ話を三週ぐらいして、その間ぼくが口を挟む隙間もありません。
できればレコーダーで録音してここで聞かせたい三河弁です。
文化人類学の研究資料として買ってもらえる価値があると思います。

対して、猫背で背の低いおじいさんは極めて物静かに、
おばあさんの後方でうしろに手を組んでいます。
おばあさんが物凄い勢いでワカメについて海草のごとくペラペラ喋るのを、
たまにフッとかヘッとか言いながら軽く笑っている。
その笑いは呆れる種類のものではなく
「ワカメのことならおらぁもっと詳しくおせーてやれる」
という雰囲気を醸し出している。
港町の漁師夫妻、恐るべしです。

ワカメについてひとしきり喋り終わると夫婦は帰りました。
帰った、と思いました。
そしたら15分後に戻ってきました。
今度はバケツ一杯のアサリを持って。
「貝がちーちゃいけんど身はよー詰まっとるよ。
あたしがれ船で、見えるでしょあっちの白い灯台が、あーっちのほうまで行くの。
ほんでもまんだ小ーさいわ!
ほいだがあたしゃ掘るのが好きだで行くの」

——こんなにもらっていいんですか?

ぼくはお礼にと思ってビールを渡そうとすると、
「いい、いい、いい、
あたしがれ一滴も飲まんだわ!
この人もね、うちの息子もね、家族みーんな一滴も飲まん!
これもね(アサリ)食べるより、掘るが好き、
また取れたら持ってきたげる!」
アサリを食べるより掘るが好き、
こういう人は多いんですか?
そういえばおばさんたちってよくアサリを配ってたりします。

ともかく、そういうわけでワカメとアサリを頂きました。
ところで、ワカメに旬があるとみなさんは知っていますか?
ぼくは知りませんでした。
ワカメなんて一年中海の中でフワフワ漂ってると思ってました。
だけどあるんです、旬が。
三河湾ではこの時期から春までの間が旬だそうです。

木下さんたちが1月の下旬頃にピザを買いに来てくれた時も
ワカメを取りに行った帰りでした。
しかしそのときは手ぶらでした。
まだ小さくて取れなかったそうです。
ところでところで、みなさんはワカメをどうやって取るか知っていますか?
ぼくは知らなかったです、
まさか竹を使うのだとは。

ワカメを取りに行くというのに、
まず山に竹を切りに行くと言うのです。
その竹の木を使ってワカメを取ると言うのです。
いったいその竹をどうやって使うのだろう……。

海中に竹を突っ込んで、
竹の枝にワカメのヒラヒラを絡ませるのか?
もうちょっと木下さんに突っ込んだ質問がしたいです。
だけどぼくが口を出す隙間がないぐらいマシンガントークをして、
終わったら終わったでさっさと帰っていってしまうので
なかなかチャンスがないのです。

また民俗学的発見があったら報告したいと思います。

PS
ぼくは幼い頃髪の毛が茶色で、
それが嫌で黒い髪になりたいと願っていましたところ、
祖母に「ワカメを食べると髪の毛が黒くなる」と言われ、
ワカメを大量に食べました。
おかげで今髪の毛はすっかり黒いです。

2015年2月4日水曜日

ハーブうなぎの挑戦

昨年の12月から養鰻場でバジル栽培を試していました。
11月にビニールハウスで芽を出して、
12月に芽を鉢に移植して養鰻場に運びました。

「うなぎ」という文字を見ると脳が勝手に反応して食欲が湧きます。
だけど、このうなぎが養殖と組み合わさると途端に食欲を失うものに変わります。

「うなぎの養殖」

ぼくがはじめてこの養鰻風景を見たのは小学生でも低学年の頃でした。
父親の友人にうなぎの養殖をしている人がいて、
ぼくらは家族で社会見学のつもりだったのか覚えがありませんけど
そのうなぎの養殖を見せてもらいに行くことになりました。
そのときの光景がいまだに目に焼き付いています。

ぼくが訪れた養鰻場は一色町にありました。
周囲は田んぼで
温室の扉を引く。
「ぶわーーーーーーーー」
と、生暖く生物の臭いを含んだ蒸気を全身に浴びる。
それから機械音と水がばしゃばしゃいう音がけたたましく響く。
扉を開けて温室にこもった蒸気が外に吹き出て、
視界が開けるとその蒸気がどこからやってきているのかが分かる。

うなぎのプールです。
うなぎの養殖は広い温室で行われる。
ぼくが見せてもらった温室の広さは小学校のプール4個分はあります。
しかもこれは稚魚を入れるための小さめのプールで、
この後成長したうなぎを移すために
隣接して更に大きな温室があります。
こっちは小さく見積もっても高校生のプール4個分はあります。

このプールを俯瞰すると「田」の字になっています。
このバッテンの上を人間が歩けるようになっていて、
四つのプールに餌を撒いたりします。
機械音は各プールの中央に水車のようなものがあって、
それがぐるぐると回転し水を対流させるようになっているのです。

小学生のプールでは水が茶色く濁っていて中に何がいるのか見えません。
しかし高校生のプールの方には茶色の水面が見えなくなりそうなぐらいの、
黒いぬめっとしたうなぎが何百匹、何千匹か?という単位で、
溢れてきそうなほど団子状になって暴れて絡みあっている。

一匹が水中に潜ろうとすると、
他の一匹が押し出されて水面にくねくねうねって出てくる。
そいつがまた水中に潜ろうとして、また一匹を押し出す。
それを何百匹何千匹という数のうなぎがやる光景は一度見たら忘れられない。

父親はこれを見てうなぎが食べられなくなった。
忘れられないけど、ぼくは食い意地が張っているせいで、
うな重を前にすると食欲が勝って都合の悪いことは一時的に記憶から消える。

20年前の社会見学以来、久しぶりに養鰻場に入った。
12月の上旬で、ぼくは覚悟して温室に入ったところ、
プールにはまだ水さえ張ってなかった。
稚魚がまだ届いてないそうです。

中旬に温度を入れたという連絡があり、ぼくはバジルの鉢を運び込んだ。
バジルは10度以下になると変色して枯死してしまう。
うなぎの温室は夜になっても20度を下回らないので、
これは最適な環境だと思いました。

ところが一月二月経っても苗はいっこうに育たない。
苗はだいたい5センチから10センチていどのものが10本ありました。
もうダメだ失敗だと思ってつい先日見に行ったら少し成長していた。
とはいっても、いちばん大きいもので20センチほどです。

これは失敗です。
三ヶ月かかっても収穫できなかったら冬が終わってしまいます。
何が原因なのか、湿気か?
ここの湿度はおそらく90%以上はあるでしょう。
温度が問題ないとしたら、この湿度が原因だろうと思われる。

秘密にしていたことを書くと、
ぼくはこのバジル栽培とうなぎの養殖の組み合わせで成功したら、
うなぎの餌にバジルを混ぜて「ハーブうなぎ」というブランドで
億万長者になる予定だった。

だけどもう諦めます。
誰か挑戦したい人がいたら譲ります。