2013年9月16日月曜日

リンカーン原体験

『リンカーン』を見ました。
リンカーンってカッコいいなーと思って見てたんですけど、
この俳優であるダニエル・デイ=ルイスという人は、
『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』
という映画にも出ていてその役も印象的でした。

『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』では
イカれたうえに薄情で強欲なオッサンだったのに、
『リンカーン』ではそれと正反対な
情が深くて正義を貫くオッサンでした。

登場人物がすごいと思える映画は
見てよかったと思える映画です。
「リンカーンはきっとこんな動きをしそうだ」
と自分が想像していたような動きを役者がすると、
「そうそうリンカーンはこういう人なんだ」
という感じで共感を覚える。

のっそりとしていて、
人の肩をバシッと叩く力強さがあって、
背が高いのに上目遣いだから猫背になる姿勢と、
そしてちょっと悲しげな視線。

でもよく考えたら、
自分はリンカーンについて勉強したこともなければ、
知識なんてまったくないんだから、
そんな「リンカーンの印象」をどこで植え付けられたんだ?

それとも、自分が想像したり共感を覚えたりといった感覚は、
実はそれは勘違いで、
映画を見ているうちにその役者が演じるリンカーン像のことを
「本物のリンカーン」として見ていたかもしれない。

「演じられたリンカーン」なのに、
ぼくにとっていつの間にか「本物のリンカーン」になっていた。
それをあたかも、
「そうそうリンカーンはこういう人なんだ」
と自分が昔からこの人のことを知っている感覚になるのかも。
実は今まさに、リアルタイムで自分の中に、
リンカーン像が形成されているとも知らずに。

ちょっと前にラジオで三谷幸喜が清水ミチコにこう言ってました。
「『華麗なるギャツビー』を見たんだけど、どうも変だった。
やっぱギャツビーはロバート・レッドフォードじゃなきゃ。
デカプリオじゃちょっと、若造だな、と思いますね」

きっと歴史人物もこういう感覚と同じですよね。
自分にとって歴史人物は映像や物語の記憶でしかないから、
その中でいちばん鮮明なイメージが記憶に残る。

三谷幸喜にとってギャツビーはロバート・レッドフォードだし、
それを見ていない人にとってはデカプリオで。
ぼくにとってギャツビーは小説からイメージした、
カッコよくて切ない人物像がある。

そういう体験を与える役者とか物語が、
「面白い作品」の基準の一つになるんですかね。

ぼくは遠回しに考えて、
やっと書きたいことが分かりました。
『リンカーン』は俳優がよかった。
ダニエル・デイ=ルイスという人がよかった。
これからリンカーンという人物を頭に描くとき、
この人の演じたリンカーンを思い出しそうです。

0 件のコメント:

コメントを投稿