2013年4月18日木曜日

遊びと仕事の境界線

遊びの優先度について考えていて、
僕は悩んでいる。
遊びか仕事か、どっちが大事なんだ。
飲食が主であるオーシャンの場合で考えたら、
お客さんに対するサービスが最優先、と考えるのか?

遊びも大事、
仕事も大事、
同じぐらい大事。

大事だということは大事か?
大事なことは、あんまり大事じゃないかもしれない。
大事じゃないことの方が、大事かもしれない。

どうして、「絶対に遊びよりも仕事が大事だ」って言えるのか。
大事だと思わなかったら、
お客さんに迷惑がかかったり、
スタッフに迷惑がかかったりするから?
それなら、誰かに迷惑をかけなかったら、
遊びのほうが大事だと言ってもいいのか。

そもそも仕事と遊びの境界線が何だかよく分からない。
単純に分けるなら、
お金がもらえるか、もらえないかのちがいがある。

でも、
遊び感覚でお金をもらって仕事をしている人もいれば、
僕みたいにお金にはならないけどブログを仕事だと思って
続けている物好きもいる。

僕の毎日の中には、
お金が〈もらえる仕事〉と〈もらえない仕事〉がある。
どっちが大事というのはなくて、
どっちもあるのが調子が良い。

だから、遊びでも仕事でもお金をもらえないことより、
もらえることの方が大事だっていうのは、
人にとって完全に当てはまることではないと思う。

ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』の中に、
農耕民族がなぜ狩猟民族の社会を支配することができたのかが
色んな仮説が立てられている。

そこでいちばん鮮明だった話は、
農耕民族が強かったのはなにより、
学者とか作家とか将軍とか政治家が成り立って、
つまり自由に動ける人が多かったからだ、
ということが書かれている。

1532年にスペイン人とペルーのインディオの間で起きた
「カハマルカの惨劇」を書いた章がある。
凄い話で、
狩猟民族と農耕民族の戦いでどれだけ大きな力の開きがあったのか、
びっくりするような話だった。

圧倒的な力で打ち勝ったのはスペイン人の農耕民族で、
その理由を考えた結論が、
自由に動ける人がたくさんいる社会は強い、
ということだった。

僕の疑問は戦いのことではないけど、
でも、自由に動ける人がたくさんいる方が強いという話は、
会社に置き換えてもきっと同じじゃないかと思えた。

そこで僕の疑問のイシューは、
「自由に活動する人をどれだけ許せるか」
ということにあるんじゃないか。
ルールの中のリース、これが問題だ。

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