2012年8月13日月曜日

男児カフェ

オーシャンは最近、非日常的営業スタイルに取り組んでいます。
日々変化に対応することは、めちゃ、疲れます。
どこに何があるか分からない。
普段とやることがちがう。
いつも出してるメニューが出せない。
たくさん無駄なことがあります。

一刻も早く元に戻したくなるというのが、
普通の心持ちじゃないでしょうか。
普通じゃなくてもいいですけど、
僕は一刻も早く、元の習慣に戻りたくなります。
次から次へとやってくる無駄なことから脱却するぞ、と。

でもそういう無駄がはびこる中には、
遊べる要素が隠れてそうです。

昨日は夕方から「音魂瞑想」のイベントにつき、
トレーラーハウスで僕とタツローの男児カフェを続けていました。
営業場所を変えると色々物の移動を忘れてたりします。

「あ、スプーンと器がない!タツロー取ってこれる?」
「わかった!」
「栓抜きがないんだけど、また行ける?」
「わかった!」
「ごめんタツロー、みかんジュースが切れてた」
「わ、わかった!」

こういうことを延々と二人で続けていました。
タツローが店とトレーラーを往復してる間、
僕はタツローが帰ってくるまでに無い物探しをする。
遊べる要素はどこに隠れてるんだろう?
無駄自体が遊びっていうことですかね?
「遊びとは反復行為だ」
なんてギリシャの哲人が言いそうです。

「ラテン語/遊び」で検索すると、
「ホモ・ルードゥス=遊ぶ人間」が引っかかりました。
「おいタツローおれたちは男児カフェというより、
ホモ・ルードゥス・カフェらしいぞ!」
「なんだそれ、気持ちわりい!」

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