オーシャンは最近、非日常的営業スタイルに取り組んでいます。
日々変化に対応することは、めちゃ、疲れます。
どこに何があるか分からない。
普段とやることがちがう。
いつも出してるメニューが出せない。
たくさん無駄なことがあります。
一刻も早く元に戻したくなるというのが、
普通の心持ちじゃないでしょうか。
普通じゃなくてもいいですけど、
僕は一刻も早く、元の習慣に戻りたくなります。
次から次へとやってくる無駄なことから脱却するぞ、と。
でもそういう無駄がはびこる中には、
遊べる要素が隠れてそうです。
昨日は夕方から「音魂瞑想」のイベントにつき、
トレーラーハウスで僕とタツローの男児カフェを続けていました。
営業場所を変えると色々物の移動を忘れてたりします。
「あ、スプーンと器がない!タツロー取ってこれる?」
「わかった!」
「栓抜きがないんだけど、また行ける?」
「わかった!」
「ごめんタツロー、みかんジュースが切れてた」
「わ、わかった!」
こういうことを延々と二人で続けていました。
タツローが店とトレーラーを往復してる間、
僕はタツローが帰ってくるまでに無い物探しをする。
遊べる要素はどこに隠れてるんだろう?
無駄自体が遊びっていうことですかね?
「遊びとは反復行為だ」
なんてギリシャの哲人が言いそうです。
「ラテン語/遊び」で検索すると、
「ホモ・ルードゥス=遊ぶ人間」が引っかかりました。
「おいタツローおれたちは男児カフェというより、
ホモ・ルードゥス・カフェらしいぞ!」
「なんだそれ、気持ちわりい!」
0 件のコメント:
コメントを投稿