2012年9月14日金曜日

仲間はずれのジャック

大分長くかかって『LOST』はシーズン3まで来ました。
ジャックの腕にはタイ語の刺青が入ってるんですけど、
ここまで来るまでそれには何も触れられてませんでした。

その刺青はジャックがタイを旅行中に、
人間の本性を見れるセクシー占い師と知り合って、
彼女に彫ってもらったものです。

それでジャックは無人島で敵に捕まって、
檻に入れられるんですけど、
そこの一味に腕の刺青を指摘されるんです。
「あなたその刺青の意味分かってるの?」

ジャックは自分の本性を占い師に見てもらって、
意味を聞かずに彫ってもらいました。
すると翌日、ジャックの宿にチンピラが押し寄せてきて、
「国に帰りやがれ」とボコボコにされてしまいます。
この時点でリンチされる意味は分かってないんです。

でもジャックは強がって答えます。
「ああ。分かってるさ」
「ほんとに?そこにはこう書いてあるわよ。
〈彼は私らと並んで歩くけど、仲間ではない〉ってね」
ジャックはニヤリとしてこう言う。
「そうさ。でも違う意味があるんだ」

ここで僕は混乱しました。
ジャックは強がってるのか?
それともほんとにちがう意味があるのか?
自信満々だから強がっているようには見えない。
でも実際、刺青の意味通りボコボコにされた。

僕はDVDをポーズして考え込みました。
〈彼は私らと並んで歩くけど、仲間ではない〉
この言葉がジャックにとって何かポジティブな意味があるのか?
そこで僕はハッと気付きました。
僕の腕にも同じ刺青があるじゃないか。
〈OUTSIDER〉
外部の人、部外者、端くれもの、仲間はずれ。

「ジャック!僕も君と同じ意味の刺青があるぞ!」
勝手な解釈でジャックと友達になった気がしました。

でもちょっと待てよ(DVDが終わってから)。
僕のゼロに近い記憶力が珍しくピキーンピキーンと言いました。
そういえば『LOST』の監督はアメリカ生まれのユダヤ人です。
ユダヤ人と言えば、ノーベル賞受賞者の約20%がユダヤ人という、
世にも変わった血を持つ人たちです。
内田樹の『私家版・ユダヤ文化論』を読むとそれがよく分かります。

その本には、ユダヤ人にとって生きることは仲間はずれそのものだ、
ということがみっちりと書いてあります。
『LOST』風解釈をするとまさに、
〈彼は私らと並んで歩くけど、仲間ではない〉となります。

なんで、周りにいる人を仲間ではないと考えるがいいのかを、
僕が説明すると言い方を間違えて、
日本人の仲間はずれにされそうのでやめときます。
僕は間の子ですからね。
こないだ父親に言われました。
「お前がもし50年前の日本に住んでたら、
間の子だって言われて石をぶつけられてたぞ。
今の時代ハーフだとか言うとチヤホヤされるかもしれんけどな」と。
ちょっと待ってよ、と僕は言い返しました。
「確かに石はぶつけられない。それにチヤホヤもされる。
でもアメリカンジョークを言っても親父ギャグとしか思われないなら、
もう日本人としてもアメリカ人としても終わってるってことじゃないか!
おれのアイデンティティはどこにあるんだよ!え!?」

すいません横道に逸れました。
仲間はずれの話しです。
ともかく、仲間はずれはユダヤ人だけの問題じゃないです。
「この呪いは本来すべての人間にかけられたものだ」
というのが内田樹の言い方です。
仲間はずれという状況が「一人で考える」ことを教える、
ジャックはきっとそういう意味でニヤリとしたんだ。
僕はここまできてやっと合点承知できました。

僕も常に呪いに向き合いたいですね。
成長はノロいかもしれませんけど。
アメリカンジョークです。
アッハッハー!

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