今日の朝見た夢は本を読んでいる夢でした。
読んだこともない司馬遼太郎のエッセイでした。
浮世絵を都市化させたような景色の場所で、
川にかかる橋を渡りながら読んでいました。
アスファルトなのにアーチ状になった橋のつなぎ目は凸部になっていて、
それがバネみたいになっていて踏むたびに僕はジャンプする。
そんな難しい体勢で読んでいる本に、
こんな文学観が書いてありました。
「エッセイは生活の彩楽において役に立つことを基準にしている」
生活の彩楽って、なんだかよく分からないですけど、
司馬遼太郎が使いそうな古風な言い方です。
僕は古風なものは好きなので、
無意識にこういうことを思っていたのか。
そう言われてみると、
生活の役に立たない面白いエッセイはあまり思いつかないです。
リリー・フランキーの本はそういうのかもしれないですけど。
エロテクニックがあるわけでもない、
座右の銘になる格言があるわけでもない。
うんこが漏れたとか、
「ゲロはいい男にかけるべし」とか、
そういうことしか書いてない。
生活の役に立つのと、生活の彩楽における役立ち、
という意味だとこれはこれで違いそうです。
昨日ヤーリーという日本人がこんなふうなことを言ってました。
イベント事に呼ばれてもはじめは断る。
それで当日行くと予想外に思われて自分を印象を上げれる。
ほんとに行かなくてもいいし、
行くと言ってから当日行けなくても印象を下げないから。
人間、時間には限りがあるから、
少ない機会で自分の印象をMAXまで引き上げようという考えです。
ヤーリーは演出好きなので自分の演出をもしてます。
これは生活の彩楽っぽいです。
役に立つだけだと自分のためにしかならないけど、
彩楽の役に立つと人を楽しませれそうです。
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