2012年7月21日土曜日

壁の言葉

・エゴの塊か、空っぽの容器か、
どっちかなんてないでしょうけど、
僕は空っぽな容器です。
意見とか、
主張とか、
自分の声みたいなものを持っていません。
いや、知らずにワガママを言ってたりして、
十分にあるよと言われるかもしれませんけど、
僕は透明なフィルターみたいで、
特別何かの言葉に反感は持たないです。
僕が知っていることは、全部人が教えてくれたことです。
なのに自分の声があるなんて、どうやって知れるんでしょう。
自分の声だと思ってるものは、誰か人の声なんじゃないですか?
僕の喋る言葉は一から十まで、
誰か他人の言葉。
だから僕は僕じゃなくて、
僕の周りの人を全部集めたところに僕一人が出来上がる、
そんなイメージなんです。

エゴの塊か、空っぽの容器か、
どっちもあるんでしょうけど、
僕はエゴの塊です。
僕には自分だけの経験があります。
それは実体験から得たもので、
人にそれは違うと言われようと、
僕は反論できます。
自分がやってることを信じてますから、
僕は自分が選択してきたことの動機を説明できます。
正しい選択と間違いの選択という、
一日が枝別れ状になっていますけど、
自分には実体験によって形作られたコンパスがあります。
だから頭上からの声に従うときも、
逆らうときも、
どっちで捉えたにしても僕は肯定できます。
僕は一つの筋道に沿って歩いているんだと分かります。

・昨日ブログを書こうと思って、
ビールを飲みながら無闇にキーボードを叩いていたら、
こんな変な文章になりました。

それで今日朝起きて
「何でこんなこと書いたんだろう」と思っていたら、
あ、そうだ分かりました。
僕の居間には吉本隆明の言葉を飾ってまして、
その言葉はこういうものです。

「ほんとうの考えと
嘘の考えを
分けることができれば
その実験の方法さえ決まれば
 宮澤賢治より
 
壁にかかってると、
色んなときに目に入ります。
それが無意識のうちでも、
じっと見入ってしまうときでも、
色んな見方をしています。
それで今日、この言葉が基になっていたんじゃないかと、
思ったわけなんです。
今日は「空っぽな容器」が優勢なだけかもしれないですけど。

でも、僕はずっと壁に何かを貼るのがいやでしたけど、
こないだは壁に世界地図を貼りました。
最近、壁に何かあるのが楽しいです。

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