2013年7月25日木曜日

誰かに依存すること

ブログを毎日書いてると、
気付かないうちにネタの配給元に依存することがよくある。
たとえば本や映画に触れておけば、
あらすじを書いたり面白かった場面を書けるから、
作品に触れているうちはブログのネタにも困らない。

後、人の話しに頼ることもよくある。
周りの会話をそのままブログに書いたりもする。
人が言ったダジャレとか下ネタは
すぐにiPhoneにメモする。

「ヤバい、今日書くことない。遅刻してしまう」
と焦ったときはメモ帳を開いて、
ワンフレーズを頼りに思い出しながら話しを広げる。
そんなふうに、他人のエピソードに頼る。

そういう依存と同じ感じで、
「自分の経験に頼り過ぎ」
というのがここ最近の僕の依存症です。
自分に依存すると、
自分で何かしないといけないような気になる。

「一日家でダラダラしたら具体的な経験が得られないから、
何かしないといけない」
という動機で一日の計画を立ててしまう。
旅行に行くことも有名な料理屋に行くことも、
その動機がネタ探しっていうのは変じゃないか。
うん、変だ。

でも何で「変だ」と思うんだ。
「誰かに依存するな!」
なんて、そんなに厳しくなくてもいい気もするし。
「依存してもしなくてもどっちでもいいじゃん」
という気持ちになってくる。

依存はまあ、どうでもいいか。
どうでもよくないのは僕が
「ネタの配給元がないと文章が書けない」
と思っていることです。

「もうちょっと、ガッシリ構えとけや」
と自分で思う。
ガッシリ構えようと思って、白状すると、
この文章は橋本治の『橋本治という考え方』
という本に依存しながら書いた。

この本の面白さは、
橋本治の考え方が本を読むとちょっと分かることだ。
というのは、本のタイトルに依存した感想です。

「誰かに依存しちゃだめだ、自立しろ」なんて言うと今度は、
「自分に依存」になって、
そうするとどうなるかというと、
依存、依存と続いて、クドいゾーンに入っていく。
と結局、面白くないオチになるから、
みなさんも気を付けてください。

0 件のコメント:

コメントを投稿